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政府が弾圧したからサリンばら蒔いたんじゃないですか?

“たられば”の話になっちゃいますが、 政府があれだけ弾圧したせいで、オウムはどんどん過激になってしまったんじゃないですかね? サリン事件後、日本中がヒステリックになって体制側を批判できなくなってたようですが、 冷静に考えると、政府の対応がまずかったのではという気がしてます。 そこのところどうなんでしょう。詳しい方おねがいします。

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  • ベストアンサー
  • sudacyu
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回答No.12

  私が、当時のテレビや新聞の報道などから受けた印象は、政府の対応がまずかったというより、警察の怠慢という形のものでしたね。  オウムのほうは、警察の怠慢で何をやっても捕まらなかったので、段々と図に乗って無茶をやっていったというふうに感じています。  坂本堤弁護士一家殺害事件が1989年でしたが、警察は失踪という認識だけで本気で捜査したとは思えないし、1994年の松本サリン事件では、サリンの被害者が誤認逮捕される始末です。  ですから、政府の弾圧なんてどこにもなかったですね。  政府とは反対に、オウムの異常性はマスコミにどんどん取り上げられ騒ぎが大きくなり、世論はオカルトで危険な宗教団体という印象を強くして行き、その世間に注目された分だけ、政府や公安・警察は、誤認逮捕などが起きれば面子丸つぶれなのでどんどん慎重になって、証拠固めに時間を費やしている間に、サリン事件が起こったというふうに感じました。  警察・公安が時間を無駄に費やしている間に、マスコミが世論という形でオウム包囲網を作りだし、オウムと一般住民とのトラブルが多発し、そのトラブル対応のため、形式的に警察は施設への立ち入り捜査や集会の規制などはやっていましたが、坂本堤弁護士一家との関連を調べるというより、周辺住民の感情のガス抜きと衝突回避のための形ばかりのものでしたね。  地下鉄サリン事件が1995年3月ですが、同じ1995年の1月には、阪神淡路大震災が起きています。  オウムを受け入れない社会に対して、麻原彰晃の言う「ハルマゲドン」が起こるためには、同じようなことが関東にも『続けて起こらなければならない』状況だったのです。  それに対応してオウム側は、オウムを受け入れない世間に対して「ポア(=オウムを信じない人を殺すことによって、救ってあげているんだというオウムの考え)」という勝手な理屈で、無差別テロによるハルマゲドンを自ら決行してしまいました。

the-ugly
質問者

お礼

政府の対応がまずかったというのはほとんどの回答者の方も同意されてますね。 >周辺住民の感情のガス抜きと衝突回避のための形ばかり メディアの盛り上がりに呼応するように警察もパフォーマンスに走り、 結果として生産的な捜査が行われずいたずらにオウムを挑発する結果になってしまたということですね。 “弾圧”という言葉がいけなかったのかもしれません “政府が弾圧したからサリンばら蒔いた” ではなく “政府が意味のある捜査をやらず挑発したからサリン事件が起きた” ということですね。ありがとうございます。

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その他の回答 (11)

回答No.1

もし政府・公安が「弾圧すべき集団」と認識していたのなら、ハナからサリンなど製造させません。 政府・公安は、当初は「完全にノーマーク」で、最初にサリンが撒かれた事件では、被害者女性の夫を犯人として疑うなど、某団体の行動部隊の存在や某団体の行動をまったく把握していませんでした。 政府が何かを弾圧するには「相手を弾圧すべきヤバい団体」と認識する必要があります。「まったく把握していないもの」は、弾圧しようがありません。 >政府があれだけ弾圧したせいで 政府のあの対応を「弾圧」と呼ぶなら、それが始まったのは「サリン事件発覚後」です。 それ以前は「周辺住民との衝突」があったくらいで、その衝突も「民事不介入の原則」により、警察も政府も「我関せず」です。 >政府があれだけ弾圧したせいで、オウムはどんどん過激になってしまったんじゃないですかね? そういう訳で「どんどん過激になって行ったから弾圧した」のであって、原因と結果が逆です。

the-ugly
質問者

お礼

サリン事件前にも、強制捜索したり講演を中止させたりしてましたよね。 まったく把握してないなんてことはなかったでしょう。 ある程度の弾圧はあったのでは。

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