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この考えはどう思いますか?
前提として 特別なパートナー(付き合っている人、配偶者)がいるまたは、自分の心の中に好意を抱いている人がいるなど今後は人を好きになることはしないと自戒している、眼中にない場合を除きます。 これから出逢う異性の人の中に好きになるかもしれない人物が存在しないとは言い切れない。(”出逢うことはありえない”という可能性は否定できる) そうすると今まで出逢った異性には無意識のうちに自分の好みの相手かどうか判断している。 (何度か逢っていてこの人に恋愛感情が湧かないのなら、その異性を恋愛対象かどうか識別した結果であるので一度(一瞬)はそのような対象かどうか自分の心(脳)で判断した) ということは男女の友情は成り立つが友情が成り立つ以前は当然一度は異性として意識はしたことがあるという結論に致ります。 どうでしょうか?
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- niko63
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それは否定的な考えですね、つまりまず人と言うのは特定のパートナーがいない限りは異性を必ず一度は恋愛対象になるかどうか判断して。恋愛対象にならなかった人間を友達として認識するという事ですよね。 う~んそういう事もあるかも知れませんがそれは間違っていると思います、なぜかと言う理由は自分は異性をまず恋愛対象になるのかという基準で判断していないからです…つ~か普通の人は会う人会う人みんなをそういう目で見ることはしないと思います(少なくとも自分はしない)。 まぁもしこの世の中にそういう人間(出会う異性はまず恋愛対象であるかを考える)しかいなければあなたの理論は成り立つと思います。
- betarev
- ベストアンサー率25% (157/613)
相手の年齢について条件がありませんネ。生まれたばかりの赤ちゃんや後期高齢者等はどの様にお考えですか? あなたの意見は当てはまる場合とそうでない場合の両方があるでしょう。
補足
一般的な道徳観に基づいて自発的に性交渉を行うことができる年齢帯でしょうか。
異性として意識する、の定義次第です。 この人は、私とは性の異なる人だ、と意識するのは 友情云々とは無縁の相手に対しても成立します。
補足
異性として意識する、の定義次第です。 ↓ これは難しいですよね。人それぞれです。 私は、自分の性とは違う人間と認識する場合に 異性として意識すると言えると思っています。
補足
ありがとうございます まぁもしこの世の中にそういう人間(出会う異性はまず恋愛対象であるかを考える)しかいなければあなたの理論は成り立つと思います。 ↓ 補足ですが逢った当初から恋愛対象であるかなど頭にないけど、 一目惚れや何度か逢っているうちにその人に対して感情が湧いてくるのではないでしょうか? 何も思わなければ、何も思わないで終わりだし。 逢う前から恋愛対象としてみなくても自分の好みの人が目の前に現れれば、その人のことが気になりませんか?