1990年は大発会から日経平均の下落は始まっていました。2月下旬、日経が35000円を割り、ブラックマンデーに次ぐ下落率を記録したんです。その影響を受け翌々日上海市場をはじめとする中国市場が開始早々から大暴落しました。
日経暴落を受けた国内企業は、転換社債を急遽中止せざるをえなくなり、資金調達ができなくなりました。
2月の日経暴落の日から、本格的な日経の下落トレンドが始まり、バブル崩壊の発端となりました。
住専の問題の影響で地価が下落し始めたのは翌91年以降です。
90年からの円高の影響を一番に受けたのは工業系、米国がターゲットにした輸出に関わる自動車と機械関連です。
その後数年間、欧州通貨の不安定、湾岸危機、メキシコ通貨危機等で為替の不安定な変動が続き、円高はさらに加速しました。
この頃の対円(特に対欧州通貨、対ドル)のそれぞれのチャートやIMMの枚数を見ると、マルクやポンドで円が相当数買われているのが分かります。
当時のクリントンは、日本との貿易黒字を減らす政策を推奨して政府資金の公的介入もしていました。
1995年の日米協調介入では90円をつけ、あっという間に80円台まで円高が進みました。
1月、阪神大震災を受けて一時株価も暴落しましたが、これが逆に復興の為の建築関連株や関西系列の企業を買う理由にもなってしまい、外国人のさらなる円買いを増やす結果となりました。
当時の金利は安かったので、貯蓄の金利も安いけれど、復興にかかる借金に対する金利も安く、早い復興に期待が持てたんです。
嫌な記憶もありますけど、懐かしい変動の記憶です。
お礼
詳細な説明ありがとうございました。