年配男性です。
物事をひっくり返し、さかさまにして、そして裏側からも洞察してみて結論を導かないと気が済まない変わったおっさんです(笑)
よろしくお願いします。
全く同じ見解のkyoutoukyoさんのお答えを拝見し、びっくりしました。
私も、「実はほとんどの人はどうでもいい人」と考えるのが正当だと思いますよ。
だって、生涯という人生の長いスパンをイメージし、他人との関わりに考えを及ばせてみて下さいな。
例えば、小学生の時に隣に座っていた仲のいいお友達。
さて、アナタの生涯にとってこの人とは人生の何分の一の期間接触した事になるかを考えてみましょう。
おそらく答えは数十分の一ですよね。
もっと言うと、アナタがいつも買い物をするスーパーのレジの人はいかがでしょうか?
こう考えていくと、アナタが人生の中で出会う・すれ違う・話しかけられる人達というのは、アナタの長い人生のごくわずかのシーンでの出来事にしか過ぎないわけです。
つまり、アナタの人生に与える影響度もその程度という事になります。
という事は、そのワンシーンでの出来事をウジウジと真剣に考えるに足る事ではないという事ですね。
もちろん、これは相手も同様に人生のわずかなワンシーンでの出来事ですから、アナタに対してその程度の重みしかないのです。
いかがでしょう?
こうして考えていくと、ご質問者さまが心配なさっている事がたいした事でない事に気付くでしょうか。
ただし、大切なのは「一期一会」です。
人との出会いを後悔しないためには、これら一瞬一瞬の出会いを大切にする事だと思います。
今のご質問者さまのように、すれ違った後でウジウジ考える事なく、「良い一瞬だった」と思える出会いになる努力をする事が大切だと思います。
つまり、長い人生に大した影響もないし所詮は「どうでもいい人(出会い)」だけど、その大した事のないわずかな出会いひとつで『イヤな思い出を残さないために』、です。
そして、思わずそうした一つの出会いから、一生を左右する出会いがあるかもしれないからです。
こう考える事で、明日から人との接触の仕方が変わってはこないでしょうか。
ようは、『相手にどう見られているか』ではなく、観点を変えて『自分が後悔しない出会いとする』というだけの事です。
ちょっと変な切り口のお話で、申し訳ありませんでした。