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国民の義務としての健康
慶応大学病院の近藤誠医師の著書に傾倒している私です。ご存知の方も大勢、居られるかと思います。1昨年より始まったメタボ検診はなぜ義務なんでしょうか?受けないという選択が出来ないというのはなぜでしょうか。 老いも若きも同じ数値の中に入っていなければ安心できないような情報と 健康は国民の義務ような体制は不自然に思うのです。雇用主が労働者の健康にも責任を持つという社内の健康診断とは考え方にかなりの開きがあると思うのです。医療関係者、薬品会社の方、行政の方に国民の義務としての健康ということを踏まえてお答え願えたら有り難いのですが。
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健保組合も将来的な財政負担の軽減に繋がることを期待し、 賛成している組合が多いです。 メタボ検診で果たして予防効果があるのか?医療費が削減されるのか?はわかりません。 ただ、試みとして、施策としては間違った方向ではないハズです。 一定期間経過後に費用対効果を検証を行えばよいでしょうし、その予定です。 医療の世界ではEBMという根拠に根差した事を行おうという流れあるのですが 検診で予防効果が上がり医療費が軽減するという事例は スェーデンなどでモデルケースがすでにあり根拠があります。 日本で同様の効果があるかは議論をしても結果は出ませんので 効果があると期待できるのだから実行してみて、 費用対効果を後で検証する姿勢は間違いではありません。 高額医療費については、例えば1人年間億単位の治療費がかかるケースがあります。 それが数千ケースにのぼった時に果たして国民全体で負担すべきか? は議論をすべきでしょう。 日本あっての手厚い医療ですからね。 医療亡国論はすべてが嘘ではない事は議論するまでもないでしょう。 その際混合診療も交えて議論する必要があります。 肝炎対策基本法のような一部疾患を政治的に優遇する最近の流れを見ると 抜本的に議論するタームに入っていることは私も確かだと思います。 ただ、実際に議論されるかは医療は実は政治色が強い事柄であるため 難しいのかもしれませんが
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- remonpakira
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先にものべましたがメタボ検診推進派ではないので 別に特別意見もないのですが >>生活習慣病ということばと健診はすれど治療は保険では難しいですよ 生活習慣病は糖尿病や高血圧などの事なので、これらは現状で 医療保険を使って治療をしています。 メタボ検診は生活習慣病予備軍を見つけ出し、生活習慣病に 落とさないようにするという目的で行われています。 国としては医療費削減 検診受診者としては病気にならないですむ という感じですので ご指摘の点はあたっていないように思います。 また現在は保険制度は予防的行為を一切カバーしていません。 予防接種や歯科で歯石を予防的に落とすなどは原則自費診療です。 その点は長年大きく批判されてきました。 予防に力点を置いた方が総合的な医療費を少なくすることが できるし尚且つ病気にかかるリスクを減らすことができるなら 患者サイドにとっても福音になります。 メタボ検診は予防行為に国が大きく舵をきったと評価するところも 大きいです。 予防に力点を置けば医療費の国の負担は今より減ると試算されている ため、病気になった人への対処はいまより手厚くなると予想され ご指摘の自己責任論に繋がるのでは?という点においては 机上の空論に過ぎないように思います。
お礼
有難うございます。正しい答えだと思います。私は煙草を4年前に止めました。なぜかという事は別にして、止めなければと思う増えるのです。減らそうと意識すると増えるのです。酒を止めよう思うと増えるのです。危ないと言われるほど増えたりするのです。パチンコも10年前に止めました。 やめようとすると足が向くのです。人とはそんなものだと思います。健診による、こうすればこうなるからこうしなさいはトータルではプラス、マイナスゼロ程度だとおもうのです。それに予防のための費用は各保険機関の責任になっていると思います。かなりの負担で潰れかねない組合も多数ありそうです。検査による効果がないとペナルティーの発生もあるのです。本当に理想どうりに人が予防に努力と我慢と不安に打ち勝っていけるのでしょうか。 糖尿病による人工透析はいずれ自己負担になる予定だと聞きます。本当に国がこの健診によって医療費が削減できて高額医療といわれる各医療を国民に与えることができるのでしょうか。
- remonpakira
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私もいくぶん疑念を感じている人間なんですが そんな私が理由を考えてみます。 メタボ検診の義務の精神は 憲法25条の生存権からきていると思います。 『すべての国民は健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する』 で、最高裁の判例で生存権はプログラム規定であり、 国の努力目標だ、としています。 権利であれば、義務でないので強制はいかがなものか? というのは当然の発想ですが 一方で本当は健康を望んでいるのに無知のため、不健康に陥っている人が 世の中には沢山います。国には健康を望む人を救済する努力義務があるため、 であれば一律検診が良いのでは?という発想です。 希望者のみ場合は仕事の関係で参加できない人、何より無知から生じる 自分は大丈夫という根拠なき自信を持つ人が救済できません。 知識ありなおかつ拒否したい人には迷惑な話ですが ご存じの通り、国の施策はすべての人が賛成できるものではなく 最大数を幸せにできる事を優先するものです。 知識ありなおかつ拒否したい人の煩わしさ、人数より 無知ゆえに不健康に陥り、かつ検診にこない人のデメリット、人数を 天秤にかけた時に、後者がより重いという判断だと思います。
お礼
有難うございます。憲法25条はそのとおりだと思います。 義務教育と言うものが有るようにそれもそうかと思いますが、 努力だけで痩せない人、節制しても、ストイックに生きても病はやってくる人もたくさんいると思うのです。遺伝・環境・自己責任で病気になったときに国が保険がいかに対処してくれるかが大事なことで、病気になる前にならないように気をつけるように、なったとしたらそれはあなたの責任ですよと言わんばかりの生活習慣病ということばと健診はすれど治療は保険では難しいですよ、という制度を定着するかのように思います。自己責任の追求をするかのようなものに感じます。ただ、今まで国民と国の明らかな保険制度の無駄使いを許容できたことは日本人の多数の勤勉さと病気に無知ではないということだと思います。どうでしょうか。
- alice1865
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素人考えの一つですが、 メタボの人は高血圧・高脂血症・糖尿病予備軍で この3つは日本人に最も多い3大疾病とも言えます。 肥満してなければならないわけではありませんが 肥満してなければならなかった人が大部分と考えられています。 メタボ予防でそれらの慢性疾患にかかる人が増えれば 医療費が減ります。 財政負担がその分減ります。 そういう風に考えれば国を挙げて、というのも考えやすくなりませんでしょうか?
お礼
有難うございます。そういう風に考えるようにといろんなところで訴えています。私の考えるところでは慢性疾患といわれるものは遺伝的なものと環境的なものと自信の責任の部分とがあるということと長く生きていれば老化現象として慢性疾患、生活習慣病になるのは必然だと思うのです。成人病と以前は言っていました。検査によってそれらを防いだとして、はたして国民が皆、老衰で病気の治療をする事なく死んでいけるのでしょうか。老いて長く生きてなお健康で医療費を使わずにいきていけると国の機関は考えているのでしょうか。
お礼
分りやすい説明を 有難うございました。また、勉強してみます。