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ジャパンカップの由来とは
競馬を始めて数年になりますが、 今までレース名はあまり気にした事がありませんでした。 地方専門でしたが、今回のジャパンカップには挑戦して みようと思い、出走馬をチェックしてみましたが、 かなり豪華な面子な様です。 ジャパンカップとは毎年強豪馬が勢ぞろいするようなレースなんでしょうか?
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単純に賞金総額が国内1位ですので、必然的にみんなやる気を 出してくるので、必然的に全体の馬のレベルが上がります。 ただ、年末に有馬記念が控えているので、怪我等を避ける為に 出走を見送る強豪馬も多く見られます。
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- PAPATIN329
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こんばんは。 >ジャパンカップとは毎年強豪馬が勢ぞろいするようなレースなんでしょうか? その通り。GIだし高額賞金だし。 でもその年によってメンバーの揃い方は違います。 それはどんなGIレースでも同じです。 ともかく初めてJPが開催された時は胸が躍りましたね。 この時アメリカはダート主流でしたが確か芝の賞金王の古豪が遠征し来ました。 対する日本馬もホウヨウボーイ、モンテプリンスと言う当時の最強馬が出走しました。 ところがこの二頭は5,6着ぐらい、勝ったのはアメリカの二流の牝馬でした。 レベル差を痛感しました。 数年経って日本の三冠馬二頭が出走しました。 勝てるかも。日の丸が上がるかも。大騒ぎになりました。 確かに日本馬が勝ったのですが伏兵でした。 でもこの頃から日本馬もそこそこいい勝負が出来るようになってきています。 国際競争は地の利と言うか地元馬に有利なレースと言えるでしょう。 ヨーロッパみたいに近くて地続きの国々は解りませんが。 あっと、思い出話になってしまいました。 最近は海外でも高額賞金の国際レースが沢山ありますから、外国の強豪馬はそれほど 毎年揃う訳ではありません。 日本の強豪馬は秋のローテーションに入ってますので調整が付かない限り出走するでしょう。 -----以上
簡単に言えば日本の競馬のレベルを世界レベルに引き上げるために 行われるようになった国際招待レースです。 外国から競走馬を招待して、日本のトップレベルの馬とレースをします。 第1回から最初の3年間は日本馬は全く歯が立たず、 のちに”皇帝”シンボリルドルフを管理することになる 野平祐二さんは、当時の新聞に海外との”絶望的な差”を嘆くコメントを 書かれていたそうです。 1984年にやっとカツラギエースが日本馬で優勝して、 それから日本馬も勝てるようになり、過去28回で、日本、外国馬 各14回づつ勝っています。 明日開催されるのは芝の方のジャパンカップ。来週は阪神で ジャパンカップダートが開催されますよ。 招待される外国馬は年によって差がありますが、過去には凱旋門賞馬とか 世界的に有名な馬、ジョッキーが来ています。 今年の目玉はBCターフ連覇のコンデュイット。これが引退レースで 引退後はビッグレッドファームで種牡馬になるそうです。 (私も買います!) 翌週のJCダートは、去年、地方からはフリオーソが出ましたね。 今年最大の目玉はなんと言ってもサマーバード! 今年のベルモントSの勝ち馬。その年の米国クラシックホースが 参戦するのは初だそうです。 おととしまでは、JCウィークとして、東京で 土曜:JCD,日曜:JCと、2日にわたって開催してましたが、 JCDのほうは、売り上げが毎年異常に少ないため、1週ずらして、 開催場所も阪神のダート1800に去年から変更されました。 JCを開催するようになって大きくレベルアップしたのは 馬のレベルもそうですが、なんといっても芝生の管理、生育技術。 30年弱の間に飛躍的に進化しました。 第1回のときは外国の関係者から 「日本の競馬場はどこに芝生があるんだ!」と罵倒されるくらい ひどいもんだったそうです。 以後、芝生の管理、生育に対する研究をかさねて、 いまでは冬でも芝がきれいに生えている状態を実現させています。
- gohara_gohara
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ジャパンカップの創設は1981年と、日本の大レースとしては比較的、歴史は浅い部類に入ります。 クラシックや天皇賞は戦前から、有馬記念が1956年、宝塚記念が1960年なので、それらと比較するとかなり新しいレースであることがわかると思います。 ジャパンカップの出走馬に関しては、日本馬と外国馬にわけて考える必要があると思います。 日本馬に関して言うと、出走馬がこれだけ揃うようになったのは2000年以降のことです。 1990年代までは、3歳馬馬は菊花賞からローテーションの関係で出走することが殆ど無く(中2週のかなり過密なローテーションになりました)、また、賞金額が天皇賞や有馬記念と同額であるため、ジャパンカップよりも伝統のある天皇賞や有馬記念を目指す、というパターンが少なくなかったからです。 1995年は秋の天皇賞1着のサクラチトセオー、2着のジェニュインが揃って回避して有馬記念へ回り、1996年は古馬3強と言われたサクラローレル、マヤノトップガン、マーベラスサンデーがすべて回避してしまうなど、あまり重視されるレースとは言えず、積極的に出走する日本馬はクラシックや天皇賞に出走権のない外国産馬が主でした。 それが、2000年の番組改編により、菊花賞が2週間前にずれ、また、ジャパンカップの賞金が増額されたことにより、出走馬が揃うようになりました。 現在、秋の天皇賞の1着賞金が1億3500万円、有馬記念が1億8000万円に対し、ジャパンカップの1着賞金は2億5000万円ですから、飛び抜けて高額であることがわかると思います。これにより、日本馬が目標とするようになった、と言えるのだと思います。 対して、外国馬については、2000年代に入って出走馬があまり揃わなくなってきています。 創設された当初の1980年代もそれほど揃わなかったのですが、これは日本の競馬というのが国際的にあまり認知されていないことが原因でした。しかも、それほど名の知られていない外国馬に、日本勢は勝てなかったので余計にです。 ただ、それが幸いというか、それほど日本馬が強くないが、賞金額は高い、ということもあり、外国馬が出走するケースは多くありました。先に日本馬が揃って回避した1990年代の半ばは、1992年にBCターフ1着のコタシャーン、96年に、翌年のドバイワールドカップを勝つシングスピールや凱旋門賞馬エリシオ、97年に英チャンピオンSなどを勝ち2年連続凱旋門賞2着のピルサドスキー、99年は仏ダービー、凱旋門賞勝ちのモンジューが出走するなどかなり豪華でした。 しかし、近年は日本の固い馬場を嫌って出走を回避する馬などが増えて、当時ほど有名な馬が揃うことはあまりなくなりました。 今年は、BCターフ2連覇のコンデュイットという大物が来日しましたが、この馬は引退後、日本で種牡馬入りすることが決まっており、そちらの関係というのが大きいと言えます。 賞金額などの関係で、日本馬の出走は積極的になりましたが、それに対して、外国馬は、どちらかというと大物の出走が減っている、というのが最近の状況であると言えると思います。