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いい人間になるためのヒントをください
いい人間になるためのヒントをください こんにちは、お世話になります。 以前にOKWAVEで「いい人間になるには」という趣旨の質問を見かけました。 とても素晴らしく向上的な考えで素敵な質問だった、と思っているのですがそれを読んで私も「いい人間になりたい」と思うようになりました。 「いい人間」の定義付けが凄く難しいのですが、私にとっては誰かを笑わせることだったり、不安を取り去ったり勇気付けたり、問題を解決する手助けができたり、前向きさを与えることができたり、何かを気付かせることができたり、喜んでもらえるような人が「いい人間」だと思っています。 しかし、今の自分はそういう人間ではないと感じます。 あまり自分を批判しようとしたいわけではないのですが、頭が固くて怒りっぽく、人を許すことがヘタクソです。 また、嫌いなモノや許せないコトなどがものすごくたくさんあります。 また、「無償の愛」とか「奉仕の精神」的な動機ではなく、それによって誰かと仲良くなったり尊敬されたり、自分の中で新しい何かを生み出すためのきっかけや誰かや自分へのプラスにできる事をすべからく期待します。このように書くと結構打算的に見える気もしますが、聖人君子のような人になりたい・なれると思っているのではないのです。 そのために「嫌いなモノや人、明らかになんのプラスにもならなさそうな意見などに対していい人間であろうとすることができない」ということがよくあり、これがなくせればいいな、と思っています。 そこで、以下二点を質問させてください。 質問1 「いい人間」像についての見解は人それぞれだと思いますが、私の思ういい人間像は何だかヘンでしょうか? 質問2 私はとりわけネガティブでもポジティブでもないフツーの男だと自分では思っているのですが、私が「いい人間」になるにはどのような方向に努力するとよいでしょうか? かならずお礼とポイント付与を行う予定です。 たくさんの回答をお待ちしております。 批判的な意見もかまいませんが、内容がなかったり意味不明なものだと困ります。 宜しくお願い致します。
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私は恐らく質問者様より年上の男性です。 「いい人間」の意味や定義付けは質問者様も仰るように難しく、これだと言えるものはありません。ただ、間違いなく言えるのは、「いい人間」には、なろうと努力してなるものではないと思うのです。なろうと思うと邪念が入り、偽善っぽくなるでしょう。では、どうすれば「いい人間」になれるかですが、あくまでも私見であることが前提ですが、二つあると思います。 一つ目は、平凡な人生を歩くのではなく、山あり谷ありの人生、つまり色んな経験を積んだり経験することです。例えば、誰もが経験したくない挫折、失業、失恋、離婚、病気…等など。これらは、辛く、悲しく、苦しいことです。しかし、これらを経験することで、他人の痛みが分かり、優しい気持ちが養われます。 逆に、恋愛、結婚、遊び、成功体験、何かに秀でる。これらは、幸せ、嬉しさ、切なさ、自信、余裕などが養われます。これらは、他人への思いやりや気遣いが出来、そして、心を豊かにしてくれます。 これだけでも、平凡に生きるのとは違う人間味溢れた人になることがお分かりになると思います。もちろん、全ての人がそうなる訳ではありませんが。 二つ目は、何事に対しても感謝の気持ちを持つことだと思います。自分を生んでくれた両親、友人やパートナー、三度の食事が出来ること、健康であること、どんなことに対しても感謝の気持ちを持つことで、自分は自分の力や能力だけで生きているのではなく、周りの人達によって生かされているのだと知ることが出来ます。また、どんな人に対しても、受け止められる心が養わることによって人望が出来、信頼される人間になると思います。そのような人には、自然に人が集まってくるものです。 以上を集約しますと、「いい人間」は「ローマは一日にして成らず」で、人生経験によって、後から付いてくるものです。それを経ずして、質問者様が考える、「問題を解決する手助けができたり、前向きさを与えることができたり、何かを気付かせることができたり、喜んでもらえるような人」にはなり得ないのです。 まずは、何事にもチャレンジして、失敗や成功を繰り返すことによって、質問者様には是非とも「いい人間」になって欲しいと思います。 アドバイスになれば幸いです。
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- 8823kin
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映画『アイアム・ア・レジェンド』みたいに 自分以外の人間が存在しない場合は 「いい人間」になる必然性はありません。 「いい人間」になる…… やはり、相手あっての事。 誰かに評価してもらえて、 それで初めて「いい人間」になれそうです。 「いい人間」になるにはどのような方向に…… ヒントになるかどうか?は解りませんが、 私は単純に、自分の『定規』を 幾種類か身に付けられるように 普段から意識しているつもりです。 『定規』って、自分が対外的に考える 価値基準であり判断基準みたいなモノです。 40歳なら40cmの定規(モノサシ)なんですが、 年齢に比例するとも限りません。 50歳でも20cmくらいしかなさそうな人もいて…… 人さまざまですから……。 私の『定規』とは、 言い変えれば「趣味の深さ」みたいなモノなんです。 さまざまな話題(趣味を含め)に対して、 自分がどの程度入って行けるかを知る モノサシみたいな存在なんです。 あるモノに対してはミリ単位まで測れるような そんなモノです。 例えば「ゴルフ」の話題や問題が起きた場合、 自分がそれに対して どこまで踏み込んで対応出来るのか… そんな「体験」や「知識」のレベルなんです。 いいかげんな定規では、計れません。 この「ゴルフ」の部分が、 時には「恋愛相談」になったり 「社内トラブル」になったりするわけです。 「問題」が起きた場合、「相談」された場合に限り、 私の『定規』は目を覚まします。 普段は出しゃばらずに引き出しの中です。 いざ、と言う時に、 自分の育てて来た定規が 自分の引き出しからすぐ出てくるのか? それを幾つ持っているのか? それが、私なりの「いい人間になる」条件です。 「いい人間」と言うより 「いい大人になる」条件のような気がします。 50代になりましたが、 もちろん、私も修行中のままです。
お礼
回答ありがとうございます。 面白い考え方だな、と思います。 私が知りたいのは「定規をどうやって育てるか」ということになってきそうです。 また、すごくいい定規であっても使い方を学ぶこととその定規そのものの精密さを醸成するのとではやはり丹精する方向性が違うのかな、と思います。 もっと考えて考えて、動いて動いていろいろな経験を積もうと思います。
- suroeste
- ベストアンサー率47% (776/1644)
苦労して苦労して、それでもその苦難を乗り越えた人は、いろいろ困っている人の気持ちがわかるいい人になれると思います。 自分に降りかかる、苦労から逃げ回らないで、楽してよい思いだけしようとせず、困っている人と一緒に手伝ってあげるといいと思いますよ。自分に起こる悪いことも、これはよい経験と思って、悲観せず取り組んで1つずつ乗り越えてください。 でも、わざと自分から自分に悪いことを起こすのは考えものです。悪いことが自分に起こらないなら、下町の労働者の集まる居酒屋などで困っている人や社会の底辺で懸命に生きている人の話を聞いて、自分で考えるだけで、こんなに苦労してもへこたれず一生懸命生きている人がいることを知れば、恵まれている自分はもっといいことを苦労しないといけないと自然に思えて、人の苦労のわかるいいj人に近づけると思います。
お礼
回答ありがとうございます。 「苦労がわかる」「人の気持ちがわかる」というのは確かに大事なことかもしれません。 前向きさで持って、全てを経験として消化できるなら人間的に大きく成長できそうです。それはいい人間に値がづく方法といえそうですね。 自分には妥協しすぎずある程度厳しくいよう、と思います。
- f5system
- ベストアンサー率8% (79/896)
良い人間になるポイントは、 人の噂や報道の内容を鵜呑みにしない、 冷静で公正な判断基準を持つことなのです。 また、その判断基準すら常に疑うことです。 判断基準は時代や国境や人種や立場で変わってしまいます。 常に正しい心を維持すること、イコール正しい人間と言えるのです。
お礼
回答ありがとうございます。 私にとっては「いいこと」と「正しいこと」は必ずしもイコールではないです。 しかし、一方的な見方になっていないか自分を疑うことは大切かも知れませんね。
- kyo-mogu
- ベストアンサー率22% (3398/15358)
良い人間とするには、相手が必要です。相手から見ていいひとかどうかの判断になります。 ある人にとっては、使いっ走りする人がいい人ですし、文句を聞いて入れる人がいいひとだったり、自分の思いに従ってくれる人がいい人なんですよ。 怒りやすいけど、助けてくれる人もいい人です。 ただ全体に言えるのは行動力です。動いてくれないといい人も台無しですね。 私もいい人に見られます。人間ですから怒ったりもします。断ったりもします。 相手からの要求を受け止められる精神的な余裕なども必要になります。これは多くの事を経験したりして自分なら出来るという自信も必要です。後は失敗しても良いからしてみるなどチャレンジ精神も必要ですね。私は頼られることも多いです。可能な限り自分で出来る事をしています。それとあれこれ悩むのが嫌なので、自ら引き受けることもありますよ。それもまた経験ですね。 まず、自分の出来る能力などを把握して下さい。そしてちょっと自分の出来る範囲を超えた部分まで手助けするなどしてください。多少の無理が出来る程度ね。まったく出来ないことは断っても問題無いです。そして頼まれたことを努力してしてくれると「いい人」になれると思いますよ。
お礼
回答ありがとうございます。 そうですね、いろんないい人が居るんだと思います。 私は私の基準を大事にしようと思います。 自分をしっかりと分析して、何ができることですべきことかを考えるのも大事なことだと思います。 私がいい人だと思うときって「私のために頑張ってくれてうれしい、ありがたい」と「すごく役立って助かった」というのが両立しているときだとふと思いました。 そうなれるよう考え、動いていきたいと思います。
- Sequoia
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>質問1 >「いい人間」像についての見解は人それぞれだと思いますが、私の思ういい人間像は何だかヘンでしょうか? 相手の人の状況を見極めて、それがためになると判断して行うのであれば良い事だと思いますよ。 >質問2 >私はとりわけネガティブでもポジティブでもないフツーの男だと自分では思っているのですが、私が「いい人間」になるにはどのような方向に努力するとよいでしょうか? 貴方の文面に「頭が固くて怒りっぽく、人を許すことがヘタクソです。」「嫌いなモノや許せないコトなどがものすごくたくさんあります。」と書いてありましたがコレに関して感じた事を書きますね。 おそらく貴方は事物の多面的なものの見方ができてないのではないでしょうか。何故怒りたくなるのか?何故人を許す事ができないのか?それは自分の枠にはめて物事を判断しようとしてるからではないでしょうか。世の中には色々な考え方の人がいますし、皆それぞれ自分の人生を歩んで来てる人達です。自分以外の人の「どんな時にどういう挙動を起こしているのか」、全てを把握はできませんよね。嫌いな物、許せないコトをすぐにNO!と言わずに相手の事を考え理解しようとする、思いやりの心を持つ事はとても大事な事だと思いますよ。 まずは物事をグローバルに見れるようになるといいかもしれませんね。
お礼
回答ありがとうございます。 >良い事だと思いますよ ご理解いただけたようでうれしく思います。 もちろん対象に対して押し付けたり、伝わらないような形で齟齬を生じさせるようなことのないよう、よく相手の事を観察し考えることが大切だと思っています。 >多面的なものの見方ができてない 最近そう思うことがとても多いです。 ただ、全てを迎合することはそれはそれで間違いとも思っているし、それが必ずしも思いやりであるとは思わないので自分の中にある価値基準とよく向き合いたいと思います。
お礼
回答ありがとうございます。 >偽善っぽくなる これもなんだかよくわかります。自然に「いいこと」ができるというのは前提的な条件なのかもしれません。 いいことも悪いこともたくさん経験して人間性を醸成していく以外なさそうです。 目指すものに近づけるよう、柔軟になれるように心がけてみます。 参考になりました。