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学部学科はどこまで増やせるのか?
最近、大学の学部学科で聞きなれないものが増えています。 人間科学部とか 国際関係学部とか コミュニケーション学科とか 未来創造学科とか ああいうのはどこまで新しいものが作れるのでしょうか? 目新しくして受験生の気を引くために従来の学部の看板の架け替えをしているだけ、ってことはないのでしょうか? たとえば、従来の経済学部の中身を何も替えずに 「新経済学部」、「21世紀経済学部」と呼称したりしてもいいのでしょうか? またそこの学部の卒業生は 「新経済学士」「21世紀経済学士」という学位が得られるのでしょうか?
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>ああいうのはどこまで新しいものが作れるのでしょうか? 造語力が続くかぎりできうるんじゃないですか 笑。英語に訳せないもの(それは無意味だということ)が多くなって困りますね。これは受験生には不親切きわまる状態だと遺憾に思います。 >目新しくして受験生の気を引くために従来の学部の看板の架け替えをしているだけ、ってことはないのでしょうか? いくつかの要素があり,これらは独立ではなく,複合しています。 1つは質問にあるとおりで,「農学部」や「家政学部」ではもう学生が来ないので,「環境生産学部」とか「生活科学部」という名称にするという例があります。 2つは,戦後最大級の愚策と記録されるであろう小泉構造改革のために,既存のシステムをがちゃがちゃにしろ(そうすれば万事よくなる)という無謀な指令が文科省から出されたことがあります。このために,歴史学科と哲学科をあわせて人文科学科と改称するような騒ぎになりました。もちろん,教育(カリキュラム),予算,人事,入試の基本体制すべてがひっくり返り,大学ではたいへんな時間と労力の浪費をしてきました。この騒動は,膨大な国家的損失になるでしょう。 3つは,教育学部で教員になれる卒業生がへり,教員養成課程のほかに教員免許をとらない課程(俗称はノー免とかゼロ免)を別につくりました。学部全体の学生定員をへらすことができないからです。なぜなら,国数英社理・・・という各教科を教えるのに必要なので教員数を減らすことができないので,比例関係にある学生数も減らすことができなくなるのです。このノー免課程は,各教科の混成部隊になるわけなので,その共通項的なへんてこな名前をつける必要がでてきます。 >従来の経済学部の中身を何も替えずに「新経済学部」、「21世紀経済学部」と呼称したりしてもいいのでしょうか? できないと思います。大学設置審の審査を受けないといけないので,中身が同じでは認可されないはずです。上述したような「騒動」をする必要があるでしょう。
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- riripasu
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>目新しくして受験生の気を引くために従来の学部の看板の架け替えをしているだけ、ってことはないのでしょうか? そういうこともあるかもしれませんね。 例えば、家政学部被服学科を、 生活科学部服飾デザイン学科と変更する。 といったこともありそうですし・・・。
お礼
ご回答ありがとうございました。
- tekcycle
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> 「新経済学部」、「21世紀経済学部」と呼称したりしてもいいのでしょうか? さすがにその名称はどうかと思いますが、もう少し上手くやれば可能かと思います。 もっぱら経済予測をする未来経済学部とか。 工学部と理工学部と理学部、何が違うんだ、というのが実際にあります。 理系の場合は、学生目当ては目当て(つまり経営の問題)でしょうが、もう一つ、学者のポストの問題もあります。 自分の弟子の行き先を確保する、それが増えれば良い、なんてことです。 > 目新しくして受験生の気を引くために従来の学部の看板の架け替えをしているだけ、ってことはないのでしょうか? そういうことも当然あるでしょう。 ただ、社会的に用を終えたような専攻、専攻名もあるでしょう。 学者が学問進めていったら何やらそっちの方向になって行った、なんてこともあるでしょうね。
お礼
ご回答ありがとうございました。
明日の入試の準備がやっと終わったので,No.1の補足をします。 「2つ」のくだりについて。 ・歴史学科と哲学科を単純に合併するだけではありません。そこからギリシャ哲学やヨーロッパ中世史をやっている教員を,「ギリシャ語やラテン語ができるから」という屁理屈で言語文化学科に移籍するようなこともありました。だから,「言語文化学科なのになぜソクラテスの研究をしている教員がいるの?」と学生が不思議に思う事態も生じますし,「ギリシャ哲学をやるなら言語文化学科を受験したほうがいい」などと理解に苦しむ進学相談が発生することになります。 ・このソクラテスの先生はもとは哲学科の所属ですから,退職したときに後任人事が問題になります。哲学で募集するのか,それとも需要が増えてきた中国語で募集するのか。この争いで血の雨こそ降りませんが,学部長が仲裁に入る事態には発展します。大学もふつうの人間の職場なんですね。 ・カリキュラムでは,たとえば歴史学科は2年生から演習を行い,哲学科は3年からだったとします。新しい人文科学科では何年からやるのか。ここでもお互いの教育理念をかけた論争になります。それ以外にも,選択科目の幅が広がったために専門的に高度な日本史の卒論が書けなくなったとか,共通科目として新設した「人文科学入門」は哲学と歴史で半分の7回ずつ分担するのか,などの問題が生じます。歴史の文献実証的な方法と哲学の思想的な方法では,卒論のスタイルも違いますから,その評価をどうするのか。 ・予算面では,歴史学科がもとは実験講座(予算配分が多い)であり,哲学が非実験だったとします。合併後はどちらで予算が来るのか(たいていは低いほうに合わせて経費節約をする),分け方に傾斜をつけるのか,ここでも一悶着が起きて延々と会議を続けることになります。また,学術雑誌の定期購読費用を,歴史は教員個人が,哲学は学科共通で支出していたとすると,新学科ではどうするか。 ・その他,うんざりするほど,いろいろな問題。 まあ,ぼくの大学人生の後半は,こういうことで空費された(現在進行形)わけです 爆。へんてこな名前の学科は,こういう問題をかかえています。教員の陰の努力で,学生さんには不利益が生じないように隠されていますけどね。
お礼
ご回答ありがとうございました。
お礼
ご回答ありがとうございました。 学部学科名が変遷していくのは時代の流れなのでしょうが、自分が卒業した学部学科名がなくなってしまうのはさびしいですね。