違和感の正体?
たとえば、子供を育てるときに、母親がまったく当たり前のように、
すべてのことに完璧なウソを教えていったらどうなるか、
と考えたことがあります。本当に繰り返しやっていくと、子どもは
そういう世界に慣れてしまう。
あるとき、外へ出た瞬間に母親の言っていたこととまったく違うという
ことに気がつく。
そのときにどういうことが起きるか。
子どもは外の世界をニセ物と考え、自分の世界を本物と考えてしまう。
非常に大きな乖離が発生するのです。
精神医学の世界でいえば、分裂病は、根本的にはそこにあるのだと
言えますし、
なにも分裂病にかぎらず、我々も日常的に違和感を覚えながら
生活してるはずなんです。
他人に対する違和感であったり、社会的現実に対する違和感であったり、
宗教の教義に対する違和感であったり、、、。
プラトンでいえば、現象に対する違和感であったり。
デカルトだって世界に違和感を抱かなければ、『cogitoergosum』なんて
言葉を残さなかったはずなんです。
『死後の世界』を本物とみなし、今生きてる世界は仮の世界だと思えば、
違和感なくして生きられない。
ある宗教団体に洗脳された信者が『違和感』さえ抱かなくなることだってありえる。
『正義』は正義に反する者に違和感を覚え排除したがる。
鑑定人はブランド品に違和感を覚え、偽と判定をくだす。
東大生が大学の教えと社会が違ってたことに違和感を覚え、裁判所に訴える。
こう考えていったら、『違和感』を抱くことはバランス感覚として非常に
重要だと思いますが、逆にその『違和感』によって奇妙なことがおきてしまう。
その『違和感』を正しく導く真理などができても、逆にその真理によって
新たな違和感 がでてきて困ると思うんですね。
どうおもいますか?
お礼
ご回答ありがとうございました。