#16, #17です。質問者様はただ単に教師にイチャモンを付けたいだけで、社会経済の全体の中で教育問題を真摯に考えているわけではないことが分かりました。
教師の労働に全く期限がないと本気でお考えですか? 毎週複数の授業をするための準備はいつするのでしょうか? 「次の授業」をしなければならないというのは期限に他なりません。また、その授業は指導要領に沿って内容を網羅していくものでなければなりません。(実際には昭和の戦争時の歴史をほとんど扱わずに終わりにしてしまう教師が居て、それで許されているのは、文科省、教育委員会、教師、親共におかしい) また、試験はいつまでに作成しなければならないか、採点をいつまでに終わらせて成績表を付けなければならないか、すべて期限に縛られています。真面目な教師はそれをすべてキチンと期限内に終わらせるために、授業の空き時間はもちろん、放課後部活が終わった後も時間を取られます。更に、成果主義として、新しい学問的知識を更新していくとなったら、長期休暇中しか時間は取れないでしょう。その時間も次の学期の準備をしているわけです。また、長期休暇中に出した大量の宿題の採点をするならば、次学期が始まった直後は採点に時間を要するので、数週間分の授業準備はすべて長期休暇中に終わらせて置かねばなりません。複数科目を教え、上記のことをすべてやろうとした場合、2倍の時間がかかることをお忘れなく。そのため、複数科目の担当は教師本人の自己責任に基づく希望のみに拠る、と制限を付けました。更に、試験において選択問題を禁止して記述問題にした場合、採点にかかる時間が大きく伸びることになります。受験産業化のために選択問題・知識問題が氾濫したわけで、学校での試験問題が知識偏重(考えることではなく)になっていったのもこうした産業化の弊害ですから。
また、中卒に関しては、経済的な自然の流れから給料が上がっていくことは必死です。高卒採用が減っていくことになるので、高卒を採用できる企業はある程度の仕事の可能性がある魅力のある部分に限られていくことになると思います。おそらく現在の大卒レベルの仕事が高卒に振り分けられていくでしょう。変革後の大卒レベルは現在の修士レベルになっていくと思います。とすれば、現在の高卒レベルの仕事は変革後の中卒レベルになっていくことになります。単なるモラトリアムとしての高校・大学は必要ない。専門学校関係は中卒から入学を受け付け、実務レベルの教育を分担していけば良いと思います。また、インターンシップなどをもっと広範囲に適用し、教育の実態が実社会と乖離して行かないようにする工夫も必要でしょう。
教育改革は、社会全体の改革を含まれていなければならず、それを無視した教育だけの改革は意味がありません。また、教育に言う成果主義とは平均点を何点上げたということではなく、生徒が知らなければならないこと、考え方の根本を十分に教えたかどうか、子どもがそれを実行できる状況になっているかどうかが判断されるべきです。現在の相対評価制度(5は何人までというような)ではなく、絶対評価で判断していくべきと考えます。何人居ようがテストの成績80点以上は5、と言ったような。50点以上取れない場合は、単位を上げないという形にします。受け持ちの生徒の5割以上が毎年単位を取れないような場合は、教師の能力不足を考えていく必要があるでしょう。
そういう意味での成果主義導入は必要と考えます。ただし、こうした教育に右翼的、左翼的な偏向を付けてはならず、文科省および教育委員会による偏向評価は排除されるべきです。
お礼
回答ありがとうございます。 すいません、この前の週末にいやな教師に会ったので少し私情をはさんでしまいました。しかし、確か絶対評価はもうすでに何年か前からなってると思います。 つまり、こういうことですよね? 今の高卒レベル→中卒 今の大卒レベル→高卒 今の大学院→ 大卒