- ベストアンサー
文科省の改革で国の教育は改善されるのでしょうか
- 国の教育を改善するために文科省が行った改革について、その効果を疑問視する声が上がっています。
- 現代の学校や進学塾では、新大学入試制度を意識していない一方通行な講義型の詰め込み教育が行われており、その効果について疑問が呈されています。
- 教育の抜本改革を行うためには、小学校から英語を本格的に取り入れるなどの取り組みが必要であり、国のトップや研究者の育成にも疑問が残ります。
- みんなの回答 (5)
- 専門家の回答
質問者が選んだベストアンサー
官僚も政治家も 何か問題が発生すると 対症療法しかしていません。 原因を究明してそれを取り除く根治療法は一度もしていないと言ってよいでしょう。 その結果 一時的に収まるだけで すぐに形を変えて現れます。 それが現在の教育の現場です。 現在の問題は モンスターペアレントですか? そういうものを作りだしたのも対症療法しかしなかった結果でしょう。
その他の回答 (4)
- eroero4649
- ベストアンサー率32% (11074/34516)
>講座の振替に関しては振替がほとんどない生徒の成績の方がそうでない生徒よりも伸びるという蓄積されたデータがあります 「木を見て森を見ず」ですな。授業を受けるチャンスが多いことは教育を受ける権利に基づいています。そこが貴殿は分かっていない。データに基づくのはビジネスとしては正しいけれど、教育としては間違い。目の前の数字しか見えていなくて「教育を受けるのは人間である」ということを忘れておられるようです。 伸びる可能性があるならば、データ的に効率が悪くても、やるべきである。振替の授業も受けられないなら、そこの部分を教わる機会がどのみちなくなる。そうではないですか?もし貴殿が上司から「データ上君の伸びしろはもうないから、もう君には期待しないし会社としても投資しない」っていわれたらどうなりますか?「データがそうだから目の前のこの子もそうだ」と考えている教育者がいたとしたら、その人は救いがたいバカですね。 もし貴殿が教育に携わるお仕事をしているなら、それは貴殿には不向きですから違う業界に転職されることをお勧めします。効率を求める業界は世の中にいくらでもあります。私も企業で新人さんを教育、研修する仕事をしたことがあるけれど、効率至上主義で人を見ても人材は育たないですよ。 教育の真の目的は「教養を身につけること」であり、テストの点数はそれを判断する指針のひとつにしかすぎません。本来は大学のような高等教育はテストの点数だけに基づいて選抜するものではないのですが、さりとて他に効率が良い方法があるわけではないのでテストの点に頼らざるを得ないというのは現実としてあります。 欧米などでは、高等教育は「入口は比較的広いが、出口が狭い」ということもありますね。日本は長年その逆でやってきました。現状の日本の「入口は狭いが、出口は広い」というのは少子化社会では難しいですね。それをやろうとするなら、大学を潰して減らすしかないですから。 >ここ十数年間で公立上位校や難関国私立高校に合格できるお子様の学力水準が低迷しているのはまぎれもない事実です それはゆとり教育の失敗でしょ。ゆとり教育は明らかに失敗でしたよ。そこは私も異論はありません。だからまた違うやり方にしようとしているわけです。 私は公立高校の入試問題を新聞でチェックする程度ですが、10年くらい前からかなあ、ずいぶん簡単になったなあという印象は受けています。もう長いこと勉強をしていないオッサンが問題を見て「そんなに難しくない」と感じてるくらいですからね。 ちょっとレベルを下げ過ぎたから、またちょっと戻してゆきましょうということではないのですかね、最近の教育方針は。 教育って「そもそも考えるってなんだろう」「学ぶってなんだろう」という哲学が必要なんですよ。貴殿はその哲学がなくて紙の上の数字だけという非常に狭い世界だけでモノを見ているのです。 もし貴殿が教育に携わる仕事をしているのだとしたら、自分の仕事をコンピューターシミュレーションゲームと勘違いしていてあまりに人間を知らなさすぎる。
- eroero4649
- ベストアンサー率32% (11074/34516)
>一方通行な講義型の詰め込み教育を「価値がない」と決めつけ、本来の「児童」「生徒」「受講生」を「お客様」のように扱うの何故ですか? 一方通行型の講義スタイルではもう通用しなくなったからですよ。昔そのやり方で上手くやっているように見えたのは、分母である子供の数がとてつもなく多かったからです。私は受験戦争全盛期世代ですからよく知っています。「落ちこぼれているやつは勝手に落ちこぼれていろ。必死についてこれるやつだけ引っ張り上げる」ってやり方でも、私らの時代は必死についてくる子がそれなりにいました。でもそれは割合の問題であって、今も昔もその割合は大差ないんですよ。でも分母の数が違いすぎますから、今そんなやり方をやったら「大多数の落ちこぼれとごく一部のエリート」になってしまいます。 >勤務中の塾の教室では生徒の自己都合で休んだ同一内容の講座を別の曜日に振替受講させるなんてことが横行しています。私の時代には聞いたこともありません それは今の時代が正しく、質問者さんの時代が硬直的でもう時代遅れなのです。「一度決めたものを動かせない」なんて、硬直以外の何物でもないじゃないですか。 質問者さんがいうことをスポーツに例えるなら「最近の部活はやれ休みをするとか水を飲むとかやっているけれど、そんなことをやるからぶったるんどるんだ。俺の時代は正月以外は休みなしで毎日練習していたし、水なんて飲まなくて練習してても熱中症で倒れるやつなんてほとんどいなかった!」っていってるようなものです。 質問者さんの時代と今では、若者を取り巻く環境が違いすぎます。時代に合わせてやり方を変えるのは当然のことだと思いますよ。もちろん、その方法論に文句をつけるのはあるとは思いますが、もしそうならば「そうではなくて、私はこうするべきだと思う」と自分の意見も述べるべきだと思います。
補足
折角回答していただいたのに無礼承知で申しますが、講座の振替に関しては振替がほとんどない生徒の成績の方がそうでない生徒よりも伸びるという蓄積されたデータがあります。宿題の分量もテキストの内容も無駄がありませんので水を飲ませない指導とは全くちがいます。 デタラメな主観で申し上げているのではなくて、時代の要請に応じても、例えばここ十数年間で公立上位校や難関国私立高校に合格できるお子様の学力水準が低迷しているのはまぎれもない事実です。
- Yumikoit
- ベストアンサー率38% (849/2209)
現在の教育現場の在り方についてのご質問とお見受けします。 我が家の長男はまさに、典型的な受験校、進学校に通っています。詰込み型教育で、学校の先生に生活管理上のご相談などはできない雰囲気ですね。授業も化学実験などはなく、白衣の購入もありません。家庭科の調理実習は何度かあったようですが…。受験に備えてなのか、ネクタイの締め方なんてやったようです。 基本、何か面白いような時事問題の話題を振っても「それは受験に出ない」と切って捨てるところがあります。 一方、次男の方は高大一貫の付属校。基本何でも自己責任。宿題、レポートは詰込み型教育ではなく、正答のない「考えさせる問題」。通り一遍の手抜きレポートも可能だけどツッコんだ調査と長考を必要と考える子には何か月猶予があってもできないようなレポートが出たりします。(次男のレポートの取り組み姿勢が前者なのが残念) こちらは、「詰め込み教育」の部分は自分でできる前提でカリキュラムを組まれているので、英語などの授業などである程度単語のミニテストなどはありますが、あくまでも「ある程度」であってそれ以上は自分で勉強する前提です。 要は、その高校、塾がどういった方針で母集団となる生徒を集め、どういう教育方針を立てているかですよね。ひいては教育にどれだけの資金をかけられるかといった家庭経済事情と共に教育理念の内容も背景としてお子さんの育った環境を含む親御さんについても、入塾に際して目に見えないながらも選抜の対象になるわけです。塾が行う保護者向けの説明会その他では保護者の教育も一緒に行っていくことで保護者と塾の在り方も自然に整っていく。(まぁクレーマーはどこにでもいるんですが、説明会や契約書類などである程度予防線を引く効果もあります) 大学受験をお題目としているなら、大学合格を目標とした語りかけ、教材の作成が必要となる。我が家の二人の子どもの高校は、両方とも文科省標準の教科書は使っていません。購入だけはさせて、もう一冊、別の授業で使う教科書も購入させて、普段はそちらと先生が別に用意した教材を使うようです。 質問者さまの塾の経営者は、合格率だけではなくそういう周辺サービスまで拡大しないと生徒さんを集められない状況に来ているのではないでしょうか。やりすぎるとクレーマー保護者の餌食になるだけかなとは思うのですが。 実際に地域に住む子どもの数は激減の一方なので奪い合いになってるのは確かのようですね。 どうやって地域の他の塾と差別化するか、それが学力や情操教育とは別のフィジカルな条件が必要になるのは残念なことです。 結局のところ、いくら「考えさせる」教育を施そうとしても考えるためのカードをそろえておかなければ有益な思考能力は育たない。そのカードをそろえるための一つの方法があなたのいう「詰め込み教育」だと私は考え、子ども達に伝えています。 ちょうど高校1年で習う速度・加速度・進んだ距離について考えるためには高3の「微分積分」を習ってからの方がわかりやすい。長男にそういったところ、長男は高1の間に3年間の数学の教科書を終わらせて物理に取り組んでいました。 そういう見通しがあることで学びに対するモチベーションを養えると。 次男も長男と同じく単語を一つ一つ覚えたり丁寧な計算問題をこなしたりといった地道な勉強が大っ嫌いなんですが、ニュースを見て興味のある話題は片っ端からネットで調べたりといった形で「考えるためのカード」を自分でそろえていくのは好きなようです。 塾・進学校も色々かなと思います。高校受験で子ども達の通った塾は完全習熟度制でいわゆる詰込み型だったと思います。授業そのものは保護者が実際に見る機会はほとんどなかったので分かりませんが。ただ、今回の教育改革でどれほどの効果が出るのか疑問なのは、私も質問者さまと同じ意見です。
補足
回答ありがとうございます。語弊のないように申しますと、公立の小学校および中学校の現状がベースにあっての教育現場への問いかけです。
- nekosuke16
- ベストアンサー率24% (903/3668)
その通りですねぇ。 私が過ごした昔の教室で一番偉かったのは先生でした。 しかし、体罰に対する考え方や、父兄の学校や先生に対する信頼感は、年々変化を遂げ、昔偉かった先生は、今はもう、ポケットに手を突っ込んだ年端も行かない悪ガキを叱り付けることも、押さえつけることもできない。 そうした状況で、我が子こそ中心という捻じ曲がった親の心理が蔓延し、モンスターだのヘリコプターだのといった気違いじみた親たちが、当たり前だという顔をして世の中を闊歩する。 教育とは何かということを考えるとき、その原点は人間教育であり、国語や数学などは、将来の職業選択のための手段に過ぎないことを全ての文部科学省を含めた教育者が忘れてしまっている。 その結果として、何が善で何が悪かも分からないような人間が力を持ち、日大アメフトや東京医科大などの教育機関の不祥事が蔓延し、森友加計問題のように教育機関と政治とが癒着するような事態が日常化している。 教育とは何かという原点を忘れてしまったのが今の日本の教育だと思います。 ちなみに、あまり好きではないのですが、櫻井よしこの「日本の危機」には、「先生が静かにと言ったら、蚊の飛ぶ音さえも聞こえるほどに教室は静まり返る。」といった件がありましたが、このように先生と生徒が決して対等ではないが、お互いに信頼感で結ばれているような、人間としての在り方を教えることこそが教育であり、今の教育の目的が立身出世、人を見下すような人間を成功者と称えるような現状では、情けないとしか言い様がないですね。 自由という素晴らしい人間の権利を勝手気ままと歪曲してしまった日本人の成れの果てが、今の教育の現状です。 そうした教育が今の日本の殺伐とした状況の原点だと思いますよ。
お礼
ありがとうございます。データがそうだから目の前のこの子もそうだと考えるのがいけない と言いますが、皮肉なことにも、統計学や確率論は最強の学問です。とは言えDやE判定でも真面目に勉強を続けるお子様は最後に奇跡を起こすなんてことも外れ値でありますし知らないわけではない。私に講師をやめろというのなら、生徒、保護者からの信頼の厚い教室長しかり長年ベテラン講師を続けている先生にも辞めろとでもいうのでしょうか。現に教室長の中には振替制度を建前で認めているものの教育上効果が薄い観点から振替ないよう圧力をかけてほとんど振替させない教室長もいらっしゃいます。あと私が人間味がないと仰るのは結構ですが、個人面談でも生徒が私に自己開示をして時間が30分オーバーするなんて事もよくありますし、低学年のクラスで式の意味を理解できるようにジョークを交えて教室の空気を和ませたりします。プロ講師ならば当然かもしれませんが、授業評価アンケートの数値もおおむね満足が平均点で私の解説授業型の講義スタイルが気に入っている受講生もいるので向いていないとは思いません。
補足
端的に言えば、家でテレビを見てゲームをしていたいから、勉強が嫌だから、できない劣等感を味わいたくないから、機嫌や気分が悪いからと言った怠惰な理由で塾に行かない子供にまで教育を受けさせる権利を与えろとお考えになることこそ非教育的ではないでしょうか。