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ノブレス・オブリージュに関して
ノブレス・オブリッジ(ノブレス・オブリージュ)は西欧の社会が育てた精神的文化です。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8E%E3%83%96%E3%83%AC%E3%82%B9%E3%83%BB%E3%82%AA%E3%83%96%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%82%B8%E3%83%A5 一見、貴族から庶民への一方的な慈悲と捉えられがちですが、それなしでは貴族の精神を損なうという面もあります。 現在、お金持ちがクスリなどに手をだすという奇妙な行動も、現在の日本社会にこの精神が欠けているからだと思います。 お金持ちの皆さんどう思いますか?
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- bismarks05
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基本的に、”お金持ち”が『ノビレス』ではありません。 ノビレス・オブリュージュとは「貴族の責務」であって、日本でもある程度は存在し、育てられた背景があります。 後発的にキリスト教で明確化したような言われ方をしていますが、古くはエジプト・バビロニアにも”貴族の責務”が明記されますので、ウィキペディアの説明は西洋至上(キリスト教)主義視点のものと言えるでしょう。 そもそも、違法行為に手を染めること・ボランタリティは別件でしょう。 違法行為を行うことは、貴族であろうと平民であろうと問題であり、 ノビレス・オブリュージュは、芸能人・金持ちには関係ありません。 ノブビレス・オブリュージュとは、奉仕活動・ボランタリティの問題であって、道徳の問題ではありません。 ちなみに、”貴族は公平である”ことが重要であって、それを考えれば、特定の人を差別的に優遇することなどは許されません。 本質的には、貴族は等しくなるように”何もしない”のが正道と言えるでしょう。 施しは平等に提供される保障があるならまだしも、平等たりえませんから・・・・・ 貴族とは何も施せない・与えられない・・という滅私の存在で孤独な存在であるべきです。 私からすれば、本当の貴族とは孤独に耐え公平を保つために、人民を守る以外の行為をしない存在であって、ノブレス・オブリュージュとは、自分の分配行為を正当化するための大儀名分と曲解できるでしょう。
- tarojordan
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ビンボー人ですが答えさせてください。 イギリスの貴族・階級社会と比べることにムリがあるでしょう。そのイギリスでさえもいかに高貴だとはいってもその昔は略奪などで財を築いてきたのですから、その成り上がり過程においてはそれらを要求するのはムリでしょう。 タレントも一部を除いて成り上がりのようなものですから同じと言えるのかもしれません。
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回答ありがとうございます。 >イギリスの貴族・階級社会と比べることにムリがあるでしょう。そのイギリスでさえもいかに高貴だとはいってもその昔は略奪などで財を築いてきたのですから、その成り上がり過程においてはそれらを要求するのはムリでしょう。 おっしゃるとおりだと思います。 ただ、学習能力も歴史の蓄積も天皇家のような手本もあるわけですから、子孫も繁栄させたいと願うなら何処かで転換するべきだと思います。 ロックフェラー一族が慈善活動をするのは趣味ではないのです。 もちろん税金対策もあるでしょうが、そうしないと精神的に均衡がとれないのです。一族全てが超人なわけではないのです。
- cse_ri2
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いやね、日本にもすこーしだけ昔には、『武士道』という立派な精神文化があったんですよ。 しかし、明治に開国してから少しずつ薄れ、昭和になってだいぶ目減りし、敗戦してからは映画や小説など物語の中だけの話になってしまいました。 さすがに、今から武士道の復活は難しいと思いますが、もう少し道徳教育を立て直さなければいけないと、私は常々思っています。 参考:ウィキペディア『武士道』 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%AD%A6%E5%A3%AB%E9%81%93
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回答ありがとうございます。 >いやね、日本にもすこーしだけ昔には、『武士道』という立派な精神文化があったんですよ。 私も鎌倉時代以降の封建制の中にノブレス・オブリッジに似たものが存在したと思います。 >もう少し道徳教育を立て直さなければいけないと、私は常々思っています。 同感です。ただ道徳というと被支配者側に注目が浴び、支配者側は「俺たちはそれに縛られないからいい」的発想になりますが、指導者層とその子孫の精神も確実に蝕まれます。悪辣な家風をもった一族が続かないのは歴史と天皇家を見れば自然とわかります。国歌・国旗を叫びながら天皇家の家風を見習わないものは国粋主義者でしかないと言わざるえないでしょうね。
- Willyt
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ノーブレスオブリージェは襟を正した生活をすることを意味してはいません。貴族は普段遊び惚けていても、一朝事が起きると先頭に立って戦い、被支配階級の生命財産を守るということです。それが故に平時における貴族は放蕩の限りをつくしても許されるという、貴族側の独り善がりな考え方で日本人が学ぶべき模範でも何でもありません。
補足
回答ありがとうございます。 >一朝事が起きると先頭に立って戦い、被支配階級の生命財産を守るということです。それが故に平時における貴族は放蕩の限りをつくしても許されるという、貴族側の独り善がりな考え方で日本人が学ぶべき模範でも何でもありません。 では社会全体を健全化する日本的規範とは何だと思われますか?
- Willyt
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ノーブレス・オブリージェとお金持ちは直接の関係はありませんよ。 貴族、つまり生まれながらに支配階級に生れた者の持つべき規範ということです。ノリピーにノーブレスオブリージェを要求してもそれは無理というものですよ(^_-)
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回答ありがとうございます。 >ノーブレス・オブリージェとお金持ちは直接の関係はありませんよ。 お金持ちも高貴な義務を持つことを提言しているので、細かいところは ご容赦を。みなして考えてください。 >ノリピーにノーブレスオブリージェを要求してもそれは無理というものですよ 欧米では、産業界だけでなく芸能界でもボランティア精神は尊ばれていると思います。建設的な意見をお願いします。
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回答ありがとうございます。 >基本的に、”お金持ち”が『ノビレス』ではありません。 >後発的にキリスト教で明確化したような言われ方をしていますが お金持ちも高貴な義務を持つことを提言しているので、細かいところは ご容赦を。 学術的に厳密にしたいなら、質問内容を厳密して再投稿します。 どうでしょうか?