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動植物(の外来種)が知恵を得たとして、 駆除されないように「自制」し得るか?
帰化しきった(有害な)外来種を、「持ち込んだのは人間のエゴ」だから「駆除するのは自分勝手極まり無い」という意見にも、一理はあるでしょう。 しかし、その「かわいそう」な外来種に知恵があった・突然知恵を得たとして、既に日本に「帰化してる分」はともかく「原産地」にいる分のが、SF小説のごとくに強引な話になりますが、 ワープゾーン(転送ゲートでも瞬間移動ポイントでもなんでも呼び方が違うだけで同じと思ってください)とか、海に突然「日本(でなくても)への安全な、水路(動く歩道を発展させたような)とか、運送する気流、陸路(太平洋の海面にでさえ唐突だろうができる)」とかが発生確立して、知恵・知識を得たからといって、 「これをつかえば我が種族の勢力を拡大できるが、移動先の生態系を壊滅させてしまうからダメだ。この地に留まり続けよう」 とか思うでしょうか? 俺の個人的見解は、「自制する」生物種、絶滅寸前で「種族維持できれば最低限の数でいい。増えすぎたら駆除されても受け入れる」という相手には「勝手な駆除」は責められても、「侵略」を思いとどまらない生物種は仕方無いですがね。 駆除する人間だって心が痛みもするでしょうが(全員でなくても) 、されるはずの動物類が「生きるため」はともかく「防衛でもなんでもない、動物による無益なだけの殺生としか思えない」状況で人間を殺して、「良心の痛み」を感じることあるだろうか? が議題の源のひとつです。
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- kentan384
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>「良心の痛み」を感じることあるだろうか? ない! と云わざるを得ない。 外来種が交じり合うことは、極自然な姿であると思う。 唯一、理性があるとされる人間は、どうだったのか。 人間のエゴだけで(利便性)護岸工事を行い、河川をコンクリートで固める。植林と称して山の本来ある形を変えてしまう。 汚水を垂れ流し続けていた。(これは改善傾向にありますが、それも突き詰めれば人間本位。) あのね、在来種が絶滅の危機に陥っているのは、外来種が、元凶じゃないんだよ。 それ(も)あるけど自然環境が破壊されたのが大きな一因。 セイタカアワダチソウは、めっきり姿を見なくなりました。 人間以外の生活の場所を奪い続けてきたのは、人間です。 利便性だけを追求した人間に『良心の痛み』は、あったのだろうか、否。 害獣・害虫・外来種・在来種保護なんてのは人間の発想でしかありません。 外来種、いや生態系が知恵をつけたら、共存のため容赦なく人間を駆除しにかかるでしょうね。 あるいは、軍縮会議のようにどれだけの数!というように強要するでしょうね。 >移動先の生態系を壊滅させてしまうからダメだ。この地に留まり続けよう 人間を上回る知恵が必要です。人間は、それをきっちりすべきだったのかもしれない。 >「侵略」を思いとどまらない生物種は仕方無いですがね。 言い換えれば、人間といえそうですね。 とまぁ、極論になりましたが、本件の回答としてはこんなものでしょうか。
- cucumber-y
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ライオンの子殺しをご存知でしょうか? 群れのリーダー(♂)交代が起こった時に前のリーダーの子ライオンを殺し、新リーダーの子を増やす自然な行動としてよく知られています。 生物の本能は種の存続よりも自分(個)の遺伝子の存続に重きをおいています。 同じ種でも躊躇無く殺せるのが生物として正常な姿なので、違う種となれば言うまでも無いでしょう。 知恵や感情を持った『人間』が一番無益な同種の殺戮を繰り返しているのが現状ではありますが。。。
お礼
ハヌマンラングールもやるアレですね。 「自然の鉄則」といおうが「動物にもエゴ(イズム)」はあるという見解に賛同が欲しかったのもあります。動植物にも「形が違うだけで人間と同等以上のエゴ(邪心と呼ぶのは間違いでも、冷酷・酷薄さ)があってもおかしくない」・・・かな?
お礼
まあ、やっぱり動物が(ペットの犬・猫類とかはしょげたりすることもあるんで「特別枠」として)食うわけでもない殺生等にも、心を痛めたりはしない、というのは誰もが思うことと考えていいようですね。 「在来種の減少=外来種の侵略以外の要素無し」という前提ではないのですが・・・・・ 動植物が知恵を得ても、人間以上のエゴで版図拡大をはかり得るだけだろうか?のほうが良い議題だったでしょうか?今更ですが。