関わりは存在します。
1.オリンピック誘致の段階での政治
2.オリンピック開催に関する国家主権のやり取り
3.オリンピック選手に国家代表を背負わすこと
この三つは明らかに政治的背景を持たせている要素でしょう。
ただしです。
IOCがオリンピック商標を認めているもの全てが政治的ではありません。
パラリンピック・オリンピック以外のオリンピックの名前がつく大会は、極めて政治色が薄く、商業主義でもなく、同人・ボランティア的な大会です。
スペシャルオリンピクスなどはその典型例で、政治が介入しようとしないだけの産物でもあります。
オリンピックという言葉は、スポーツ以外でも使用できるものですから、厳密にはIOC・非IOCで分離するべきなのでしょうが、ここは、IOCの認めるオリンピックで説明しました。
ちなみに、オリンピックも政治色を排斥する努力はしています。
例えば、台湾を地域的に認める努力もありますし、過去、独立性を認められなかった地域の独自参加を認めるようなケースもありましたので、政治色を可能な限りは排除しようとしています。
しかし、各国が政治色を強める結果論になっているのは間違いないでしょう。
国代表というお仕着せの感情を選手の強制するような環境も明らかに、選手を委縮させるマイナス部分であり、オリンピックに政治性を持たせる原因と言えるでしょう。
つまり、視聴者が政治を持ちこんでいる、ということもあります。
お礼
分かりやすい回答でしたありがとうございました。