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オリンピックと政治の結びつき

「五輪やW杯などの国際スポーツ大会に国が政治問題を持ち込むべきではない。」 などといった意見を見かけますが、 国際スポーツ大会と政治問題が結び付いた時にどのような弊害が発生するorしているのでしょう? 「スポーツや選手を政治的に悪用することに反対する」 というオリンピックの原則はありますが、その理由がはっきりわかりません。 実際に社会的な不利益をもたらすことがあれば改善した方がいいと思います。 現状ではスポーツと政治の結びつきが強いといえるので、どんな問題があるのかを知りたいです。 1,スポーツと政治の結びつきによる問題 2,問題を解決する手段 3,解決策をどのように浸透させるか いろいろな方の意見を伺いたいです。 よろしくお願いします。

みんなの回答

  • mat983
  • ベストアンサー率39% (10265/25670)
回答No.2

例えばモスクワオリンピックです。 日本を含め西側諸国は直前で参加しませんでした。 スポーツと政治は全く別物のはずなのに、五輪ボイコットで政治的な圧力をかけたのです。 政治にスポーツを利用したことが大きな問題です。 選手達には何の落ち度もありませんが、全ては政治的な決断です。 これでは4年間努力し、選考レースなどで勝ち抜き選ばれた選手は堪りません。 このボイコットで記録の進歩は遅れたという説がありました。

noname#174737
noname#174737
回答No.1

ご質問の最初にあります、五輪に政治が結びつく事の弊害は、まず開催国への圧力が外交カードになっている事が考えられますね。 古くはソ連のアフガン攻撃に対してモスクワ五輪をボイコットしたアメリカや日本が、またそれに対抗して今度はロス五輪をボイコットしたソ連や東欧諸国が揚げられます。 今、考えれば 「随分、くだらない意地の張り合い」 としか考えられない事が現実に起きたわけです。 その陰で多くの選手が涙を呑みました。 その時など、「一体誰のための、何のための五輪か?」 と私も大きな疑問を感じた記憶があります。 また、今回の北京大会もそうですね。 中国政府の対応しだいで首脳が開会式に出席するかどうか決定するとか、出席する事自体が外交カードのひとつになっていますよね。 また逆に開催国側も、五輪大会を行なう事が世界に対して自国の存在をアピールできる大きなイベントと考えている現実があります。 古くは1936年のベルリン大会がナチスの台頭を世界に誇示する事に成功した例もあります。 中国政府も今回の大会を無事に行ない、先進国の仲間入りを実現しようと必死になっているように感じられます。 質問の二番目、では、どうやってこの問題を解決するか、その手段は? という事ですが、根本から解決しようと考えるなら、今のように特定の 「国や地域の代表」 という形の選手参加を改め、全て 「個人単位」 での参加形式にする事しかありません。 どこの 「ひも付き」 も無いという状態ですね。 個人単位での参加となると、資金面やその他で大きな障害があるかも知れませんが、クーベルタン男爵の考えたアマチュアリズム、それに 「勝つ事より参加する事に意義がある」 という精神に合致するように思います。 特定の国や地域を代表しての参加となると、どうしても母国政府の意向が働き、参加したりボイコットしたり、あるいはミュンヘン大会のように選手村が政争の場と化す事もあります。 更に手段がもうひとつ。 今のように 「持ち回り制度」 を廃止し、毎回ギリシアのアテネで開催する事です。 古代オリンピアが開催された国ですから、どこからも文句は出ないはずです。 これが実現すれば、ボイコットしたり、開会式に出席するかどうかが外交カードになるような、妙な駆引きの材料にされる事は一切無くなり、正に 「平和の祭典」 の名に相応しい状態になるはずです。 ご質問の最後の、では解決策をどうやって浸透させるか? という事ですが、残念ながら 「既述のように解決策はあるが、現実には不可能」 と考えるしかありません。 特に今のように五輪を開催する事が国家の威信に直結し、またそれに巨額の資金が流れ込み、大きな利権になっている状態を考えれば、理想は分かっていても誰も昔のような 「素朴な状態」 に戻る事など考えないからです。 とても残念ですが、これが五輪の現実かと思われます。