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日本人の公の場における音声言語能力について
日本人の音声言語に関する皆さんの認識についてお尋ねします。 【1】 日本人は他国の人々と比べ、日常生活における自国語の使用に際し、 文字言語を偏重し、音声言語を軽視していると指摘する人がいます。 この問題指摘についてあなたはどう思いますか? 【2】 1の指摘内容に賛同される方へ。 日本人が音声言語を軽視するのはなぜだと思いますか? 学校国語教育の影響によるものでしょうか? 表意文字を使う日本語の特性によるものでしょうか? あなたなりの分析をお願いいたします。 【3】 日本人は公の場におけるスピーチが下手だと指摘する人がいます。 これは内容面(話の構成)と形式面(姿勢や声)の両方を指します。 この問題指摘についてあなたはどう思いますか? 【4】 3の指摘内容に賛同される方へ。 日本人がスピーチ能力に劣るのはなぜだと思いますか? あなたなりの分析をお願いいたします。 【5】 日本の学校国語教育に最も足りないものは何だと思いますか? 以上です。
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【1】 あらたまった場での言葉は慨して文字言語を偏重しているのは事実だと思います。 文字言語は可能な限り適切な熟語を用いて簡潔かつ正確に趣旨を伝えられるという利点がありますが、それ故に、言い間違いや失言を避けることもできるし、さらには、自ずと格調とか重みのようなものを互いに感じやすい性格を持っていると思います。 そうした文字言語ならではの利点といった背景によって、発声言語、つまり口で話す際に於いても、こうした適切で簡潔で、誤解を招いたり失言したりすることも避けられる文字言語に近いもので語れば、たとえ重厚で分かりにくい表現になりやすいとはいえ、聞く相手に正しく趣旨を伝えられ、しかも趣旨の内容に重みさえも付け加えることができるものだと考えられます。 さらに、こうした文語調を自在に扱って話せる人までもを知的な人種と、お互いに感じ取る日本人独特の感性もまた、こうした理由から派生しているようにも思います。そうしたことから、発声言語を軽視しているわけでもないとは思いますが、こうした理由と感性が日本人の心の中にある限り、まだまだ改まった席においては文字言語が幅を利かせるものと思います。 【2】 1で述べたように、音声言語を軽視しているとは思いません。ただ、一般的な日本人が口にする音声言語は文字言語に比較して、多くは冗長に過ぎるきらいがあるように思います。 その理由としては、たしかに表意文字を使う日本語の特性がその根本にあるうえに、自己の意見を上手に話して聞くものに理解させる習慣や技術の育成というものを学教育がこれまで軽視してきたことによるのだと思います。 西欧主要国の教育では、話すといことを大変大切な基本としていますし、その結果、子供たちは、いえ成人たちも、意見の表明とかスピーチなどの場で、中には訥々としながらも、立派に自分の言葉で話せるように育ちます。そうした場を現実に見ていますと、大臣諸氏が下を向いて紙に書かれた原稿を読み上げるわが国の習慣に悲しいものを感じます。 【3】 日本人といえども、基本的には公の場におけるスピーチが下手だとは思いません。ただ、日本人は基本的にシャイな性格傾向にあります。しかも、自分の考えるところを自分の言葉で話す場合には、いい間違いだとか、誤解を与えかねない表現だとか、あるいは失言だとかとリスクが付きまとう、それを恐れてしまう傾向もまた強いのだと思います。 もとより内容面も形式面もスピーチが上手にならない理由ではありますが、それにもまして、単に失敗を恐れる恥の感覚こそが、こうした傾向の最大の理由だと思うのです。 【4】 公の場におけるスピーチが下手だという傾向、それもまた、結局は、文字言語と音声言語の二通りの表現が厳然とある日本語、そして実践教育の不足、やはりこの2つの理由によるものだと思います。 文字言語は、あらかじめ適切な熟語、用語を適宜用いながら書かれ準備される性格から、その内容の正確性において、自由度は低いものの、不適切な表現を避けえられるメリットがあります。ただそれだけの理由から、公の場におけるスピーチがとかく「読む」という方向に傾き、自分の口で正しく適切に話す能力が育たなかったということだと思います。 【5】 こうして見ていて感じることは、日本の学校国語教育に最も足りないものは実践教育だと思います。これまでの学校国語教育とは、自分の口で自分が考えたことを自由に話せる習慣を身につけさせる教育がおざなりになっていたと思います。 適切で聞き取りやすい用語を使い、趣旨を外さず簡潔に、聞く者に正しく気楽に伝えられる話法を生活習慣と生活技術として身につける教育こそが求められていると思います。
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- kanakyu-
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海外在住です。 1.ちょっとあると思います。 日本のテレビには、やたらと字幕がありますが、こちらのテレビには、聴覚障害者用の字幕しかありません。携帯電話は、日本ではメールが多いですが、こちらでは通話がほとんどです。 日本語は、音の種類が大事で、抑揚が薄い感じです。ジャパニーズイングリッシュが強い人は、抑揚がないので、ネイティブには通じにくい。 歌で言えば、歌詞が、メロディよりも重視されている感じ。 2.日本人は、体質的にも、VAK(視覚・聴覚・体感覚)でいう、視覚が発達しているのではないでしょうか。女性がやたらとオシャレ(見た目を気にする)なのも、日本人独特だと思います。 あと、日本文化は、静かにしていることが美徳ですから。沈黙が金であるのが日本です。 3.全員ではないですが、多分下手なほうだと思います。 4.自意識過剰で、他人にどう見られるかを気にするから。 自分自身の意見がない人が多いですからね。あと、間違いを怖れるから。 自分の意見があり、堂々とできて、間違い、批判を恐れない、自己責任のある人なら、スピーチは得意でしょう。 他人にどう見られるかより、自分がどうありたいか、だと思います。 5.国語に限らず、自主性、創造性を尊重した教育。
お礼
ご回答ありがとうございました。 情報社会が音声言語の軽視を後押ししているようです。
お礼
ご回答ありがとうございました。 私小中学校や高等学校において、 印象に残る実践教育を受けた記憶がありません。