こういう「トラブル」は、実際に顔と顔を突き合わせる「実社会」ではあまりなかったような気がします。
インターネットのサイトでは、このQ&Aサイト同様、「匿名」(区別のためにニックネーム使用)であることが普通ですから、質問者も回答者もともに、バカげた質問をしよと間抜けで失礼な回答をしようと、「知らんぷりをする」ことや「けつをまく」っても、大して「お咎め」をうけない(最悪でも利用停止という排除)でいられます。こういったサイトを利用するさいは、実生活で「公共の場所」で人の目を盗んでゴミや汚物を捨てないのと同様に、利用者集団の「モラル(の均一化)」が求められ問われます。
管見ですが、この国のネット利用はいまだ「過渡期」にあり、推奨されるエチケットが行き渡っていない状態での該当の「問題」ということでしょうか。
村社会の住人たる日本国民は、個人間の軋轢を避ける心性があります。実生活では「寄らば大樹の陰」とか「和をもって尊しとなす」といい個人の主張の露出を避ける傾向にあります。
では、それが日本国民本来の心性かといえばさにあらず、実社会では「品が良い(マナーのよい)」と思われている性格が、ネットで一変して「人を蔑む」ことや「他の失敗を論い」「些細な瑕疵を揶揄する」というどす黒い「悪感情」の虜に容易にさせる「引き金」の役割を、この「匿名性」という条件が、果たしているという側面があるように思われます。そしてそれはネットという匿名社会が必然的に招来する悪の「要素」だと感じています。
すなわち「分からなければ(バレなければ)何をしてもいい」という幼稚で原初的な心性が発露しやすい。
これがネット利用者が注意しなければいけないネットの「特性」です。
さて、ではご質問の「質問者がキレる回答」について。
これは「回答専門」の方や「質問専門」の方には分かりにくいことかもしれませんが、「質問をする」行為と「回答をする」行為はそもそも「違う」こころの状態だ、ということです。
質問者は質問をします。この当たり前の表現は、実生活では人によって「かなり負担になる」行為です。学校生活が分かりやすいでしょう。衆人環視の中での質問は質問者の程度を同時に示します。つまり、幼稚でバカげた質問をする人間は幼稚でバカげているという評価を受けやすいということです。ですから自分の質問に自信のない、つまり質問として成立しているかどうか自信のない質問者は、質問する行為自体が勇気を必要とし、質問内容が「バカにされないか」を気にすることになります。もちろん自分基準で質問し、その質問は質問者の実生活やかなりの補足が必要であるのも拘わらず、自分が知っていることは相手も知ってるだろうと「勘違い」し「思いこんで」いる、まともな回答を求める質問を発する質問者のレベルに遥かに遠いという「剛の者」も少なからずいます。そういった「お呼びでない」質問者もまた許容するのがネット社会の「許容度」でもあります。しかし、多くの質問者は前述のように、質問することで「己の心中をさらけ出し」また「バカにされないか心配」しているのです。そのどちらの要素が多いかどうかは質問者の性格に関わるのでしょう。
いや、俺は私はそんなことはない、とこの回答を見ている多くの方は思われるかもしれません。そう思う人はそもそもこういったQ&Aサイトでは「キレさせるような回答」にであっても「うまくやり過ごす」だけの「力量」や「スキル」を備えている人だと思います。
よほどの人でない限り普通は「自分を基準」にして考えます。自分の質問が核心をついているかどうか(一定の水準にあるかどうか)自信のない質問者は、その自信の無さに回答を得られるまではこころの状態がある「臨界点付近」にあると思われます。沸点付近の水でも突起物のない容器の中では沸騰せず、少しの衝撃で一気に沸騰して熱湯をあたりにまき散らすように、この「臨界点付近」にある質問者は、己の意図した内容が正当に回答者に受け止められ「役に立つ回答」を得て初めてその危険な「臨界点付近」からクールダウンした「平衡状態」になることができるのです(だいぶ仮説あり)。その「臨界点付近」のこころの状態を持つ質問者が、自分の「困ってした質問」や「切実に回答を求めてした質問」にたいして揶揄されたりバカにされたりという一番欲しくなかった回答を得た時は、容易に「臨界点付近」を超え「爆発(キレる)」してしまうのです。これは「回答専門」の方にはなかなか分かりにくいことかもしれません。
では、平凡な日本国民たる回答者はなぜ質問者が「キレる」回答を投げかけるのか。
これも「匿名性」のなせる業でしょう。
第一に、質問者は「当事者」でなくてはいけないのに回答者は「観客」でいられるということです。つまり己が身を安全な場所に置きながら質問者を「撃つ」ことができるのです。いわばシューティングゲームの操者なのです。そこには質問者が質問をするに至る「切実さ」もなければ「臨界点付近」のこころの状態もないのです。テレビゲームで殺人をしても痛痒を感じる人は少ないでしょう(イヤ思いをするひとはそういったゲームはしない)。情報過多にこころが麻痺を強いられているのです。そしてゲーム感覚の観客はゲームが面白ければいいのです。見ず知らずの質問者の気分を害してもそれを投げかけた側には実害がない。だから実害があればそういった行為が控えられるものが実害がない、あるいは他人がキレるのを見るのが「面白い」からやめられない、ということになります。(文章の字面だけしか理解できない愚かな人はこの部分で「オレはゲーム感覚で回答はしていない」と憤るかもしれません。そのことこそ正しく自身の「未熟さ」を物語るものですが、幸せなことにご当人そのことには築気づきません。だから幸せでいられると口の悪いわたしなどは思いますが)
第二に、回答をプロもしくはそれに準じて行っている方は、質問者の「Aは何ですか?」という問いに「そればBです」と応える前に、回答者の様子を観察し回答者の気持ちを考えます。つまり、よい回答者は言葉は両刃の剣という性質を持つことを十二分に承知していますから、「どのように回答を伝えるか」を考え回答します。公開質問状のように文書で回答するならいざしらず、生身の人間相手では「言い方」「伝え方」が回答をするとういう行為に大きな比重をしめる、ということを知っていいます。「相手の立場を慮る」ということです。世の中「それはBです」という回答で済む問題ばかりではないです。質問者が己が質問の内容の意味を理解させつつ回答するということの方が多いくらいでしょう。特にこのサイトでの「ライフカテ」ではそのように回答しなければいけない質問が多くあるようです。そしてあまりにもバカな質問者の愚問や「ためにする」回答者の愚答をのぞいても、言葉の行き違いで「お祭り状態」になっている応答のほとんどは、そういった「回答者の想像力の欠如」と「ナイーヴな質問者」との間でなされる資源とエネルギーの無駄としかいいようのないやりとりです。
質問者も質問に慣れていなければ回答者も回答に慣れていません。お互いがほとんど素人です。お互いがお互いの都合でやり取りすれば「キレる」のは質問者です。その切れた質問者が腹いせにことばの汚物をぶつければ「親切に回答してやったのに」と思っていた回答者をキレさせることになります。
このカテで以前「想像力がないのか」という質問が出されましたが、ムダなトラブルを避けるためにはわたしは回答者側にある程度の想像力が必要であり求められると考えています。
そして質問者と回答者の双方が(まぁ、ほとんどは回答者側)「想像力」を少し使えば「キレる」質問者を減少させることに寄与するのではと考えます。
このサイトはこういった「匿名性」に起因する問題のほかに深刻な問題を抱えていると思います。今は少し自分の考えを整理し自己流の対処方法を考えているところです。
長々と記しましたが、「Aは何ですか?」「それはBです」というやりとりで済まない今回のようなテーマへの回答では、自分の考えを述べ意図した内容を伝えよとすると10行や20行では収まらないものです。勢い長くなりました。申し訳なし、です。
ところで私はキレるような回答者に「不幸」にも出会いません。あまり質問をしない、というのが理由でしょうね。そういう意味では「バランス」が悪いのかもしれません。
ではでは、お後がよろしいようで。
お礼
大変ご丁寧なご回答ありがとうございます。 ネット社会の裏の側面です。便利な反面、人の醜さが顕になる。だからこそ、規制取締りをと言うことになるのですが、いかんせん、とても管理しきれるものでないらしい。 ◆質問する行為について 私は能天気なので、自身の質問に別に自信はないけども、屈託ないものがあります。それは、裏を返せば無防備でおめでたいと言うことです。もっとも、現実社会で出すわけでなく、いくら赤恥をかくような質問をしたところで痛くもかゆくもないからこそ、バカな質問を続けます。人によっては、もっと自嘲的で防衛的でしょうから、真理的規制が大きいのでしょうね。そこで、抵抗ある質問(これはやはりメンタルヘルスなどに多いでしょう)に対しての答えに、酷く敏感になる。荒らし回答者はそこにつけ込むという、なんとも醜いことが起こる。やっぱり技術系知識系に限るべきかなぁと思いますね。 ◆回答する行為について 質問はステージに上がって満場の聴衆の前に自分を晒す行為であるならば、回答は観客席のひとつから人知れず質問者を狙い打つと言う差があります。ご指摘ではっきりしました。だからこそ、心のマナーなんです。だからこそ、かばう心が必要なんです。本当におっしゃるとおりです。悪意こそなくても、あまりにも心が平坦で想像力思いやりがなくなって回答マシーンのように答えればいいと思っているらしいが、違う。回答する資質、資格、あるいは良心っていうのは、質問の比ではない。それなのに現実は、質問者を失望させ怒らせ悲しませる回答が満ちているじゃありませんか。 いい加減にしてほしいです。強く思います。 「バランス」の問題ではなく、「人間」の問題のようです。