同性愛者から逃げるのは何故?
以前誰かが投稿された質問で気になる回答がありましたので以下に抜粋します。
「質問内容」
同性愛者をどう思っているか?
「回答者の回答」
”ただ、友人が同性愛であった、と知った時点で縁を切ることはないと思います(その対象が私に万が一向いてきたら、逃げますが・・・)。”
「投稿者からのお礼コメント」
”率直なご意見を聞かせて頂き、ありがとうございます。
「誰を好きでも良いじゃない」と言っている人が、別の時には「私は襲わないでよ」と言う時もあり、実際は同性愛をそれ程自然には見ていないんだろうなと感じてきていました。(男性に対して何の前触れもなく「私は襲わないでよ」と言える女性はそうそういないでしょうから。)
異性の友達に告白されたと仮定して「私を好きになったら逃げるからね」と言う人はあまりいないのになぜ、同性愛者なら「自分を好きになられるかも」という少し自信過剰ともとれる仮定を簡単に作れるのか?同性愛者は誰でも彼でも好きになると本当に思っているのか?そして、なぜ「逃げ」ねばならないのか?と憤る事がよくありました。”
私自身もゲイでよく同性愛に関する質問を読んでいて、上記の投稿者さんのような感想を抱くことがよくあります。
同性愛者だからといって全ての同姓が好きなわけではありませんし、そのことは異性愛者の方が全ての異性を好きではないのと全く同じです。
私の通う高校にはゲイであると噂されている教師がいますが、その教師が放送で誰かを呼び出すたびに、周りの人が呼び出された人に向って「襲われるなよ」などという言葉をかけています。
このようなことは例えば女性教師が男子生徒を呼び出したとしてもおそらく言われないと思います。
なぜ同性愛者は全ての同姓が好きなどと思われてしまうことが多いのでしょうか?
補足
つまり、ユダヤは同性愛者に寛容ではないのですか?