- ベストアンサー
22年前のMac事情を教えて下さい
現在、デザイン&DTP関係の仕事をしていますが22年ぐらい前のMac事情を教えて下さい。 当時は製版は全てフィルム作業、紙版下に写植と言うアナログな時代でした。現在のPhotoshopにあたる機械(ソフトではありません)もありましたが億単位の値段でした。 そんなころのMacはいくらほどの値段でどのような人や業種が、どのように使われていたのでしょうか? また後にデザインや製版業界にMacが使われだした時のことなどを教えていただけたらと思います。
- みんなの回答 (5)
- 専門家の回答
質問者が選んだベストアンサー
DTP屋です。 22年前ってどっからでてきた数字何でしょう? 普通20年前とか切りの良い数字で聞くなら解りますが・・・またMacだったら1986年のCMが有名なんで「23年前」なら解りますが・・・ 22年前(1987年)と言えばSystem5.0/漢字Talk 2.0、SE、MacIIが登場した年ですね。 http://homepage1.nifty.com/montan/MHistory.html ついでに言うとPhotoshopはまだ商品化はされていません。 http://ja.wikipedia.org/wiki/Adobe_Photoshop#.E6.AD.B4.E5.8F.B2 正直その頃はまだ一部の好事家に遊びで使われていた程度です、パーソナルタイプのコンピュータが仕事で使われる局面なんて、ほとんどまだない時代です。 因みに某大学の電算センターで富士通製大型コンピュータのオペレーションのバイトしたとき(教職員の給与計算の業務で使われてました)、FMVが端末として使われている横に、なぜがSEがぽつねんの唐突に置かれて「何じゃこりゃ!」と触って「画面がちっちゃくて、みょうちきりんな操作(当時コンピュータと言えばCUIで、そこにMacはGUIを搭載したのでこんな感想)で、変なコンピュータ!」と記憶があります。 値段もMacIIのFDモデルで748,800円(要するにHDD非搭載)、HDモデルで948,000円、ついでに同時期のPCと言えばNEC PC-88シリーズPC-98シリーズ、エプソンのPC98の互換機、シャープのX8600等ですね(価格が20万~70万前後だった)。 デザイン業界でMacが使われはじめたのは「ソフトウェア」が出てからですよ、ハードウェアとしてのMacが出たからじゃありません。 ジャストシステムの「一太郎」「花子」なんかがたしかこの頃出てますがこれはPC-98シリーズ専用ソフトでした。 こっちの方がむしろ当時の「PCを仕事に使いたい人」は注目してましたが、まだやっぱ好事家の域でしたね(先の電算センターにも「一太郎」「花子」のためにPC-98があった)。 デザインや使われるようになったのは1990年代になってからですねぇ、Photoshop・Illustratorがやっぱキッカケで「写真をいじれる(Photoshop)イラストが書ける(Illustrator)すっげ~ソフトが安く出た!」って売れてからの事です(私なんかもPhotoshop2.5、Illustrator3.2から触ってましたけど面白かったですもの)。 製版業界(と言うか印刷業界)で浸透していくのはそのワンテンポ・ツーテンポ後です。当時はまだ「データの互換性」や「フォントの問題」や「バグ」が一般的に理解されてませんから、「データ入稿」は一部実験的(或いは先鋭的)に導入され始めていましたが、まだ本流とは言いがたく90年代後半になるまでは「版下入稿」が主流でしたね。 え~っと長すぎたんで、この辺でいいのかな?
その他の回答 (4)
- a-yo
- ベストアンサー率51% (40/78)
22年前にもう仕事をしてらしたのなら、私より少し上の方でしょうか。 ちょうどその頃はmacから離れていますが、 1985年には、CADの授業でmacを使いましたよ。 まだモノクロで、時計のデザインをしましたが、50人程で1台を使っていたので、その1作品だけでしたね。 1987年というと、後輩達はもうすこし台数が増えていたかも。 後に1992年頃か93年にまだIllustrator等がないころ(その会社に?) クラリスドローやクラリスペイント(多分)で店舗のデザインなどをしていました。 店舗のサインやロゴ等は手描きより抜群にきれいなプレゼンだったのを覚えています。 その前の会社では手描き図面にサインなどは写植を頼んでいたので、 この会社では頼まないのかと思ったような・・ 当時は自分のお財布は関係なかったので、値段等全然知りません。 スミマセン。 おぼろげな記憶なので思い出話として聞き流していただければ幸いです。
お礼
ご回答ありがとうございます。 当時は専門学校等でも一人1台と言うわけにはいかない状態だったのですね。 Macが広がるにつれて、ものすごい勢いで写植関係の仕事が無くなっていったような記憶が私にもあります。
- capy2009
- ベストアンサー率72% (337/465)
当時、業界として最も普及していたのは大学等の研究機関(特に理系)だと思います。あちこちの研究室で Plus を見かけたのを思い出します。その影響で、今でも大学では Mac を愛用する人が多いのです。 当時の Mac は日本語機能はほぼ使い物にならず(まともに使えるようになったのは1989年リリースの漢字Talk 6 の頃からです)画面も白黒のみでした。NEC の98なら一応日本語ワープロもあり、カラーも使えましたが、Macにはそれをはるかに上回るメリットがあったのです。 Mac のメリットは、論文を書くという作業を飛躍的に効率化しました。 当時の日本語ワープロソフトは、ワープロ専用機の機能を移植したようなもので、40文字×30行のマス目の中に文字を埋めていくという発想でできており、文字の大きさも全角を基本に半角・倍角など限られたものでした。しかし、英語論文を書く際には、ワードラップやハイフネーションなど英語独自の機能が必要になり、行の均等配置や行間の調節、上付き下付き文字の表示などもできてほしいわけです。日本語ワープロでそのような文書を作成するのは非常に苦痛でした。ところが Mac で MacWrite や Microsoft Word のようなソフトを使えば、このような機能がいとも簡単に実現し、画面で見たとおりの文書が作成できて、論文の内容以外に割く労力が画期的に減りました。 もう一つのキラーアプリは MacDraw です。論文で必要な図はシンプルでかつ内容を正確に表現できるものですので、商用イラストのような美麗さや複雑さは要求されません。ただ、シンプルな形のオブジェクトを思い通りに配置して文字を自由に入れたい、というだけなのですが、これをコンピュータで実現する事がなかなかできませんでした。しょうがないので、手描きしたり図形と文字を別々に打ち出して切り貼りしたりしていたものです。そこへ MacDraw を導入すると、そんな事に手間をかけていたのが嘘のように、マウス一つで思い通りの図が作れて修正も簡単にできるわけです。一度使うともう元には戻れません。 印刷の品質も重要です。当時インクジェットプリンタはほとんど出回っておらず、個人が使うプリンタと言えばドットマトリクスか熱転写のガタガタ文字といった時代で、プリンタで印刷した文書はあまり見栄えのするものではありませんでした。それを嫌って、最終的に提出する原稿は全てタイプ打ちにし、図は製図屋に発注していた研究室もあるくらいです。そこに登場したPostScript 搭載 LaserWriter の文字や図形のなめらかさは衝撃的でした。画面上で見ていた文書がその通り出てくるというのは、今では当たり前ですが当時は全く実現できておらず、だからこそ WYSIWYG が Mac の専売特許のように言われたわけです。 そんなわけで一言で言うと、Mac を使えば研究者は自分の頭の中の研究をストレートに論文として形にする事が可能になり、ソフトの操作自体に頭を悩ませる必要が大幅に減って、より論文の内容自体に集中できるようになったわけです。Mac が研究室に浸透していったのも当然でしょう。 ちなみにデータ処理用には Microsoft Excel が既に Mac で発売されてましたが、これはまだ MS-DOS の Lotus 1-2-3 の方をよく見かけたような気がします。また、1985年に LaserWriter と同時に Aldus PageMaker が発売され、これが DTP の発祥となったと聞いています。業界が違うので実態は存じませんが。
お礼
ご回答ありがとうございます。 MacDrawがキラーアプリだったとは驚きでした。 たしかに当時これだけの事を他のパソコンでできたような記憶は無いですね。 研究機関等のハイレベルな分野から広まっていったのですね。 「業界が違うので実態は存じませんが」との事ですが、「まさしくその通りです」な回答で、業界内の方でも、これだけ簡潔に分かり易い説明はすぐできないと思います。 ありがとうございました。
この当時、マイクロソフトのワードは有りましたが、日本では一部の利用者が有っただけと記憶してます。 当時から『多言語対応』で、脳画像処理ソフトが使えると言う事で医療関係者に使われたと記憶しています。 イラストレーター英語版が登場したのは翌年ですね。 最初のイラストレーター日本語版はFD一枚でした。 MacintoshPlusが米国で2600$でしたが日本では外付けHD込みで約100万近かったです。 DTP屋さんが使い始めたのはMacintoshIIx(1988年)頃からでしょうか。 おまけ アップル日本法人が最初の頃販売台数は年間1万台だったと言う話も有りました。
お礼
ご回答ありがとうございます。 病院関係に出入りしていたこともあり、当時「先進的な」コンピューターだと思った記憶があります。 当時で100万円は凄い金額ですね。
- Hoyat
- ベストアンサー率52% (4897/9300)
コンピュータに限らずですけどねぇ・・・ 電算写植だってMac出現のほんの10年ちょっと前ですし、流れとしては(他の業界と比べて)遅いと言われる印刷業界ですが、実際はそんなに遅い訳ではないんです。 遅いと言われた最大の原因は実は「DTP化しちゃった」からなんです。 原因の1つには主力のレイアウトソフトがQuarkXpressのバージョンアップの失敗。 もう一つはモリサワフォントのフォントの寡占。 この2つが大きな足かせになってOS9からの脱却がなかなか進まずにいたからです。 前者はOSX対応バージョンがなかなか出ず、出ても十全の性能を発揮できるものではなかったですし、後者はライセンスフィーがむちゃくちゃ高くて(1フォント2万円前後で、再インストールにも数千円かかった)OS・ハード共に切り替えを阻害しました。 まぁそんなことはどうでも良いことなんです。 歴史なんかは聞いてもしょうがないですよ。 コンピュータに限らず工業技術(伝統工芸を除く)は過去を捨て去るものですので、ノスタルジー以外で過去を知っても今の仕事には活かせません。「自動車を運転」するのに「過去の車の歴史」を知っても役には立たないでしょう? デザインにしろ印刷にしろ、手段が変わっただけの話で、やることの実質は変わってないんで。 強いて言えば「写植(レイアウトソフトにフォントの配置で全て済みます)」と「製版(CTP(ダイレクト刷版)が既に主流)」は工程から省かれる様になってます。 業務としてのデザイナーとオペレーターの境界も無くなっても居ますね。
お礼
ご回答ありがとうございます。 当方もOS9からの脱却は昔からずっと続いている仕事に関しては未だできてないですね。新規の仕事は全てOS X環境です。 「手段が変わっただけ」なのですが、それについていけなかった人、先を読めなかった人は職を失っていくばかりでしたね。
お礼
大変詳しい説明、ありがとうございます。勉強になりました。 一時期転職を繰り返して全然違う業種についていたこともありましたが、22年前と言うのは自分が印刷業界で初めて働いた頃です。コンピューターの進化が2~3年で飛躍的に変わる事からあえて細かく22年と書かせていただきました。