質問者さんの直面している問題は
「日本人が伝統的に持っている『先祖供養』の概念がキリスト教に存在しない」
ことから生じるものです。恐らく、日本人のキリスト教徒とその子弟が必ず直面する問題です。
キリスト教では「先祖を供養する」という発想がありません。
この点は通常の日本人には全く理解できないことです。
日本人が「先祖の供養」に熱心で、子供がいない人が怪しげな「永代供養」に大枚をはたくのは、キリスト教徒の欧米人が見ると全く理解できないことでしょう。
キリスト教では「先祖の墓参り」という概念がありません。
ですので、例えば戦死者は戦死した場所に簡素な墓を作って葬り、航海中に死んだ人は「水葬」して海の中に遺体を沈めます。
例えば、イギリス人が遥か離れたフォークランド諸島での戦争で死んだ場合、フォークランドに埋葬されます。イギリスにいる家族がフォークランド諸島に墓参りに行くことは不可能ですが、墓参りという発想がないので問題になりません。
その人が死んだことが、イギリスにある、その人が属していた教会の信者名簿に「ジョン・スミス、1900年8月8日にフォークランド島で戦死」などと記録されておしまいです。
日本人であれば、南方の孤島で戦死したり、海戦で戦死して水葬したりする場合でも例えば
「遺髪を切り取る」
「指を切って荼毘に付し、ほんの少しでも遺灰を残す」
といったことをして、遺髪やほんの少しの遺灰を日本にいる家族に渡すような努力をします。太平洋戦争の時はそれも叶わず、「遺骨箱」の中身は小石が一つといった例も多かったようですが。
家族はそれを日本にある墓に収めて故人の戒名を墓に彫り、法事を行います。
さて、質問者さんのご家庭の場合、ご両親は強固なキリスト教の信仰をお持ちのようですね。その場合、仏壇がないのは当然として、墓参りにも行かなくなるでしょう。キリスト教の信仰を突き詰めれば、「墓参り」という行為が成立しないからです。
ところで、ご両親自身は「自分たちが死んだら、遺骨はどうして欲しい」と考えておられるのでしょうか?ご先祖からは独立した、ご両親専用のキリスト教墓に葬って欲しいのか、散骨といった方法で墓を残さないで欲しいのか、ご両親にきちんと確認しておかないと、
「敬虔なキリスト教徒であったご両親に仏教の戒名をつけ、仏教のお墓に葬る」
といった支離滅裂なことになりかねません。
また、質問者さんご自身は普通の日本人で、先祖を供養するのは当たり前と思うし、墓参りはするべきとお考えのようですね。
でしたら、ご両親は抜かして、質問者さんご自身が仏壇を家に置き、先祖代々のお墓を護持されればよろしいでしょう。
キリスト教徒のご両親については「間が抜けた」形になってしまうでしょうが、これは致し方のないことです。