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居合い血振り

居合い血振りや納刀の所作が細かく決まっているのは なぜでしょうか?相手の血を拭い、刀をおさめる所作まで 型にするという理由はなんでしょうか? 残心ということであれば(私は今残心を表現していますよ)という表現方法?

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  • -merlin-
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回答No.10

私のわがままに同意していただきありがとうございます。 また、他の回答者様もしくは読む方のことを考え質問の答えを書いていただけるということ。 本来のサイトの目的とは違う流れになってしまいましたが、お心遣いに感謝いたします。 もう一つ疑問に思うことがあるのですが、わがままついでにお付き合いくださいませ。 No.3の補足欄に >我々もロングソードやブロードソードは既にさやから抜いている。と言う設定ですし、一試合おわったからといって、腰に戻す所作はありません。 私の常識のなさが露見するようでとても恥ずかしい限りなんですが ご質問者様はどのような流派で、どのような経緯がありそのような 聞きなれない刀を使われるのですか? 通常ですと居合いは片手で抜き片手で斬りつける「片手打ち」です。 ご質問者様のお使いになられる剣は両手で打ち込むものですよね。 普通に考えますと、居合いの間合いの外から攻撃でき かつ両手にて重い剣を振り下ろすことによる斬撃は、片手打ちの居合いではさばききれません。 ご質問者様の方がとても有利なのですが・・・ ご友人の居合いがそれだけすごいということなのでしょう。 ところで剣術OFFトーナメントとありますが、剣をまじえる相手にオンラインで お聞きすることはできないのでしょうか? オフ会で会うほどの友人。 しかも達人レベルの友人がいるのにも関わらず、 ご質問者さまに言わせればしょぼい回答者から意見を求めなくてもよさそうなのにな。 そんな疑問がよぎったもので。ま、独り言ですので。 剣豪であらせられるご質問者様ですら歯が立たないという 居合いの達人のお言葉、とても楽しみにしております。 少々ハードルを高くしてしまうような形になってしまいましたが 皆様のためにも良い答え。ドスンと腑に落ちるようなお答えを期待しております。

shizumo
質問者

お礼

トーナメントに参加した人に聞くことが出来ました。 結論からいえば、「流派ごとに違うので統一見解がない」ということのようです。中には省略したり懐紙でぬぐうところもあり。 いくつかの理由をまとめました。 1)起承転結の区切りある形として表現されているため、 起(抜刀)承(後太刀)転(血振るい・残心)結(納刀)として動から静への 転換の呼吸として重要視する。武芸というよりも演武としての色合いが強い。 2)1とだぶる部分があるが(刃を正す)対敵動作とはそれだけで「執心」「執着」する事を意味します。剣道で言う「居付き」。 これを防ぐには、まず戦闘行為と心をリセットする必要があり、その執心を心気で払う意味合い 3)武道的な理由(体捌きや剣捌きに意味がある) 4)残心  5)祓いの儀式 新当流には一人で行う剣術形の「呪振り」と言うものが有るらしい。呪術的というか九字護身法と言う呪法では最後に『斜めに払い』、唱えながら腰の鞘を体正面に持ってきて刀を納める とのことです。 予想外の理由もあり大変興味深いものでした。ただ、彼らも言っていましたが、「日本の武術には型だけが残り意味のわからないものもある。 それを師匠に追求することは、師匠を信じないこととみなされ尋ねるという風潮がない。これは現代では通用しなくなってきているのではないか。教えるものは型を繰り返させるだけでなく、その理由を説明する努力も必要」とのことでした。 この場を借りてお礼を申し上げます。riddle09様、mapponew様、kentsukasa様、denbee様、merlin-様、ffucchan様、michael-m様、neetchan様、mouryou様ありがとうございました。

shizumo
質問者

補足

私の過去の回答をご覧になるとお分かりでしょうが、私は1300年あたりのドイツ剣術を学んでいます。日本と異なり海外の剣術はフェンシングのようにスポーツとして勝敗を楽しむ。人たちと(恐竜研究と同じように)過去のロマンを推進力に歴史研究として学ぶ人と大きく2つに分かれます。 私は後者にちかいですが、スポーツとしても楽しんでおります。しかし、大事なのは型をトレースするだけでなく、試合をする事でなぜその型が必要なのか、がわかることです。 日本剣術は居合い、剣術、剣道に大きく分かれていますが、対人試合をするのは剣道だけで、他はあまりしません。私が負けた居合いのひとはその中でも珍しく、袋竹刀をつかって対人稽古をするひとでした。 某巨大掲示板をみますと、枠を超えた行動力のある人は叩かれます。 わたしは不思議に思うのですが、居合い人などのおおくは対人にさほど関心をもちません。これは~道になるとそのような物に必然的になるのかもしれませんが弓道にしても屋外で動標的にはさほど関心を示さないようです。私たちの行うトーナメントはスポーツチャンバラのようなものですが、安全でリアルな模擬剣や模擬刀をつかうので、流派や文化を超えた剣術が同じ条件で試合ができます。優劣を付けるのではなく、自分の技術が見知らぬ技術あおてにどこまで通じるかは、大変面白いと思うのはどうも少ないようです。 さて、居合いの方と対戦したときはこうでした。ドイツ剣術は相手の剣と刃を合わせてから様々な技があります。普通私は正眼で長く構えた構えか八双をとるのですが、居合いの人は脇下段でかまえています(鞘が無いので鞘の内ではないのですが、そういう状態です)まず、相手が狙うのは小手だと思っていましたから、八双でかまえました。たしかにこちらが遠い間合いで責める事ができますが、相手の間合いが読めません。小手も狙えないので、目標は肘もしくは頭になります。しかし、そこまで剣が伸びる間に抜きが速ければこちらは回避できず、小手を落とされます。結局間合いの読み合いになりました。私は一撃めをフェイントにして斬りおろし、相手に抜かせ、縦回転でこれをはじき、そのまま二撃目を裏刃で日本剣術ではない、軌道で切り付けたのですが、相手はこちらの一撃目をステップでかわし小手ではなく袈裟できってきました。これを首にうけました。

その他の回答 (11)

  • riddle09
  • ベストアンサー率32% (105/320)
回答No.1

例としてふさわしいかどうかわかりませんが、 高校野球の場合は試合が終わるとホームベース付近に両チームの選手が 集合してお互いに礼をします。 プロ野球だと、ただ単に勝った方が喜んで終わりですよね。 プロは勝敗が決まればそれで終わりですが、高校野球は試合終了の礼を して始めて試合が終わる、いわば形を重視している訳です。 居合いも、刀を抜いて相手に斬りつけ倒して終わりではなく、再び鞘に 刀が納まって始めて一つの動作が完了する、ということなのではないで しょうか。

shizumo
質問者

補足

なぜ、そこまで型を重視しなくてはならなかったのでしょうか? 日本は~道となるとまず、型を作り形から入っていくというのは、わかりやすいですが、枝葉ともみえる部分にまで型をつくるというのは いまでいう、オールマニュアルと同じような考えがあるのでしょうか?

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