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キリストについて

すみませんおしえてください キリストはほんとうに実在していたのでしょうか?

質問者が選んだベストアンサー

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  • mohisato
  • ベストアンサー率42% (3/7)
回答No.9

質問のキリストというのは、キリスト教徒の信じるキリストのことでしょうか。 キリストというのは、元々は固有名詞ではありません。「油注がれた者」。救世主。ヘブライ語のメシア。ギリシャ語のソーテール。 ナザレのイエスを、救い主と信じるのがキリスト教です。その時点で、固有名詞化されます。 確か、聖書(外典なども含む)以外で、イエス・キリストがローマ帝国の歴史書などに直接記載されている例はなかったのではないかと思います。ただ、死海文書が発見されたように、今後キリストに関する確かな史料が見つかる可能性が皆無ではありませんが。 けれど、信仰の書物としてではなく、客観的にそして批判的に歴史の書物として聖書を読んだとしても、ナザレのイエスが実在したことは、事実としか考えられません(=事実と考えるほうが自然です)。言うまでもなく、イエスキリストが様々な奇跡を行った、復活したということは、事実かどうかわかりません。それは、別の次元の問題です。 なぜ、ナザレのイエスの存在が、事実としか考えられないのか。それは、他の歴史的な事実と整合性が取れなくなるからです。 例えば、キリスト教を世界宗教としたパウロという人がいます。パウロが実在したことは、彼の書いた手紙が数多く残されていること(史的な意味で、一次資料がある)から、確実でしょう。もし、キリストが存在しなかったとすれば、パウロの書いた手紙の内容を、否定しないといけなくなります。 けれど、パウロが嘘を記した可能性はないのか。パウロの手紙自体が創作ではないのか。・・・ありえます。 では、マルコによる福音書(最古の福音書。キリストの死後30年余り後に書かれた。)は、嘘なのか。嘘の可能性は、・・・ありえます。 では、Q資料(キリストの語った言葉を集めたもの。原史料は発見されていないが、ルカによる福音書、マタイによる福音書からその存在が確実だと考えられるもの。もし、存在しないとすると、ルカ福音書、マタイ福音書の両方の内容の一致している箇所を整合性をもって説明できなくなる。)は、キリスト以外の誰かの言葉、誰かの創作なのか。・・・ありえます。 などなど。 キリストが存在したという二次資料はたくさんあります。一つ、一つは嘘かもしれません。けれど、出所の違うそれら全てが、偶然に同じ嘘を記したと考えるより、やはりナザレのイエスが実在し、紀元30年代にエルサレムで十字架刑に処せられたと考えるほうが、ずっと自然です。 日本の古代史に卑弥呼という人が登場します。彼女に関する記録は魏志倭人伝しかありません。卑弥呼が存在したかどうかわかりません。けれど、統計的に考えると、数多くの二次資料のあるナザレのイエスは、おそらく卑弥呼の何万倍、何十万倍もの確率で、存在したと考えられるのでは、ないでしょうか。 それでも、存在を否定されるのなら、会ったことがない、見たことがない、だから居たかどうかわからないとしか言えなくなります。わたしは、徳川家康に会ったことがありませんが、彼が実在したことは確かだと思いますから。

yoriko_3
質問者

お礼

すみませんほんとうにおそくなりました。  (やはりナザレのイエスが実在し、紀元30年代にエルサレムで十字架刑に処せられたと考えるほうが、ずっと自然です。)・・・・・ そういう人も多数の中には実存しただろうからなんともいえませんが 炎天下の中一生懸命汗をかきかき布教している人を見るとこうおもいます。ありがとうございました。

その他の回答 (9)

  • mohisato
  • ベストアンサー率42% (3/7)
回答No.10

No.9です。 お礼、ありがとうございます。 質問とは関係ありませんが、一言、言わせてください。 わたしは、クリスチャンですが、yoriko_3の言われている、炎天下の中で、頑張っておられる方たちは、クリスチャンではありません。 キリスト教系新興宗教なので、キリスト教と同一視しないでください。 そんなことをするクリスチャンは、限りなくゼロに近いですから。

yoriko_3
質問者

お礼

 遅れてすみません。2ヶ月間海外のほうにいっていましたから、 (キリスト教系新興宗教なので、キリスト教と同一視しないでください)のそれがわかりません。 そもそもいずれにせよバイブルを基本にしていると思うんですが私の知りえるのはこれくらいですが これは新興宗教がわるいといっているのではありませんから。 余り若いうちに前途ある若い人は大きな心で狭めてかんがえないほうがいいと思うわけですから、  有難うございました。

  • owlsjp
  • ベストアンサー率18% (23/127)
回答No.8

>聖書のなかであまりにもあらそいごとがかかれていますと、これって肉食人種なのかっておもつてしまいますね  ああ、そうですか、私は聖書は読んだことがないのでなんとも言えませんが。まあ、聖書は誰が書いたのか知りませんが、著者が特定できない文献は 話半分以下 で考えたほうが良いかと。  とにかく、質問の答えとしては「それを確認することは不可能です」としか言えないと思いますが。 >それだけ今よりも大変な時代だつたのででしょうが  はい、イエスも大変だったでしょうね。

noname#130082
noname#130082
回答No.7

お礼、ありがとうございます。 >いわしの頭も信心からといいますが よく言いますね。 もっとも、私が指摘したかったことは、質問者様の質問がイエスという存在が実在したかどうか?という内容だったので「貴方の信仰が貴方を救った」という言葉は、信仰の問題というより「このような言葉は、普通の人には言えないだろう」という意味で引用させていただきました。 何しろ、この意味は「貴方が貴方を救ったのだ」という意味合いが含まれてますから。現在の宗教の教祖たちも、「私が貴方を救った」という言い方がほとんどですからね。 あくまで仮説ですが、マタイによる福音書とルカによる福音書のイエスの言葉には共通するものが多いため、その元となったQ資料というものがある(仮説ですので、実物は発見されていない)ようです。その説によると、その元となった資料は、イエスの言葉を集めたもの(語録)ではないか、と言われているそうです。 従って、たぶん、当時のユダヤ人の常識では考えられないような言葉で話した存在がいた可能性は高いと思います。 (前にも書いたとおり、私はクリスチャンではありませんので、強い信仰があるわけではありませんけど(^^;)。)

  • owlsjp
  • ベストアンサー率18% (23/127)
回答No.6

 はい、今もほとんど全ての人に知られ、個々の人の心の中で確実に生きています。イエスはその行為振る舞いにより、永遠の生を得ました。  実在していたかどうかは この際どうでも良いことだと思います。それに、どのような方法、手段を用いてもそれを確認することはできないでしょう。  問題なのは、「一人の人間が罪を背負うことによって私たちの原罪を浄化してくれた」と思っていて、今現在も そういった考え方で生活し、そのような世界観、価値観を持っているということです。  そのような人がいなくなれば、イエスははじめて十字架の磔台から解放され、新たな生を受けて 存在することが出来るのでしょう。  そして、「犠牲となる者」が存在しなくても良い世界を形成することが出来るのだと思います。

yoriko_3
質問者

お礼

  わざわざお答えいただきありがとうございました。 <実在していたかどうかは この際どうでも良いことだと思います。それに、どのような方法、手段を用いてもそれを確認することはできないでしょう。>のぶぶんなんですが そういったのでも信ずる価値があるというならべつですが、 わたしはあまりどんかんなのでしょうか? わかりませんね、すみません 聖書のなかであまりにもあらそいごと がかかれていますと、これって肉食人種なのかっておもつてしまいますね それだけ今よりも大変な時代だつたのででしょうが ありがとうございました。

noname#130082
noname#130082
回答No.5

クリスチャンではないのですが。 たぶん、実在したことは本当のような気がします。 何故私がこう考えるか、といえば。 奇跡などの話を除いたとしても、イエス・キリストの言動があまりにも常識を超えているので、とてもフィクションとは思えないところがある(もし、フィクションだとしたら、その作者が常識を超越している)からです。 例えば、「汝の敵を愛せよ」という言葉がありますが、そのときの社会は「目には目を、歯には歯を」の掟で皆子供のときから育っていました。そういう環境では、どんな聖者でも、せいぜい「復讐するのはやめましょう」ぐらいが限界で、敵を愛するなどという発想は生まれようがないはずなのです。どこからそんな発想が出てきたのか? また。イエスが病人を癒す話が沢山ありますが、仮に私が病気を治す神通力を授かって病人を治したとしたら、私だったら「私が貴方を治した」というでしょう。ところが、イエスは「貴方の信仰が貴方を救った」というのです。 その他、当時の宗教的指導者に命を狙われていて、処分する口実として揚げ足取りのような誘導尋問を何度もしてますが、イエスは軽く一言二言で一蹴しています。それで相手はぐうの根も出ないのです。 それ以外の理由としては、例えば最後の晩餐の後、オリーブ山に登ってゲッセマネの園で祈っていたとき、弟子は眠っていた、とか、イエスが捕らえられたとき、弟子たちは逃げた、などということが聖書に書いてあります。この弟子たちは、後の原始キリスト教団のリーダーになるわけですからこれらはリーダーたちの権威を逸しかねない、ある意味スキャンダルです。 そんな話をわざわざ作り話で付け加える、というのはほとんど考えられないので、そんなことが書かれている理由としては、それが事実起こったからだ、という可能性が高いと思います。

yoriko_3
質問者

お礼

わざわざお答えいただき入りがとうございました。 古いことわざにいわしの頭も信心からといいますが、

  • morinosa11
  • ベストアンサー率15% (199/1253)
回答No.4

「哲学」カテゴリーだったら、詳しい回答が頂けると思いますよ。 あそこは、そういうことを、皆さん 勉強してるかたばかりですから。

  • tanuchi
  • ベストアンサー率16% (210/1238)
回答No.3

これってライフの夫婦・家族のカテゴリーかな? キリスト実在の可能性極めて高し。弟子は結構キリスト教では有名でしょ。聖ペテロとか。弟子があれだけ有名ならお師匠様をないがしろにする事もないでしょう。 ついでに言えば、マホメット(イスラム教),ゴーダマ・シッダー・ルダ(仏教),ゾロアスター(ゾロアスター教) 実在の人物。 実在かどうかはっきりしないと言われている人物。 卑弥呼(宗教じゃないけど)。そういう階級という説あり。また男性との説もある。

yoriko_3
質問者

お礼

証拠    はっきりしたものがあればいんですが ねえ ただ漠然とし自分の不安なものの裏返しとして あるならばそれはそれでいいのですが、わざわざ 答え頂きありがとう

  • L-DAD
  • ベストアンサー率17% (18/105)
回答No.2

サンタクロースよりは高い確度で存在していたのではないですか?

  • yuki360679
  • ベストアンサー率10% (152/1427)
回答No.1

聖書のような人かどうかは、別として、キリストは実在の人物じゃないかな。

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