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恋愛と宗教について 彼女と母親で板挟みの経験
以前付き合っていた女性と私の母は、それぞれ別の宗教に信仰がありました。 お互いに自分の信仰を私に勧めてくるので、精神的に板挟みになり、苦しかった経験があります。どちらも私には大切な人であることには変わりないので。 (私自身は全くの無宗教です) 同じような経験をされた方はいますか?その場合、どの様に対応されたのか、伺いたいです。
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詳細よくわかりました。 読んでいて、以前お付き合いしていた方、と後から読んで気がつきました。誤解をしてお返事を書いてしまいすみません。 真如苑という宗教は初めて聞きました。 わたしは以前創価学会の方と一度お付き合いしたことがあります。 その人は「結婚をしてほしい」、とプロポーズしてくれましたが私は宗教のことがどうしても引っかかり、お断りしました。 そのあとしばらくしてよく行くカラオケスナックのようなお店である男性と知り合い、いい感じになったのですが、その方も学会の方でした。 知らなかったのですが、学会の方はコミュニティー意識が強く、行きつけのお店なども、学会の方が経営しているお店だったりということが多いんですね。 そのお店にいると、選挙になると急に公明党に一票入れてほしいという方が現れたりして、これはもしやとおもって聞いたところ、やはり学会の方たちがよく集まるお店でした。 宗教に入るのは個人の自由です。 ただ私がどうしてもなじめないところは、それを勧めてくることです。 日々感謝の気持ちを持ち、自分を律するという宗教の戒律を悪いと言ってるわけでも、気味が悪いと思うわけでもなく、それを押し付けてくる実態のあり方に疑問を感じずにはいられなかったのです。 本当に誰かのために、という気持ちがあるなら勝手にやっていればいいことで、結局見返りの気持ちがあるから、息苦しさを相手が感じるのではないか?と思います。 自分の頭で考えることくらい、自分の自由にさせてほしいから。 asaakuさんが馴染めないという気持ちがよくわかります。 やっぱり仲間意識のようなものからは外れてしまいますよね。表面的には優しくされていても、実際心の底でよく思ってくれているのかな。とは疑問を感じることがあります。 中には宗教くらい別に気にしなくていいんじゃないの?という方もいますね。 相手を好きになったときに、その人を構成する要素の一つに宗教があったり、今までお付き合いしてきた過去の相手がいたり、親がいたり。 人は一人では生きていけないのだから、そういった諸々のものたちがあって今の本人を作り上げているわけですから。感謝こそすれ、別に気にしない、という人もいます。絶対自分は入らないけどね、という人もいます。学会の方とのお付き合いではそれは難しいようですが。 私は結婚したら学会に入ってほしいと言われました。 ジュニアというのでしょうか。二世の学会員の方は子供のころから自然に集会や会合に参加し、特定の人を崇拝しているので、そうでない人が理解できない、また、相手が学会に入りたくない理由も、本当の意味では理解できないようです。相手の、何を言ってもそこは譲れない、という強い意志を感じ、私はこんな孤独な思いを結婚してからも感じるのは耐えられないな。とすべてを話し、お別れしました。 そのあとスナックで出会った男性とも、以前のことがあるのでおつきあいをお断りしました。その男性は学会をやめたい、と言っていましたが、結局、その人が行くお店も、付き合っている友人も学会の方で、本人も知らず知らずと、口ではそういいながらも学会に頼っているのではないか? そんなのはいいとこどりで、ずるいと感じました。 恋愛も宗教もそうですが、付き合っていけば、相手やその組織に対して責任や辛い部分を引き受けなければならないのに、それは避けて、表面の甘くてよい部分だけ享受しようというのは卑怯だと思いました。 これは一般論ですが、結婚とかお付き合いは、責任が伴ってくるので、甘く考えてはいけないと思います。 これからのお付き合いで、宗教の方と出会ったらどうしよう、という前に、ご自身がどういうスタンスで付き合いたいのか、お母様の宗教に対し自分はどう感じているのか、しっかりとした考え方を持っていれば、あなた自身何も揺らぐ必要がないです。あなたにも相手にも選択するという、絶対の自由があります。結局自分を不自由にしているのは自身の心だということを忘れないでください。 お力になれるヒントにすらなったのかわかりませんが、 あなたが責任を持って選択していけばそれがあなたの人生となっていく、私もそうやって生きていきます。 人生はいろいろ複雑で面倒な問題があるとは思いますが、前を向いていきましょう、あなたも私も。
私はまったくの無宗教ですが、以前お付き合いした方が宗教に入っておられて、結婚式の仕方、お葬式の仕方など、たくさん決まりごとがあることにショックを受けてしまい(自分たちの好きなように決められないことに)その方とのお付き合いをやめた経験があります。 相手の方やあなたのお母様が、どういった宗教に入っているか、規律は厳しいのか、など、詳しいことがわからないと、とても答えづらく難しいご質問かと感じます。 もしよろしかったら詳しくお聞かせ下さい。 お力になりたいと思っています。 今知りえたことだけでお答えできることは、宗教の壁は必ず乗り越えられる、ということです。 単純に考えたとき、彼女とお母様が一緒に暮すような状況でなければ、あなたが彼女と一生一緒にいたいなら同じ宗教に入ればいいと思います。 それがいやなら別れるしかないですね。 答えというのは時に単純で残酷なものです。 お母様とは何があっても母と子という、血縁の深いお付き合いですが、彼女とはそうではないですね。 彼女が愛しく、一生の伴侶として考えているのであれば、彼女を尊重してあげることも立派な一つの愛です。 お母様を愛している、申し訳なくてできないというのは逃げになるかもしれません。 お母様の面倒を見ていこうという考えがあるのでしたらまたそれは状況が変わりますが。。 少し判断材料が足りないのでもしよろしかったらもう少し詳しく教えていただけましたらうれしく思います。 わたくし事ですが、その彼と別れたこと、彼をとても愛していたこと、今も忘れません。 私自身幼く、宗教くらいなんだ、という愛が足りなかったのかもしれない、などと考えます。 いまなら彼に対して「イエス」といえるかもしれませんね。 頑張ってくださいね!
補足
回答ありがとうございます、補足が遅れてしまいすみませんでした。 この手の話は「見るのも嫌」という方がいるのかもしれないと思い詳細は書きませんでしたが、是非アドバイスをいただきたいので以下に詳細を書きます。 はじめに誤解を与える書き方をしてしまったので補足すると、その彼女とは現在は別れています(別れた理由は宗教とは無関係です)。なのでこの質問は「どう対応すればよかったんだろう、もしくは次に付き合う人にも信仰があったら、その時はどうすればいいだろう」という性格のものです。 彼女は真如苑、母は創価学会に入信しています。 創価学会は他宗に対して排他的、真如苑は学会を認めていない、という関係だと理解しています。 彼女とは二年間付き合いましたが、ひと月くらい経ってそのことが分かり、その時は別れようという話になりました。 ただその時は私自身は無宗教だということを説明して、お互い納得したと思います。 その後何回か彼女に連れられて真如苑の集まりにも行ってみましたが、どうしても馴染めませんでした。彼女もそんな私の様子に気づいたのか、集まりに誘うこともなくなり、後半一年位は宗教についての出来事はなかったと思います。 一方母には彼女の宗教までは説明していませんでした。私自身は学生、実家暮らしの状況で、彼女と結婚まで考えてはいなかったので、そこまで話す必要はないと思ったからです(話したら絶対反対されるのも分かっていました)。 創価学会自体も、小さい頃からあまり馴染めませんでした。 真如苑に関しても学会に関しても、信仰のない私にとっては集まりに行っても疎外感を感じるだけ、という感じです。ただ、そこで出会った人は皆親切だったので、私自身は「悪印象は全くないが、入信しようとは思わない」というスタンスです。 こうした状況だったため、家では何も知らない母から学会を勧められ、でも自分は真如苑の彼女と付き合っている、という状況になり、どちらも裏切っているような気分になることがありました。 うまくまとまっていなくて恐縮ですが詳細はこんな感じです。 kata5614様は、こういった状況に対してどのようにお考えでしょうか?またもしお答えいただけるなら、ご自身と以前お付き合いされていた方との関係も教えてくださればと思います。話していただける範囲で結構です、自分にとって何かヒントがあるかもしれませんので。
お礼
お礼が遅くなってしまいすみません。 「結局自分を不自由にしているのは自身の心」という言葉が、とても自分の心に響きました。結局彼女や母親が問題なのでは無く、自分がどうあるべきかが問題ですよね。 私自身は学会三世という立場で、生まれた時に親が入信させているのですが、それでも自分の信仰は自分で選ばないと、その信仰に対しても失礼、ということになるのだと思いました。 精神的な意味で、自立しなければならない、ということでしょうか。 一歩踏み出すヒントをたくさん頂けました。ありがとうございます。