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もう恋なんてしないと思って恋した方や、ドキドキを求めている方

大変失礼な文になってしまうかもしれませんが、ただ興味のままに書きつらねた、深い意味の無い文章だと言う事をまずはご理解ください。 たとえば「もう恋なんてしない!」なんて思う程辛い失恋などがあって、それでも恋をした方、二人の間が倦怠期(相手の事は好き)に入ってドキドキを求めている方(結婚含む)は、恋と言うものに何を求めているのでしょうか? 「もう恋なんてしない!」と倦怠期でドキドキを求めるのは別物かと思いますが……、 1.辛いことがあったのにそれでも「恋」をする。しようと思ってしたわけじゃないと言う意見もあるでしょうが、それを吹っ切てでも「恋」に結びつき、再び恋に溺れる(?)のはなぜでしょうか 2.倦怠期で、二人の仲自体は良好。でも初めて会ったときみたいなドキドキ間は無い。それを求めると言う方限定です。 恋と言うドキドキ(トキメキ?)を求めるのはなぜだと思いますか? 老若男女関係なくご意見いただけたら嬉しいです。 (出来ればだいたいのお年と性別も)

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回答No.1

 恋心は甘美なもの。だからでしょう。  例えれば‘心の空腹感’ではないでしょうか。  空腹を満たすための‘食事’は‘楽しみ’となります。  恋心も、満たしてくれる人が現れると、‘空腹感’を覚え、優しい言葉をかけられて心は‘甘美’な気持ちを味わうのです。  だから、その気持ちが忘れられず、もう一度と思うのでしょう。  でも空腹感なので、満たされてもう満足ということがないのです。  食べても食べてもお腹がすくように。  愛は‘与え心’ですが恋は‘求め心’なのです。                    団塊の世代の男からでした。  

kotamagokotama
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 考えてみれば、答えを戴く方の年齢性別は全く必要ありませんでしたね。__;恋に年齢制限も性別もありませんものね……。 恋と言うものをまとめてくださった、すばらしい回答をありがとうございます。これで、質問は閉め切ってしまおうと思ってしまいました。 けれど、これでは「恋」とは何かと言う事に発展してしまいます。 ドキドキするのが恋。ときめくのも恋。 恋の方が苦しい思いもするのに、なぜ甘美なの? と。こうなってくれば、元の質問と意味が違ってきますが……。 甘美なもの、空腹感、すべて正しい表現だと思います。 だとすると、「もう恋なんてしない!」と言う方と倦怠感(この場合は、相思相愛で「幸せ」な場合です)の方は同じ状況(失恋状態?)にあると言う事ですか?

その他の回答 (2)

回答No.3

 疑問に思っていることがあります。  好き、というのと、恋をしている、という事との違いが、分かっているのだろうかと。  思うのですが‘好き’という感情は、嫌いな面を見せられたり、自分を否定されたりすると、苦もなく引くこと(別の表現が思いつきません)ができるように思いますが、‘恋ごころ’はそれを抱いた相手に嫌いな面を見せられても、また、自分を否定されても‘恋する’気持ちは変わらないように思うのです。  昔から‘恋心’が‘怨念’という心情に変わったなんていう話が、歌舞伎などで、演じられているように、‘恋ごころ‘というものは好きだけど、腹立たしい。好きだから、態度を変えてほしい(やめて、直して)といった気持ちではないでしょうか。  また、回答者No.2さんの回答を見て思うのは、愛したいという男心(能動)と、愛されたいという女心(受動)、その違いを感じます。   女性はほんとに‘恋’に恋するのですね。  ‘家庭’に、あるいは‘夫婦’に必要なのは恋心ではなく愛情であることは、誰もわかっているのでしょうけど、恋心の甘美な誘惑に惹かれてしまうのは、心が満たされていないから。  でも、恋心で、自分の心を満たすことはできません。  自分の心を満たせるのは他者への愛情。これにすがるよりないのです。  それには努力が必要なのですが。(心は使うほどに育ちます)  kotamagokotamaさん。    恋心に‘せつなさ’が伴うのは‘満たしきることができない心情だから’だということは、分かってくれましたか。  一時は満腹になっても、またお腹がすくのと同じなのです。  でも、でも、恋心の正体を見破ってさえも、人は切なさという恋の苦しみとともに‘甘美’な心持を味わい続けようとするのです。  それが、生きようという意志、生命力、といったものなのではないでしょうか。          

kotamagokotama
質問者

お礼

二度に渡り、ご回答くださりありがとうございます。 > 好き、というのと、恋をしている、という事との違いが、分かっているのだろうかと。 多分分かっていないからこういう質問をしているのだと思います。 分かっている人はこういうことを疑問に思わないと思います。 今回、この質問をして思ったことは、「恋」にも色々あると言うこと。 私にはyy8yy8az様のおっしゃることも、kanonto-ru様のおっしゃることもどちらも正しいと思います。 以前、「ほめられること」と「美味しいものを食べた時」、脳内では同じ反応が起きたと言う記事を読みました。 それを思い出し、「恋とは満たし切れないもの」→「恋とは自分を楽しませるものの一つ」→「楽しいことには満たしきることができない」と言うことで話を持っていき、「自分を楽しませるものの一つとして恋がある」と書かせていただきました。脳内では同じことが起こっているのかな?と。 あくまでうっとうしい理屈です。 >自分の心を満たせるのは他者への愛情。これにすがるよりないのです。 マリー・アントワネットですね。 彼女は、「恋」を求めながらも夫に振り向きもされず、だからといって身分柄下手なことも出来ず、放蕩で心を埋め、やがて子供が産まれて初めて放蕩を止めたと言います(他者への愛情が産まれたのですね)。 >女性はほんとに‘恋’に恋するのですね。 男性はしないのですか?ずっと疑問に思っていることがあります。 「○○までに恋人が欲しい」というのは、どう考えても「恋人」が欲しいのではなく、恋に恋しているのだと思っていましたが、男性にその感情は無いのですか……。 一口に恋と言っても、違いがあると言うことが分かり、非常に面白かったです。 男性、女性の方からご意見を戴けたのは本当に良かったです。 ありがとうございました。

回答No.2

私は絶望の淵にいてすぐに死にたいとばかり考えていました。人を好きになってもつらいことばかりなので本気で好きになることはありませんでした。いつでもすぐやめれる遊びでした。でも、遊んでいる中の1人の彼は、絶望の淵にいる私をどんどん明るい方へ引っ張って行ってくれ、楽しいとかしあわせとか希望とかのきもちを私に与えてくれました。せつないとかつらいとか悲しいとかもう恋なんてと言うきもちと、楽しいとかしあわせとか希望とかのきもちでは、後者の方が勝ってしまったのでした。 さらに、私には夫がいます。長く一緒にいるので倦怠期と言えばそうなのかも。きらいじゃないけど好きではない。そんなとき、アイドルなんかを見てかっこいー!とときめいちゃったりしました。ときめきな出来事はないかな?ときめきたいな!と、ときめきを探したり求めたのでなく、気付いたらときめいていたのでした。 絶望の淵からすくってくれた彼ともそんな感じで恋してしまってときめいたわけです。たぶん、無意識。とか、成り行き。です。 そして、女はときめいていると若々しく輝きます。生きていこう!がんばろぉ!って前向きになれます♪

kotamagokotama
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 恋は、遊びですか。 こう言っては失礼かもしれませんが、面白い表現ですね。 とても意味深かも……。 愛は遊べないけど、恋は遊べる? 遊ぶということは、自分を楽しませるということですよね。 自分を楽しませる事、その一つが恋。 そう言われると、それもしっくりきました。 楽しくないから、何か楽しい事を求める。 それが趣味でもいいけど、選択肢として恋がある。 けれど恋には相手が必要。 自分を楽しませてくれる相手、それが他者。 その他者が、より自分を楽しませてくれたら恋に発展する(かも?ときめく?)。 私が思うまま導きだした考えですけど、「自分を楽しませる=恋をする」。恋が利己的と言うのも、そう言われると納得ですね。 幸せと楽しいは完全にイコールで結べないですものね。