普通の恐怖は、怖いものが目の前に在るとか、音が実際にするとか、怖いものが実際に存在している事を怖がっている状態と思います。つまり恐怖の対象が実際に在る事に対する反応でしょう。そうしてその対象がなくなった場合には恐怖心も消えると言う事になります。
恐怖症は、実際には、或いは他から見て恐怖の実態は何もないのにもかかわらず、恐怖を抱いていると言う事になるかと思います、是はその人の頭の中で怖いものを作り出して、作り出したものに恐怖を感じていると言う事です。ですから、その人の認識が変わる以外には恐怖心は消えないと言う事になります。
この事を仏教では妄想と言っています。この現象を無明と言う言葉で説明しています。無明とは自分が分からないと言う意味になります。自分を怖がらせているものが自分と言う意味になります。
この恐怖症のの解消がお釈迦様の教えと言う事になります。自分の心と自分の心が矛盾を起こしていて、自分の心が自分の心を「罪悪感や漠然とした不安や恐怖感」と言う形で圧迫をしていると言う意味です。
自分自身を知る、或いは見性する、或いは道に至る、或いは悟りを開くと言う事が無明の反対語となります。自分を不安にさせていた者が自分の中に存在していた事が「分った」と言う意味になります。
自分自身の不安の正体が分かったと言う意味です。この経験以後は恐怖症が解消したと言う事になります。不安の元を全て解消できたと言う意味になります。言い方を替えたなら「心の矛盾が解消した」と言う事です。この事を絶対の安心「涅槃」と言う言葉で仏教では言っています。
その事を仏になった、成仏したと言う事になります。
キリスト教では「神に会って和解した」と言う言い方です。キリスト教の聖書に在る天国に一番近い存在「幼子」になったと言う意味になります。仏教的には、大人の嬰児が出来たと言う事になります。
お礼
大変丁寧に教えていただきありがとうございました 特に仏教にうとい私にとってはとても勉強になりました またよろしくお願いします