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歌詞の当て字について

不要不急の質問です。 さきほど「月のしずく」の歌詞を眺めていたら気持ち悪くなりました。 なんでだろう?と思って考えてみたら、どうも当て字の多用がいけなかったらしい。今までは字面を見ていなかったので気にならなかったのですねー。 で、一瞬「当て字反対!」と思ったのですが、よく考えてみれば一概にそう言えない部分もある。「蝉時雨」なんてのも……歴史的当て字でしょ?それにサザンも当て字多かったけど、それほど気にならなかったしなあ。 何日か前にこのサイトで見かけた質問に当て字を集めたものがあったのですが、それを見直してみたところ、個人的には「欲望」でデザイア、など漢字に英語をつけたものは許容範囲なのですよね。 でも「過去」(じぶん)とかはいやだなあ。「恋文」だって(しらべ)じゃないだろう。「匂艶」(にじいろ)もハラダタシイ。 =(≒も含む)で結べないものを無理やり読ませてしまうのはイヤですねー。 でもこういうのって結局個人の好みだし、なにより言葉は変わっていくものです。しかし、基本的には当て字というのは安易な方法であり、プロならば字面も、意味も、響きもいい、という言葉を探して身を削るべきじゃないかとは思うのですけどね。 などとまあ「月のしずく」からつらつら考えたのですが、みなさんはこの辺りのことについてどう思います? あなただったらどの程度(またはどういう使われ方)ならOKで、どのあたりからツラくなりますか? みなさんの回答を、ふむふむ、と読ませていただきたいのです。 お時間があります時にご回答下さい。よろしくお願いします。

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  • Largo_sp
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回答No.5

いやぁ実は「過去」で「じぶん」は無茶苦茶違和感ありますが.... 「田舎」「土産」「梅雨」「時雨」なんてのは「熟語訓」っていってますね これを当て字と言ったら、「山」(やま)とか「川」(かわ)まで当て字になってしまいます...訓読みです訓読み(笑) 「情熱」(パッション)とか「欲望」(デザイア)は英語圏の人はやってもいいかも 「人」(ワン/パーソン)とか...新しい読み方として認められてもいいのかもしれませんね そうすれば英語も漢字で書けるようになるかも.... 「恋文」(しらべ)は一寸違和感あるけど「歌詞」(しらべ)ってのはどうかなぁ 「恋歌」なんてのもあるし、一応いいかなぁなんて 「匂艶」(にじいろ)これは逆に面白いかな...と思います。上手に読ませてるなぁって...(本当はなんてよむんです?) おいらは(おんな)とか読ませちゃいますからね... 当て字といえば「一寸」「沢山」なんてのも当て字なんですよね... 「沢山」ってのが本当の当て字かなぁなんて... 小説かも批判されつつ使って、公に認めさせてしまったのだから 認めさせた者の勝ちってとこでしょうか... ...回答になってませんねつらつらと意味の無い言葉を書き連ねてしまった

alchera
質問者

お礼

ああ、わたし意味を当ててあるのも当て字だと思ってました。違うんですね。ありがとうございますm(__)m。あと#3さま、間違ったことを言って失礼しましたm(__)m。 しらべ、でも十分美しい言葉だと思うんだけど、恋を関連付けたかったんでしょうね。匂艶はナイ言葉じゃないでしょうかね?だって読めないものー。サザンの題名は「匂艶(にじいろ)NIGHT CLUB」でした。 ご回答ありがとうございました。

その他の回答 (4)

  • aminouchi
  • ベストアンサー率46% (376/804)
回答No.4

当て字が正しいかどうか、また好きか嫌いかということですと、話がそれてしまうような気がします。 この問題のポイントは、本来、耳で聞くだけの言葉を文字表現にたよっているという点にあるのではないでしょうか。言葉には、耳で聞く言葉(これが本来の言葉のありかたです)と目で見る言葉すなわち文字との2種類があります。その文字にもアルファベットのように表音文字の場合と漢字のように表意文字とがあります。さらに日本語の漢字使用法は音と訓を持つという特殊性がありますから、ご指摘のような「当て字」という事態がおきてくるわけです。 歌詞表現の自由さについて他の方々は答えておりますが、私は本来、歌詞とは聞いて判るものであって、それを文字にしたものを用いて表現を拡げるのは一種の反則であると思います。つまり、もともと聞いて意味が判るのが歌詞であり、それを聞いた通りに写すのが本来の在り方でしょう。 ただ、現代のように多様な情報が流れ、その表現方法がたくさんある場合に、文字による視覚的情報を利用して歌われている詞の世界を拡げるというのも方法論としては認めて行くべきだと思います。 私の場合で言いますと、歌詞を文字でみた時に本来その漢字はこう読まないだろうという読み方をしている時点で違和感を覚えます。

alchera
質問者

お礼

ああ、言われてみればそうですね。耳で聞いてわからないからイヤなんだろうなー。文字を見なければ普通の言葉ですもんね。関係ないけど「見て読めない個人名」も嫌いです(^_^;)。 面白い使い方をしている、というものもあったのですけどね。……しかし実例が今思い出せません。匂艶も実はサザンが相当前に使っていましたね(^_^;)。 ご回答ありがとうございました。

回答No.3

「蝉時雨」は当て字でもなんでもないと思いますが。 それを当て字とするなら、「今日」や「明日」だって 立派な当て字になりますよ。 僕個人も、「この読み方はないだろう」と思う 歌詞には過去たくさん出会いましたね。 名前を挙げることはできませんが、そういう体験の記憶はあります。 でもやっぱり、作る側としたら、自分の表現の場なわけで、 自由に、好きなようにやりたいってことになるでしょうね。 歌詞っていうのは、文章の表現法の中では、 抜きん出て自由なジャンルだと思います。 小説などは、やっぱりあそこまで奔放には書けない。 そういう点で、レトリックの一つとして、認めてもいいのではと思います。

alchera
質問者

お礼

時雨や梅雨なんてのも当て字だと思ったんだけどなあ。漢音(呉音もある?)や訓読みじゃないもの(音で読まないもの)は当て字と言っていいんじゃないでしょうかね? 日本語の「つゆ」に「梅の頃の雨」(←たしか中国起源の言葉だったような)を当てたのではなかったかな?記憶に頼ってるので定かではないけれども。構造は「欲望」「デザイア」の関係に似てるかなー。 たしかに当て字は全部駄目、というほどの気分ではないんですよね。程度問題。 実はその「程度」の部分のアンケートを期待したんですが、是か非かということになってしまいましたね(^_^;)。 ご回答ありがとうございました。

  • Largo_sp
  • ベストアンサー率19% (105/538)
回答No.2

歌詞には、音の数が大きく関わってくるので、本当の意味と、代わりの言葉 という感じに当て字を使っているんだと思いますよ... 「過去」に「じぶん」と言う言葉を当てたのは、本当は、「自分の過去」としたかったのだけど 音の調子が悪いので、自分と残した。ただ本当の意味は過去の自分だということをはっきり主張したかったので そのように当てたとかんがえるのがよいと思います。 歌詞なんていうのは本当に何でもありでいいのではと思います。 「本気」(マジ)なんてのもきらいなのかなぁ....

alchera
質問者

お礼

そのへんはわかっているのですけれどね。昨日の自分といいたくても、音が足りないのなら我慢して他の言葉を捜さんかい!と実は言いたい……。 本気と書いてマジと読む、というのは、「マジ」を公の文字にする時点で微妙にヤなので、意味は違いますがやっぱり嫌いですね~(^_^;)。(言葉では本人も「マジっすか!」とか言いますが) ご回答ありがとうございました。

noname#5186
noname#5186
回答No.1

タレントさんの名前で五月と書いてメイと読むのは、すごいと思いました。六月と書いてジュンと読ませたりといったバリエーションが期待できます。  当て字は歌詞なら、すべて許容範囲です。歌詞の制限を当て字という逃げ道で間口を広げて、伝えたい事をより的確に伝えられるのだろうと思います。  尤も、歌詞の良し悪しは、伝えきる事にあるとは思えませんが。どっちにしても歌詞ほどいい加減なものは無いような気がするので、どうでも良い、というのが私の率直な思いです。

alchera
質問者

お礼

五月でメイ……ってのは実はそんなに気に触りません(^_^;)。なんででしょうね。やっぱり好みかな。 歌詞に対しては辛口のご回答ですが、まあいい加減なものだけでもないし……。 個人的には頻度もあると思いますが。 人の名前で「これは読めないだろう……(^_^;)」ってのは嫌いですねー。(メイと矛盾するけど。) ご回答ありがとうございました。