「正義」「悪」とは一体何ぞや? ‐ 神様、現実って?!
川崎で万引き少年が、店主に警察へ通報され、逃走途中に事故死。
店は愚民からの嫌がらせによって閉店しております。
私は、この事件がきっかけで、「正義」と「悪」について
考えるようになりました。
先ほど、男女逆差別を危惧する方の質問に回答しました。
そこで、私は偽善者の話をしてきた訳ですが、
質問内容とは直接関係ないものの、
書きながら、どうも人間には、「善」を好む性質もある一方、
あえて「悪」に向かおうとする、性質があるのではないか、
と思いました。
さて、
【質問1】
皆さんにとって、「正義」「悪」とは何ですか?
【質問2】
絶対的な「正義」「悪」は存在すると思いますか?
【質問3】
生まれつき「悪い人間」というのは、存在すると思いますか?
【質問4】
昔、アメリカで多重人格症であるという理由で、
殺人を犯した男性が無罪になったようです。
殺人を犯した人格以外の人格を、尊重するという考えのようです。
(多重人格者は、他の人格でいる時の記憶がないそうな。)
詳細は知りませんが、皆さんはこのような判決について、
どう思われますか?
【質問5】
中学生のころ、学校の漢文の授業で、
「自分が、蝶になった夢を見ている人間なのか、
人間になった夢を見ている蝶なのか、わからない。
(人間と蝶の、どちらが本当の自分かわからない。)」
という内容の漢文が出てきたのを思い出しました。
皆さんにとって「現実」とは何ですか?
また、「真実」とは何ですか?
【質問6】
よく宗教信仰者などで、
「悪いことをすると、神様が天罰を下す。」などという人がいます。
“神様”という言葉を使う人をどう思いますか?
【質問7】
あなたが死んだ瞬間、「正義」と「悪」は、
“この世から”消滅すると思いますか?
「悪」も必要だから、この世に存在するという人がいました。
正義・悪の区別は、人間が勝手につけたものだとしても、
「二つの相反する力が、引っ張り合っている」のは確かな気がします。
正義感が強い人間ばかりを集めて一つの社会を作っても、
その中から、悪の“補欠候補”が順番に悪人に姿を変えて、
結局は、全体のバランスはほぼ同一になると思います。
仮に、何らかの理由で、どちらかが大幅に偏った社会集団は、
天秤が壊れて倒れるように、
結局はこの世から姿を消す運命になるような気がします。
ただ、私もやはり絶対的な「正義」と「悪」が存在するかは、
かなり疑問です。
だいぶ前、猫ちゃんと一緒に遊びました。
猫ちゃんには、どうやら人間が言う正義・悪は関係ないようなんです。
(当たり前だと、言われるかもしれませんが。)
同じ空間にいても、猫ちゃんと自分が見ている世界は違います。
脳や目の構造が違います。
人間同士でも、視力も違えば、気質も違う、見ている世界は、
個人ごとに少しずつ違うはずです。
当然、「正義」「悪」にも、感覚にズレがあるはずです。
教育によって授かった知識は、同じなので共通部分も多いが、
脳の構造に起因する感覚には、多少ズレがありそうです。
上の漢文の話ですが、現実世界=自分の知覚するもの、でしかない、
即ち、自分という主体が主観的に捉えるものが全て、と考えると、
夢もまた、ある意味、現実なのかも知れません。
真実(第1義的世界)は一つしかなかったとしても、
現実(第2義的世界)は人格の数だけあると考えることも
出来るような気がします。
この、第1義的世界を(もしそんなものが存在するとすればですが)、
人間は客観的にそれ見ることは出来ないことになります。
自分もその世界の一部だから。
キリシタンの中には、神様という言葉を使って、
人間の外に、そういう人格がいて、「悪」人に制裁を課すような
言い方をする人がいますが、
神=真実を司るもの とすると、
正確には、自分も神の中にいる、というのが正確な気がします。
上で言う、第1義的世界です。
人は、自分が作った第2義的世界に生きながら、
客観的に捉えることの出来ない、第1義的世界で
互いに影響を及ぼし合っている、
そう考えることも出来ないでしょうか?
(言葉の表現が下手でごめんなさい。ちょっとわかりにくいですね。)
皆さんはどう思われますか?