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なぜ1万点もある重文を守れなのでしょうか?

今朝(5/6)の読売の1面トップ記事です。そもそもどうして重要文化財を不景気で国民が生活が苦しいと言われている時代に守らなければいけないのでしょうか?自然というのは自然に消滅させることも含むものだと思いますしこのような文化財を必死に守ったところでそれでどうなのだろうかと素朴に考えてしまいます。こういうものより新しい科学技術の発展にできるだけお金を使うべきだと思いますが重文を守ることによるご利益のようなものを教えてください。

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回答No.5

初めにお断りしておきますが、読売新聞の記事は見てません。 ご質問の件ですが、これは考え方の違いというよりも、 経験の違いや感じ方の違いだと思うので、 すぐに納得してもらえるような回答は書けません。 ただ僕が思うには、1万点なんて少なすぎます。 守るべき文化財の内のほんの一部ですよ、これは。 しかしともかく指定された貴重な文化財は消滅を免れ、 私達の目を楽しませてくれるわけです。 「自然に消滅させる」というのもひとつのやり方ではありますが、 ぼろぼろに風化してしまったお寺とか、本当に見たいですか? 外国人の観光客が日本を訪れて、 「ああ日本人ってやっぱりエコノミック・アニマルなんだ。 日本の国はお金持ちなのに文化を守ることには冷淡なんだ」 と思われてもいいんでしょうか? 古い建物を建てる技術の多くは、 一度失われてしまえば二度と取り戻せません。 文化を伝え続けなければ、いつか日本は日本でなくなります。 お金(税金)の使い方については、話の本筋から離れるので 詳しいことは書きませんが、どの方面にどのくらい使うべきか というのはとても難しく、しかし軽視できない大切な問題です。 科学技術の発展のためにお金を使うべきだ とのご意見に異論はありません。 しかし例えば、難病に効く薬や電気自動車を開発することは 世のため人のためになりそうですが、 火星探査とか人型ロボットとかはどうなんでしょう? 核兵器も盗撮用カメラも科学技術です。 単純にお金を使って発展させればよいというものではありません。 それと同じで、文化財にもいろいろあって、 守るべきものとそうでないものがあります。 守るべきものにはお金をかけてもかまわないと思います。 現在のように経済状態が悪いと、 こういうところから切り捨てろという議論が出てきて当然ですが、 生活が苦しいときほど、こころの拠り所を求める人は多いですよ。 不景気よりも人心が荒廃している今の世相のほうがより問題です。 それに、世界遺産に指定された地域にある、よく知られた文化財 が持つ観光資源としての価値、経済効果は計り知れませんよ。 また、団塊の世代が定年退職して、各地の文化財を見て歩く人が どれほど多いか、ご存知ですか? やっぱり、必死に守ることも必要ですよ。

yukiyama99
質問者

お礼

回答ありがとうございます。1度失われた文化財ができれば変わりのものを人間は探し出しますというのが率直な感じです、子供が遊びを探すのと同じ感覚ですかね。1万点は多すぎます宝物だったら100もあれば十分でしょうという感じもしました。

その他の回答 (8)

  • kyo-mogu
  • ベストアンサー率22% (3398/15358)
回答No.9

別に私はそういった物を管理したりする人間でもありません。しかし、歴史や人物をしる手がかりとなる大切な物と思っています。教科書だけ残せばと言いますが。教科書もあやふやな物は載せられません。教科書から得られる知識は、実物から感じる物のほんの一部だけなんです。  百聞は一見にしかずということわざがあるのをご存じだと思います。教科書の表記は研究者が実物を見て感じたり、調べたりした物を書いているだけです。それも、昔に書かれた物です。現在ではCTなど最新科学で解明しようとしています。しかし、あなたのように教科書だけだと、実物がない。その研究した人の答えだけが残ります。しかし、その答えは正解なのでしょうか?その証明にも実物が必要です。  物はいずれ滅んでいきます。しかし人間はそれを残せる知識があるのです。デジタルデータなどで保存をしていますが、それは現在での技術で残せる部分でしかありません。全てを残せないのです。  一つの物を見方を変えれば、別の物に感じてしまう。円筒形を見方を変えれば円であったり、四角であったり。様々です。そしてどれも正解です。しかし、記録として残します。そして、その物は無くなりました。では質問です。その物体の重さは?質感は?素材は?残念ながら記録には残っていません。もう答えは出てきません。それに記録された物体の報告書の一部を改ざんされたらどうでしょうか?その物体の姿が全く分からなくなってきます。しかし、その物体が残っていればどうでしょうか?さらに調べることが出来ますよね。  私は科学が好きです。だからこそ後生の研究者のためにも、その物は残して置いて欲しいのです。

yukiyama99
質問者

お礼

回答ありがとうございます。できるだけ残すというのは普通に誰でもがそうしたいのだと思いますが空間的にも経済的にも科学的にも制約があるのも当然のことだと思います。重要文化財が約1万点、これらの維持管理には相当の税金が使われています。いずこの研究機関でも残すものを点検して管理法を時々変えているはずです。増えすぎますから国宝だけでも残すとか資料化とか方法を検討するのは当然のことと思います。

  • kyo-mogu
  • ベストアンサー率22% (3398/15358)
回答No.8

 あなたが残してきた物全て消し去って、あなた存在していたことを消し去ろうと考えているでしょうか?  文化財はその町、歴史上の人物などの生きた証拠なんです。いくつかの文化財でも再現できないものも多いのです。塗料一つでも当時と現代では異なります。技術も再現出来ないもの。また難しい物もあります。  これらの技術を見直すことにより、現代の技術に応用できる物も出てきます。  文化財がその地域の心の支えになっている事もあります。ふるさとの自慢の物でもあります。もし、あなたが大切にしている物があり、それが支えになっていたらどうです。それは他人から要らない物で無くしても良い物でしょうか?  文化財は人、街、希望などの記憶なんです。そして、原点へ戻るきっかけでもあります。そして、新しい技術の職人達への教科書なんですよ。  文化を守れない状態はもっとも心が貧しい証明なんです。歴史があるからこそ、文化財も多いのですから。  歴史を語るとき、その文化財から新たな発見がある。もし失われていたならば正しい歴史は分からないままかもしれない。

yukiyama99
質問者

お礼

回答ありがとうございます。あなたがどんな人か知りませんが何か文化財に特別の思い入れがある方なのでしょうか?私は形あるものはいずれすべて滅ぶと考えていますので、教科書が必要なら教科書を残せばよいと思っています。無理に残してどうするつもりなのですか?

  • mizunoe
  • ベストアンサー率20% (71/351)
回答No.7

無駄と知りながら、あえて意見させていただきます。 もし、何もこの世に存在しなかったとします。 そこから何かが生まれると思いますか? もう何度も意見があるので、重複しますが…。 まったく何もないところから、未来は生まれるのでしょうか? まったく知識も記憶もない人に、新しいものを作れるでしょうか? 自分の心で考えて見てください。 過去があり、現在がある。そして、それが未来につながる。 現在という位置から、過去をみて現状を踏まえ、未来を見つめる。 だからこそ、生まれる何かがあるのではないでしょうか? その教科書の一つが、先人が作り出した過去である文化財でもある。 もし、誰かが「その時」、違う行動を取っていたなら、違う現在であったかもと思います。 これは、私の意見です。 この答えは、誰かの話を聞いても分かるものではないと思います。 感じるものなので(~_~;) 伊勢神宮の遷宮であれ、伝える人がいなければ、20年ごとに建てていなければ、その技術の伝承はそこで失われると思います。 過去を未来に伝えるのが、文化財という一つの形だと考えます。 私は、神社に癒されます。 そこには何もないのでしょうか。 誰がないと言えど、私には鳥居をくぐった瞬間に、そこに確かなる存在を感じる。 そんなものだと思いますよ、過去という長い時間の流れは。 ちょっと話がずれてきましたので、これで失礼します。

yukiyama99
質問者

お礼

回答ありがとうございます。教科書の1つがというところが大切であって文化財以外にいっぱいあるうちの1つという意味だと思います。文化財に指定しなくても価値のある教科書にはなりえるというごく単純な話です。こういう話はすり替えがあると思っています。

回答No.6

5番目に回答した者です。 質問者様とは決して分かり合えないだろうと思いつつ、 あえてもう一度回答します。 まず、文化財は単なる宝物とは違います。 それに「100もあれば十分」って!! それだと1県につき2つですよ。 1つはほとんど見せてもらえないとして、 みんなが知ってる、わが県の誇る宝は たった1つだけって淋しすぎですよ! 僕が「1万点は少なすぎ」と書いたのは、 文化財に指定されずに失われてゆく物の方が 圧倒的に多いからなんです。 先日、重要文化財に指定されて切手にもなった 知る人ぞ知る(ここ重要です)とあるお屋敷を 訪れました。 何もかも、自分の住んでいるしょうもない家とは 全く違っていて、圧倒されました。 ありとあらゆる場所、ありとあらゆる物が 店では買えない、どこにも売っていない、 別のもので代用できない、かけがえのないものでした。 家の方から、それらを守り続けてゆく苦労を聞かせて 頂いたと同時に、そこに住む者の誇りを教わりました。 代わりのもの??? どこに?一体どこにそんなものが? どこかにあるのならどうぞ探し出してみて下さい。 僕もぜひ見たいです。

yukiyama99
質問者

お礼

回答ありがとうございます。この話題とは直結しませんが昨日、白洲次郎の武相荘をバスツアーで見に行ってきましたが現在は国ではなく町田市の文化財になっているそうです。1000円の入場料は高いなと思いました、NHKがづっと宣伝していますから人気があるようですが冷静に見て再度行きたいとは思いません。大切な国の予算で守ってくれなくても良い物の典型だと思いました。

回答No.4

温故知新。 古きをたずね新しきを知る。 歴史はつながっているんです。 …とは言え古い建築物や景観を大切にしてきたイタリアは、先日の大地震で大きな痛手を背負いましたね。 イタリアは財政難で、なかなか建物の補修にまで税金が回らなかったそうです。 伝統を守るにはお金がかかる、かけずに保護するだけでは簡単に壊れてしまうんですね。 文化財は観光名所になっている所も多く、きちんと経済効果も上げていると思います。 節約はして欲しいですが、まったくの無駄とは思いません。

yukiyama99
質問者

お礼

観光名所にするためには何か認められた宣伝材料が欲しいというのも1つの理由かもしれませんですね。しかし日本を観光立国にすると言っても素材不足ですという話もよく聞きます、文化財も作る時代かもしれませんね。

  • suiton
  • ベストアンサー率21% (1110/5263)
回答No.3

新しいものは幾らでも作ることはできますが、古いものは二度と作ることはできません。一時期の不景気のために1300年近い歴史を葬ってしまうのはいかがかと思います。 今現在、我々が幸福に暮らしていけるのは何故なのかということを考えさせてくれるのが文化財です。 なお、文化財保護法の第一条には次のように書いてあります。 「この法律は、文化財を保存し、且つ、その活用を図り、もつて国民の文化的向上に資するとともに、世界文化の進歩に貢献することを目的とする。」 参考までに。

yukiyama99
質問者

お礼

回答ありがとうございます。う~んこちらの回答も正直よくわかりません。幸福に暮らしていけるのはなぜなのか、別に文化財がなくても考えられると思います。皆さん同じような回答ということは、まあ不景気と言っても余裕があるんでしょうね。

  • bardfish
  • ベストアンサー率28% (5029/17766)
回答No.2

意義とか義務というのはナシにした個人的な意見。 文化財を無用と考えるという事は人類の過去を否定するのと同義。 そういうモノを尊ぶ心のない人は慈しみとか思いやりに欠けるさもしい人間になってしまう。 他人を騙す事しか考えない人ばかりの社会なんて、科学技術がいくら発展しても今より住みにくくなってしまいます。 文化財保護から生まれる新技術もあります。 高層建築物の耐震構造なんてその良い一例だと思いますけど。

yukiyama99
質問者

お礼

回答ありがとうございます。う~ん、こちらの回答も正直よくわかりません。文化財は持っていませんがいつくしみや思いやりは持っているつもりです。新技術は文化財のみから生まれませんですよね。

  • born1960
  • ベストアンサー率27% (1223/4397)
回答No.1

 先人たちが築いてくれた日本文化を守るためです。 過去があって今があるわけです。 そしてそのことを未来に伝える義務があるんですね。

yukiyama99
質問者

お礼

回答ありがとうございました。う~ん、予想通りの回答ですが、どうもよくわからないです。文化財に決めなくても現在も未来もありますよ!

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