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本尊はどうしていつも見せてはいけないのか?
善光寺は、7年ぶりに前立本尊をご開帳です。 その他のお寺でも、○年ぶりに本尊をご開帳の イベント?がありそれで信者(お金を支払うお客さん)を 広く集めることに成功しているように思います。 そもそも本尊は、どうしていつも一般人に見せてはいけないのでしょうか? また、○年に一回の期間限定ならどうして許される?のでしょうか? なにかしら「ちょとだけょ~♪」の上手い商法のような 色濃く感じるのですが? どうなんでしょうか? よろしくお願いします。
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仏像を隠すのは日本独特の信仰体系です。 仏像は本来は見ることが重視されました。 これは、理想的なる姿や具現化されtら真理を、視覚で認識するという一種の修行方法だったからです。 もともとインドの瞑想法では神聖な物を見て、それを自分と一体化するという方法があったからです。 特に密教では、自分の内なる仏性と、外なる仏の働きを具体化したのが擬人化された仏像として、その容姿、装飾の表現が事細かく規定されます。 日本でも仏教伝来当時は仏像は見えることが大切でした。 ですから飛鳥や奈良、平安初期の寺院では仏像はしっかりと見えます。 ところが中世以降では徐々に秘仏として、見せない仏像が登場します。 これは日本古来の神観念と仏教信仰が融合した信仰です。 日本では神霊は目に見えない、逆に見えないからこそ神聖であるという考えです。 神社では御神体は決して人目に触れさせませんよね。このように神聖なものを見ることは禁忌でした。そこで神霊の宿る目印として巨岩や巨木に社が建立され、鏡や幣帛などが設置されるようになります。 つまり日本人にとっては、「見えない」ということが神聖なもののイメージでした。このような神観念が仏教と融合したことで、「見えない仏の方が、より衆生を救済する力が強い」という日本独自の秘仏信仰が生まれました。 そして日本の神観念の一つに、神霊は定期的な時期に彼方から寄り来るというものもあります。「メレビト(希人)」といい、日常とは異なるハレの日に出現する神は、多くの利益をもたらすというものです。正月や盆などもこのような考えです。 ですから、特定の日のみに開帳される秘仏も、衆生を救済する力が偉大であるということの現れです。 このような信仰は、特定の宗教家によって作られたのではなく、信仰する側である民衆の願いから自然発生的に形成されたものです。 なお、仏像によって逆に神道でも神像といい、祭神の姿を擬人化して表現する信仰も生まれます。 異なる宗教、文化が互いに影響、融合することで、「見えない仏」・「見える神」という新たな信仰が生まれるのも面白いものですね。
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- goo-par1732
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仏像は本来、礼拝の対象として精魂込めて作られたものですね。 いつまでもよい状態を保つためには、湿気を避けて風通しのよい所に、安置しておくのが望ましいわけです。 ところが、わざわざ隠してしまうのは、そうすることによって何か都合がよくなるからでしょう。 いろんな種類の仏像があって、それぞれありがたい「ご利益」があります。 今と違って昔の人びとは、神さまも仏さまも熱心に信じて、どうか私の願いを聞いてくださいとお参りしたことでしょう。 多くの人が押し寄せるようになると、仏像を隠すことによって拝むことができる人を選別することができるようになります。 要するに「お金しだい」です。 西国33観音巡礼は平安の昔から現在まで続いていますが、本尊は秘仏が多いです。 これらの大寺院は、昔の豪族の私寺が多いです。 寺も経済的基盤が必要です。 ある寺院が権力者の庇護の下となったとき、その寺院の仏像の功徳は権力者一族だけに及ぶように、仏像を隠したので「秘仏」となりました。 そこで「本物」(本尊)の代わりの「前立ち本尊」を作って、大衆は「前立ち本尊」を拝むようになりました。 その「前立ち本尊」ですら隠すようになってきていますね。 お寺にとって仏像は、信仰の拠りどころであるはずですが、それよりは、隠すことによって神秘化される「値打ち」を求めたとしか考えられません。
- dulatour
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あまり露出すると商品価値が下がるということが、大きな理由です。ご開帳というもの自体が、集金を目的としたものですからね。 また、本来、目に見えるものではなく心であるという仏教本来の信仰があるのかもしれません。ただ、たまに目に見えるものを紹介しないと、一般人がついてこないということもあります。 本来の信仰と一般人の心の機微を掴んだ作戦ですね。 何年の一回の開帳をするとこもあれば、秘仏として一切開帳しない寺もあります。浅草寺さんの本尊の観音様は、誰も見たことがありません。
- pri_tama
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まあ、自分でも「ちょとだけょ~♪」商法を否定できないのですが、一応本尊も美術品ですから、光や温度や湿度など影響を少なくして、より良い状態で将来へ受け継いで行きたいのでは? あと、タマに公開しないとホントに現存しているのか疑われてしまいますから…。
お礼
お返事遅くなりすいませんでした。 ご回答ありがとうございます。 あまりにもピッタシでとても 感じ入りました。 もうなんかいか読み直しています。 それでどんなコメントをすればいいのか 躊躇していました。 ありがとうございました。