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うつ病で通院中、クリニックの先生の発言について

以前にもうつ病に関することで質問させて頂いた者です。 今日、診察日だったのですが、先生に言われたことが分からず、 とても気になっています。(その他の日に言われたことも 分からないことがあったのですが・・・。) 先生のご意見について、皆さんがどのようにお感じになるか 教えて頂けると幸いです。 1)自分らしく生きるということ 私自身、これまでいい子をずっと演じてきました。家庭でも 学校でも社会でも。そのことを話すと、自分らしく生きていない。 他人も目ばかり気にしている。と言われました。私は自分らしく ということがわかりません。自分らしく生きることが分からないのは、 精神が未熟だと言われました。 いったい、どういうことが自分らしく生きるということ なのでしょうか?私は、好きなことだけやってはいけないし、 周りとの摩擦を防ぐためには、我慢も必要だと 思っているのですが・・・。 2.小学校で習うことは実社会では役に立たない 私が父親とけんかしていた時に、悪いことをしたら謝るべきだし、 自分がされて嫌なことは人にしてはいけないと思う。これらの ことは小学校でも学ぶことなのに、きちんとするべきだと思う。 と話したところ、小学校で習うことは社会では通用しないから。 と主治医に言われました。私は、小学校で学ぶことは、社会で 生きていく上でのマナーや礼儀などの躾といった面もあると 考えているのですが、どうなのでしょう? 以上のようなことを時々、心療内科で言われることがあるのですが、 いつまでたっても答えを見つけることができません。 みなさんはそのようなご意見や考えをお持ちですか? 率直な意見を頂ければ、うれしいです。 よろしくお願いします。

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  • am2007
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回答No.6

syabondamaさん、おはようございます。今朝は、朝から雨ですね。 前回の書き込み、拝見させていただきました。 ■自分らしく生きるということ あなたのレスから、おおよその見当が付きました。これは、過去、あなたに起きた事件が、潜在意識となって隠れてしまったことから始まる出来事です。詳細をお尋ねした訳ではないので、細部では違っている部分もあると思いますが、大筋では外れてないと思いますので、是非、参考にされてください。 結論から申し上げます。自覚のない感情を抑圧すると、個人差はありますが、今、あなたに現れているうつ病様の症状が現れてきます。夜になるとすごくつらい。消えたくなる。なんともいえないやるせない気持ちがこみあげてくる。自分で自分の感情をコントロールできなくなる。家にいることがつらい等々です。では、この自覚のない感情とは、何なんでしょう。分かりやすく説明します。 >祖母は、母を家政婦程度にしか考えず、 >祖母は、友達選びにまで口をはさんだり、礼儀作法や人に >迷惑をかけるなということを厳しく私にしつけました。 あなたは、このように祖母から何かにつけ口うるさく厳しく叱責されました。また、あなたのお母さんも祖母から「母を家政婦程度にしか考え…」て貰えなかった。自分のこと、お母さん(かわいそうだからの意)のこと、何かにつけて口うるさい祖母から逃れるため、いい子ぶる生活が始まったのです。事実、意にそぐわないことがあっても、「はい!」といいたいことを言わず、自分が我慢すれば事が丸く収まるからだと思います。また、あなたがいい子であれば、お母さんも叱られなくてすんでいたのではないでしょうか。別に計算してやった分けではなく、子供心に、何となくそうした方がいいのだろうと思っての無意識の行動です。 ここに、あなたの意思(感情=本来のあなた)が次第に失われていったのです。 本当は、子供であるあなたが、一番泣きたかったのだと思います。でも、あなたが泣きじゃくったら、祖母の厳しい目が光っています。自分も困るし、お母さんもそのことで(躾がなってないと)苛められ、子供なりに精一杯頑張ってきたのだと思います。そう、自分の感情を押し殺して頑張ってきたのです。お父さんに言っても、なしのつぶて状態ではなかったのでしょうか。実の母親は憎めないのです。 辛かったでしょう。苦しかったでしょう。寂しかったでしょう。心細かったでしょう。悲しかったでしょう。泣きたかったでしょう。悔しかったでしょう。どこの誰よりも、子供であるあなたがご両親に甘えたかったのではありませんか。でも、それがしたくてもできなかった。環境が許してくれなかったから。「私はいい子でいれば、少なくとも今の環境を壊すことはない。それでいいんだ。と思っていました。」から。 やがて、これら一連の感情(辛い、苦しい、寂しい、心細い、悲しい、泣きたい、悔しい等の感情)を知らず知らずのうちに封印(抑圧)することにしたのです。そして、自分の感情を抑圧する生活が、中学生の頃まで続いたのでしょう。中学生の頃までのはっきりした記憶がない理由です。そして、その反動が、今、出てきているのです。「祖母と同居しており、祖母の意見は絶対的なものでした」が故に、幼少期に、しっかり甘えることが出来なかったのです。親の愛を肌で感じ取ることが出来なかったのです。 対策です。 まず、幼少期のプロセスをイメージして、この無意識下に抑圧された一連の感情(辛い、苦しい、寂しい、心細い、悲しい、泣きたい、悔しい等々の感情)を意識下に引きずりだして、しっかり認識してください。(その情景・情景に映し出されると思われる感情を認識するようにしてください。)あの時、泣きたいほど辛かった。あんなこともあった。このとき、本当は、かばって欲しかったのに誰もかばってくれなかった。どうして?なぜ?「寂しい」、「悔しい!」という怒りの感情が見えてきませんか?怒っている自分も見えてくると思います。認識するだけで結構ですから。 無意識下に抑圧された様々な感情を認識すると、あなたの本来の心が現れてきます。一連の症状も、徐々に解消していきます。ただ、二十数年(?)間、持ち続けた意識をすぐ変えることは難しいので、次のようにしてください。 「自分は、もう治った。単なる勘違いから生じた症状だった。決して、アダルトチルドレンでもないし、うつ病でもなかった。」、一時的に落ち込むことがあっても、「もう大丈夫だから、絶対、大丈夫なんだ!時間が解決してくれる」と。(ここは、自分にあった言葉で作ってください。)そして、たった今から、ポジティブな意識を持つように心がけてください。 過去、意識を「ネガティブなこと」に集中させたから「ネガティブな結果」が出たのです。 今後、意識を「ポジティブなこと」に集中させれば「ポジティブな結果」が出るようになります。 このうつ様の症状をあなたの代で断ち切ってください。この嫌な感情を持ち続けると、あなたのお子さんにも同様の症状が出てきます。一般に遺伝だといわれますが、環境がなす遺伝(環境遺伝)です。環境を解消すれば、絶対に遺伝しません。そして、愛情いっぱいに育て上げてください。あ!まだ、未婚でしたっけ(笑) >小学校で習うことは実社会では役に立たない いえいえ、凄く役に立ちます。私は、幼少期の出来事が基本となって、その人の将来の価値観が決定すると思っています。事実、そういう方達ばかりです。あなたの言っていることは、間違っていません。でも、大人の社会は、企業が儲けるための社是や規則などが存在していて、正しくとも正しいといえないことが、多々、あります。そこを臨機応変にどのように使いこなすかだと思います。士農工商であった武家社会は、環境に適合しなければ、殺されても文句が言えない時代でした。北朝鮮は、北朝鮮の環境に合わせて生きるしかないと思います。つまり、現代は、現代のルールに沿った生き方が必要になります。「ところ変われば品変わる」といいます。人の意識も同様だと思います。 ただ、基本は、いつでも、「悪いことをしたら謝るべきだし、自分がされて嫌なことは人にしてはいけない」と思います。この気持ちは、常に、必要だと理解しています。 文字というのは、特にメンタルな問題は誤解が生じやすいので、めったに書かないようにしていますが、今回は思い切って書きました。参考にされてください。

syabondama
質問者

お礼

am2007様、こんにちは。こちらも花冷えで肌寒く、雨の日です。 お返事ありがとうございます。 とてもこのご意見は的を得ており、感謝いたします。言われるように、ずっと自分を抑えてきました。中学生までの記憶があまりないこと、 思い出しても嫌な思い出ばかり、高校は大学受験ということぐらいしか思いつかないです。 小学校6年生で、いじめにあい、担任教師にもうとまれていました。 その後、中学進学後は、無理をして強い自分を演じ、周りから、 何も言われないような完璧な自分をめざし、強い自分をつくり あげていました。 対策、ありがとうございます。無意識ですが、am2007様の言われた 対策を行ってきたようです。うつ病になってから、嫌でしょうが なかった時期の夢をみて、うなされて起きるような状態が時々 あります。自分では、封印したつもりでしたが・・・。これを 意識的に行えば、対策になるように感じました。ありがとうございます。 ”このうつ様の症状を・・・” 今現在は、独身ですが、母のつらさや私のような性格の母親に 育てられる子供が不憫だと感じ、生涯独身を貫くつもりで、 今日まで生きてきました。なのに、友人たちに相談を受けると am2007様のように”愛情を・・・”、というアドバイスを している自分がいまいした。その反面、私自身は、男性と 同等以上の仕事をして、キャリアウーマンになるしかないと、 仕事面でものすごい勢いでこれまで、走ってきました。 それをきっかけとして、うつ病を発症してしまいました。 小学校で習ったことも役に立つというご意見をいただけて 大変うれしいです。私もすべてが通用すると思ってはいませんが、 生活していく上での大事な土台にはなると考えています。 そのうえで、状況に応じた対応ができればいいのだとも 思っています。 普段、メンタルな問題にお答していないという、am2007様の ご意見大変役に立ちます。私のお礼などに目を通していただき、 こんなにも親身になってお返事をいただけたこと、感謝のしようが ありません。 本当にありがとうございます。長い間の過ごした環境・考え方は 、また、うつ病である現在、一度にいろいろなことをするのは 難しいですが、am2007様のご提案いただいた対策を少しづつでも 勧められたらと思います。

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  • am2007
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回答No.10

>これまでの人生、どのような選択をすると、周りに >対してベストなのか、ずっと考えてきました。 私は、常々、人助けがしたいと思っていました。「自分が犠牲になっても良い」くらいの気持ちがありました。でも、それが、ある日、間違いだということが分かりました。以来、「元気な自分があっての人助け」に変化しました。あなたが、病院に行って、元気のない死んだようなドクターの言葉が信じられますか。元気だからこそ、周りの人も頼りにしてくれ、言葉の重みも信用もつきますよね。 建築は、土台となる基礎工事がしっかりしていて始めて地震に強い家が建ちます。物事は、すべて、この基礎工事が重要です。あなたが、今の精神状態で考えても、これという指針が見えにくいと思います。何故なら、基礎工事が不安定なままだからです。焦燥感や不安感が残っているうちは、難しいと思います。まずは、心の安定感を得ることが必要です。 >意識的に行えば、対策になるように感じました。 実施するにあたっての心構えです。 一般的に、「無意識の扉」を開けることが「パンドラの箱」を開けるここと同一視されていて、非常に危険なことだとの認識が強いように感じています。無意識下に潜り込んだ自覚のない記憶を呼び起こすことは、危険でも何でもないということを申し上げておきます。現に、私も幼少期の潜在意識下の記憶を顕在意識へと引っ張り出しましたが、何ともありませんでした。むしろ、「え!こんなもの?」という感じです。「決して危険なものではない」、と認識を変えて頂きたいのです。もっと、肩の力を抜いて、頂きたいのです。過去の記憶を呼び起こすということは、過去、自分が体験したことを認識するだけですよ。単に、幼少期に生じた「自分の過去を認識するだけの作業」だということです。 >躾のなっていない子どもにいらっとしたりしてしまいます。 なぜ、私は、イラッとなるのだろう?と、(嫌だろうけれども)あえて、その感情を顕在意識下に引っ張り出して考えてください。そのままに放置しておくことが、精神疾患の元凶になるのです。あちらでイラッ、こちらでイラッ、家族や仲間内のちょっとした会話でイラッ、これらのネガティブな感情であるイライラをそのまま放置しておくから、知らず知らずのうちに潜在意識下していき、精神疾患の元凶になるのです。そして、無意識のうちに、イラッ、イラッ、としている自分が完成します。つまり、ネガティブな感情を溜め込んでいるうちは、心が開放されないのです。心が開放されないと、常に不安定になります。心が安定していれば、精神疾患も逃げていきます。近づいてきません。 ネガティブな感情を放置するということは、潜在意識(無意識)下に押し戻すことなのです。押し戻すから飛び出してくるのです。無意識下の世界から顕在意識下に引っ張り出してください。そして、ポイントは、第三者になって、客観的思考で、どうしてだろう?と考えるのです。つまり、あなたは厳しい環境下で躾けられたからですよね。でも、それぞれの家庭には、それぞれの理由があって価値観が違います。その価値観の違いにイライラしている訳です。現に、あなたの投げた問題「小学校で習うことは実社会では役に立たない」に関しての答えが、千差万別です。だから、あなたが、そのことにヤキモキしても仕方がないのです、という風に理解していくのです。 >自分自身から、逃げているような状態ですから。 なぜ、逃げているのだろう?と考えてください。原因は、「未来なんて自分にはないし、いつ死んでもいいといった考えを持っているから」ですよね。そのネガティブな感情を考えるのが嫌だから潜在意識に押し込むのですよね。無理に押し込むから出てくるのです。逃げるから追いかけられるのです。「友人から困っていると相談を受けた」と、第三者になって客観的思考で考えてください。 ここでのポイントは、自分は厳しい環境下で育ったから、今の自分があると素直に受け入れてください。森田療法でいうところの「あるがまま」に受け入れるのです。まず、現実を素直に受け入れることが必要です。あるがままの現実を受け入れると、不思議とポジティブな感覚が湧いてきます。「じゃぁ、これからどうしたらいいの?」って。 物事に対処するときのポイントは、出来るだけ、ナチュラルにシンプルに理解するようにしてください。人は、迷っているときは、必ず、複雑な方向に意識を持って行き、それで頭がパンクするのです。そのときが、もう既に精神疾患の入り口です。真実は、いつでもナチュラルです。そして、シンプルです。迷ったら、必ず、シンプルな方を選択してください。シンプルだと、軌道修正が出来るからです。迷路に入り込んだら、軌道修正が出来なくなる傾向にあるからです。肩の力を抜いていきましょう。 よければ、こちらも覗いてください。 http://oshiete1.goo.ne.jp/qa4850566.html

syabondama
質問者

お礼

お返事ありがとうございます。 ”元気のない死んだようなドクターの言葉が・・・”は確かに そう思います。ただ、うつ病になるまでは自分は仕事でも評価され、 強い自分だと思っていましたので、am2007様のように考えることは ありませんでした。また、うつ病になって、主治医にいろいろと 問いかけられるまでは、自分自身の問題にも気づいていません でした。 私の基盤といえば、これまでは仕事ができ、評価もされる私。と いうものでした。それが、うつ病によって、一気に壊されて しまったとずっと思っていました。 母親に言わせると、私は自分にも厳しいが、他人に対しても 厳しいとのことです。自分では、そこまで思っていませんでしたが、 学生時代の恩師にも古いタイプの人間だと言われていました。 そのため、今、当たり前に行われていることが、自分の枠や 常識と離れていることが多く、だから、日常でいらつくことが あるということまでは自分自身でも自覚はしていました。 私がすべき対策についての今回のお返事ありがとうございます。 前回、おっしゃっていただいたものと合わせ、自分なりに できるところからやってみようと思います。 今の自分から逃げているのは、自分の中にある人生設計通りの 生活ができていないこと、うつ病の状態で、資格取得を 目指しており、それが思うように進まないためです。 以前の自分なら、もっとやれたのに・・・。と考えて しまうからです。 いつ死んでもいいとは、うつ病になるもっと前から思って いました。ある意味、自分のやりたいことはやった。と いう気持ちがあったからです。自分が選択したことに 対してそれなりの結果が得られていたため、後悔がなかった からです。 am2007様のおっしゃるように、今の自分を受け入れる努力を しないといけないですね。そして、アドバイスのように 考えていけるようになりたいと思います。 また、書き込んで頂いた質問にも目を通しました。いい子を 演じてきたという点で共通だなと感じました。 正直、今の自分にかなり焦っています。自分なりの目標があり、 時期もそれなりに設定しており、時間がなくなってきていることが 焦りの原因です。 再度のお返事、本当にありがとうございました。

  • puu1-2-3
  • ベストアンサー率42% (136/323)
回答No.9

こんにちは。 自分らしく生きるということについて、あなたは協調性を重視するあまり、自分の欲求や考えを押し殺してはいないでしょうか? そのような我慢はよくありません。 散々溜め込んで、あとで大爆発させる人も私の周囲にはいます。 自分の意見を言わないのは、協調性でもなんでもないので、 相手の意見をしっかり聞いたうえで、自分の意見や要望もはっきりいえるようになるのが理想です。 でも、それは病気が治ってからの話。うつのときに、他人と議論したりするのはNGです。 小学校では、子供に教えるために、 「こうしなければいけません。」 「これをしてはいけません。」 と言う風にあたかもそれが絶対であるかのように教えますよね。 内容も決して間違ってはいません。 でも世の中、すべての人が模範的な善人ではないわけで、 言い方は悪いですが、ずるをしたほうが得である場合もあるわけです。 (例えば、買い食いはダメなんていわれたら、なんて不便でしょう) 確かにあなたが思うことは正しいのかもしれませんが、 すべての人がそれをするには少し窮屈かもしれません。 私も、小中学生のころは生真面目な生徒でしたが、 中学の担任の先生からは、「もっと、大きな物差しを持ちなさい」 と諭されました。 人それぞれ、考えや、感じ方といった物差しは違いますので、 なるべくおおらかに、許容できる大きな物差し(器量)を もたれるようにすればよいと思います。 要は、他人に迷惑をかけなければ、何をするのも自由なので、 あまり「こうしなければならない」といったことに とらわれるのはやめましょう。 時には、間違ったこともやるし、人に迷惑もかける、 人を傷つけるかもしれない。そんなときは、素直に謝ればいいのです。 反省は必要ですが、必要以上に自分を責めてはいけません。 誰にでも失敗はあるのですから。 うつのときには、心のエネルギーや、抵抗力が弱っていますので、 あれこれ考え込むのはよくありません。 患者の考えを全面否定したり、考えを押し付けるような先生はあまり好ましくないと思うので、 先生の診断を受けること自体が苦痛に感じた時点で他に転院されたほうがいいと思います。

syabondama
質問者

お礼

お返事ありがとうございます。 協調性を大事にしたいとは考えていますが、仕事上・ 学生時代の研究などでは、どうしても筋を通したいことは しっかりと主張してきました。 ただ、人生は選択の繰返しといいますが、その選択を 周りがどう見るのかといったことを意識して決めてきた ということはあると思います。その選択の中で、自分の 意見を言ってきただけなのかもしれません。 ただ、幼少期の祖母の絶対的権力化では、自由はなかったので、 祖母の顔色をうかがいながら、生活をしてきました。 そういう意味では、自分がないのだと思います。 うつ病になってから、これまで思っていたことを両親に はきだし、親にどう思うのかと意見を迫ったことが 何度かあります。でも、うつ病の状態で議論をすることは NGということなので、気をつけたいと思います。 白黒をつけたい性格である時点で、キャパシティーが小さいの だとは思います。みんなが同じことはできなくても、 最低限の礼儀作法・モラルは大事にしてほしいという気持ちです。 私自身、知らない間にほかの人に嫌な思いもさせているかも しれませんし、完璧は存在しないとは理解はできているのですが、 躾のなっていない子どもにいらっとしたりしてしまいます。 puu1-2-3様のおっしゃる通り、他人に迷惑をかけなければ 何をやってもいいということも理解はしていますが、自分の 中の感情がついていかず、変なことで考え込んだりして しまいます。 主治医のことは、私の説明がよくないのかもしれませんが、 時々、禅問答のようになってしまいます。そのたびに、 考えることが増えてしまったり、診察が嫌なときもあります。 両親は、セカンドオピニオンに診察してもらうなどのことを したらどうかと言いますが、最初に行ったクリニックが最悪で、 次のところも同じだったらどうしよう。また、一からすべてを 話すことを考えると気が重くなります。 今のクリニックは、かなり評判がよく、うつ病の研究を大学で 長年やってきた方なので、信頼しているところもあります。 (最初に行ったクリニックは、統合失調症が専門の方でした。) なかなかうつを専門にしている精神科医は少ないそうです。 puu1-2-3様の”患者の考えを全面否定したり、・・・”の アドバイスも今後、治療の視野に入れていく必要もあると 感じました。 ありがとうございます。

noname#96295
noname#96295
回答No.8

主治医はsyabondamaさんを子供っぽい人、自由でない人と捉えているんだろう。 主治医とあまり気持ちが通じ合っていないのかな。 前後の会話やどういう文脈で言われた言葉なのか、ということのほうが大事だけれども、 この質問だけを向けられれば、 自分らしく生きるということなど、周囲が与えるその人らしさの中で生きるということにすぎない、 と答えるし、 小学校で習うことは、実社会で役に立つことばかりではない、という言い方のほうがいい、 と答えるね。 「自分」が2年前にも昨日にも明日にも連続した「自分」だということがわからなかったり、 「自分」のしていること感じていること望んでいることをほかの人のことのように感じたり、 「自分」の経験の中心に「自分」があることがわからない、 というわけではないでしょう。「自分」の故障はこれだけです。 こういうことなら精神科の治療を要するけれども、 syabondamaさんは自力で生きやすく暮らしやすくしていくしかない。 お薬の助けを借りながらの1日1日であって、お薬が治してくれるわけではない。 習慣を持つこと。 何かを選び、選べないものは放棄すること。 他人と自分を比べないこと。 他人の評価よりも、自分が望むようにできたかどうか。 何よりも、syabondamaさんが未熟のまま飛び込めて、成長できる場所を持つこと。 日記、書くなら未来日記や日常的なメモを書くとよいです。 過去は変えられないのだから、過去をねちねち確認する必要はない。 医師やカウンセラーが過去を聞くのは、患者が変形した物語にとらわれているかどうかを知り、 変形の特徴を見極め、対処行動を予期するためで、一人ですることではない。 書けないこと話せないことのほうに、取り除きにくい躓きがあるのだから、 内容が大事なんじゃないですね。 書くということは、心をやわらかくしつける手段。 心をやわらかくして、習慣を生きるなかに、ありがとう、お願いします、ごめんなさいもたくさんあって、 syabondamaさんがあなたのままでいられる居場所が決まってくるでしょうね。

syabondama
質問者

お礼

お返事ありがとうございます。 主治医もamaguappa様のような言い方をしてくれれば、 こんなに悩まなかったのかもしれません。 確かに、私は一人立ちしていないと思われていると 思います。 長女として、両親の面倒をみることは当たり前とも 考えますし、母とは友達親子みたいな関係で、共依存 しているように主治医には見られているかもしれません。 一度も一人暮らしもしたこともなく、ずっと実家で ある意味、親に守られながら過ごしてきました。 自分らしくという言葉は、一人のときや夜になると、 不安になったり、焦燥感にかられることがあり、 なんともいえない気持ちになると話したときに、 自分らしく生きることが必要だ。みたいな話の流れに なったときに、自分らしく生きるということが私には わからないと答えたときに話した内容のような記憶が あります。時々主治医とは、禅問答じゃないのかなと 感じる話をすることもあります。 これまでの人生、どのような選択をすると、周りに 対してベストなのか、ずっと考えてきました。 自分で自分のことを決めてはいるけど、本当の自分は どうしたいのかということは、それほど重視してこなかったと 思います。 amaguappaの”習慣を持つこと。・・・”の部分は 今まで私ができていなかったことです。このことは、 主治医にも指摘されてきました。でも、どうしても 他人と比べてしまう自分がいるんです。女32歳にも なると、周りは家庭を持っている人が多く、独身の 自分は大丈夫なのか?や母親の願いである孫を抱くと いうことをかなえてあげたい気持ち、でも、現時点では 生涯独身でと思ってもおり、自分の中で相対する気持ちが あり、はっきりと自分がこれから何をすべきかという ことにかなり焦りがあります。 書くこと、今はとてもできそうにありません。自分自身から、 逃げているような状態ですから。未来なんて自分にはないし、 いつ死んでもいいといった考えを持っているからです。 その点についても自分で克服するしかないのでしょうが、 今はなかなか考えられません。日常も家族との接点しか ほとんどない状態です。少しづつでもいいから、 amaguappa様のアドバイスを実践できるようにしていきたいと 思います。 ありがとうございます。

回答No.7

最近方々でこればっか書いているのですが、 以下の本をお読みになられたらいいのではないでしょうか。 ・自己評価メソッド クリストフ・アンドレ 自分の受け入れ方、危険な教育を捨て去ること、他人の目の問題 なども含め、 それらが「自己評価をよくする」ということにまとめられています。 鬱は自己評価が極端に下がる病気です。 疑問が解決する部分もあるかと思います。 具体的には 1. 好きなことを何もしないで、我慢ばかりしてきたのではないでしょうか。 我慢せず、以下の形で、本当の自分を出してみることがどうしても必要です。 これをしないと、自己評価をどんどん下げ、鬱も治りません。 自分らしく、とは、自分を見つめ、自分の意志の通りに生きること。 他人の目を気にせず、自分はどうしたいのか、はっきりさせる。 そのために、まず自分と向き合う。自分の気持ちを知る。 そして反社会的でない限り、それを適切な形で主張してみる(アサーション)。 やりたいこと、自分はこうだと思うことを、 相手に誠実に、気持ちと考えを率直に、相手に対し高飛車にも卑屈にもならず、言ってみる。 具体的には D:事実 E:感情 S:要望、提案 C:Sの結果期待できる効果 の形に整理します。そして言ってみます。 2. 小学校で学ぶことは、社会で生きていく上でのマナーや礼儀などの躾といった面も あることも事実です。しかし、人間というもの、規則、礼儀、マナーを必ず守れる とは限りません。なぜならば、人間は完璧なものではありえないからです。 大事だが、こだわりすぎるのもよくない、という考え方が必要になります。 こうした規範を重視しすぎるのは、典型的な認知(物事の捉え方)の歪みです。 完璧主義は、必ず破綻します。自分が潰れてしまいます。窒息してしまいます。 勿論中には厳守しなければとんでもないことになる規範もありますが、 そうでもないものもあります。前掲書では治療法として ■いい加減に行動する練習をする…たいして問題は起こらないとわかる  ・わざと映画に遅れていく  ・準備をしないで友人を招き冷凍食品で食事(こんなことじゃ友情は崩れない) 大切なポイントだけおさえて、出来る範囲でやればいい。文句がある奴には言わせておけ (私の要約) 等が書いてあります。自分の行動で完璧主義を壊してみるのも一法かと。 そんなことも考えながら、先ほどの本を少しずつ読んでいくといいかなと思います。 1日1章、計26章。 何かが変わると思います。

syabondama
質問者

お礼

お返事ありがとうございます。 参考書籍のご案内、ありがとうございます。 確かに今まで本当に好きなことをやっていなかったのかも しれません。それでも、学生時代の研究だけは大好きでした。 ただ、実社会では私のやっていたような基礎研究をできる場は 少なく、あきらめました。 ただ、勉強は好きなので、なにか勉強をしようとはずっと 思ってきていました。このうつ病をきっかけに、会社員という 集団から抜け出すべく、ある資格を勉強しています。そして、 士業として個人事務所を開くことができたらと、思って います。 これまで、他人の視点からでしか、ずっと自分を見ることが できなかったです。これまでの考え方を修正することは 長い時間の中で形成されたものですから、難しいとは 思いますが、ajnsuqbaas様のおっしゃる“自分らしい”を 探せたらと思います。 ”小学校で習ったことは役に立たない” のことですが、私の性格はものの見事にうつ病になりやすい 性格でした(笑)几帳面で完璧主義なところなど。 なので、礼儀作法ができていない人を見ると、なんだか 嫌な気分になってしまいます。また、私は祖母と同居して いたため、年齢の割には、古い考え方をしてしまいます。 (自分もそう自覚はしていましたが、恩師にも同じことを いわれました。) 完璧主義を壊す、とても勇気のいることです。ajnsuqbaas様の アドバイスのように小さな完璧からの脱出をできるように なれればと思います。まだまだ、自信はありませんが。 参考書ありがとうございます。読書はすごく好きなので、 うつ病でもなんとかできることの一つですので、読んで みたいと思います。 ありがとうございました。

  • kuroiso
  • ベストアンサー率13% (35/257)
回答No.5

私はうつです。 1 については、私個人は、家庭が安全な居場所 ではなかったので、よい子を演じた為に、 アイデンティーティーが確立出来なかったと、 言われました。なので、どういう事が自分らしい のかがわかりません。「アダルトチルドレン」 をググッてみたらわかられると思います。 2 については、小学生で習った様な、 モラリストが理想的な人間ですが、 現実は完璧な人間は存在しないという点で、 矛盾してますよね。多分先生はそういう意味で、 おっしゃられたのではないでしょうか? 個人的にあまりモラリストで生きるのでは、 人生の面白みに欠けて、不自由な人生に、 なるので、今は最低限のモラルだけを守る 人生を生きようと、生きなおしています。 生き方に正しい答えは、存在しないと思います。

syabondama
質問者

お礼

お返事ありがとうございます。 kuroiso様のように私も主治医から、一種のアダルト チルドレンだと言われたことがあります。だから、 中心となる自分がいないんだ。というような ことを言われた記憶があります。 ”小学校で習ったことは役に立たない”と言われた 時、医師が礼儀作法などを無視した言い方をしても いいのかなと思い、わからなくなっていました。 また、病気のせいか、人の言葉一つ一つに敏感になって おり、マイナス思考になりがちでした。 kuroiso様のおっしゃる”小学生で習った様な、 モラリストが理想的な人間ですが、 現実は完璧な人間は存在しないという点で、 矛盾してますよね。多分先生はそういう意味で、 おっしゃられたのではないでしょうか?” という意味で主治医が言っていたのなら、 かなり納得できます。ありがとうございます。 生き方は人それぞれだと、私も思います。 ありがとうございました。

回答No.4

確かに難しい話です。 自分らしさ、と言うのは我慢した分に反比例すると言えます。 我慢を重ねるごとにあなたらしさが失われるということです。 私は芸術家です。なので、固定観念のカタマリである社会科はまっさらです。これを我慢して新聞を読んだり、政治を勉強したりした場合、 これはもう私ではありません。 また、私は物事を追及するのが好きです。こんな私は中途半端な知識で物事に打ち込みたくないという気持ちがあります。 これを押し殺して、製造業など、とりあえず手順だけ覚えて実際は何を作ってるのかもわからないようなものを延々と生産し続ける。 こんな自分はもう自分だと思っていません。 また、私は小さいころから「キレイごと」をひたすら叩き込まれ、社会に出てそれがことごとく通じないことを認識し、新たに自分の中での「正しい方法」を模索することになりました。その結果は、人生ことごとく化かし合いであるという結論に至りました。 恋愛でさえも化かしあいだと思っています。自分の弱いところをさらせば相手の負担になります。こちらの負担を省みずに手を差し伸べたときは大概、「自分の手に収まらない事」が多く、無理やり背負い込むことになります。これらすべて我慢であり、自分らしさを失っています。 よって、口からウソが800にとどまらずいくらでも出てくるというわけです。 とりわけ今のご時世結婚するメリットというのが、自己満足の範疇にあり、ある意味では政略結婚よりもメリットが少ないとも考えています。 なので、自分のやりたいことばかりできる環境を作るしかないわけです。 何をとち狂ってか知りませんが、私の場合は音楽に麻雀と、プロを名乗れるレベルになっても陰の薄いものに走ってしまいました。どちらもプロを名乗れるほどレベルを高くすればいいのですが、どちらも一筋縄ではいかず、音楽に至っては運だけの世界も同然。 それでも、自分を押し殺して仕事をすることができなくなって現在に至ります。 「自分らしさ」に気がつく最短ルートは芸術に走ることです。 絵でも音楽でも、粘土でもいいです。一般的な普通に対して自分はどうなのかという比較をするわけです。 そういう意味では麻雀もお勧めします。麻雀を突き詰めていくと、最終的に自分らしさを失わずに打てるのがある程度の条件と言うことに気がつきます。同時に自分は積極的なのか、消極的なのか、あるいは汚い性格しているのかが良くわかります。 ダラダラと書いてしまいましたが、私なりに自分らしさ・・・表現を鏡ごしに見る方法を書いてみました。

syabondama
質問者

お礼

お返事ありがとうございます。 ”自分らしさ”私にとって、とても難題です。 好きなことをやっているというのなら、大学・大学院を 通じてやってきた研究です。諸事情のため、博士課程には 進学しなかったのですが、いまでもあの研究を続けられて いたら。という気持ちは大きいです。 そのわかりとして、会社での研究・開発という仕事を 手にいれ、一生懸命やっていたのですが、それが、オーバー ワークとなり、うつ病になり、職を失い、やりがいをも なくしてしまいました。ある意味、小さな”研究者”で あったとしても、それが自分らしさだったのかもしれませんが、 もともと集団生活に馴染めなかったので、無理をしている ところはありました。今でも、学生時代の研究を続けて いたのなら、それが自分らしさだったのかもしれないなと peacementh様のお返事を読んで感じました。 世の中きれい事だけでは生きていけないことは、十分 承知しています。ただ、主治医が”小学校で習ったことは 役に立たない”としか言わなかったので、どういう意味が あるのかわかりませんでした。うつ病のため、人の言葉の 一つ一つにこだわり、マイナス思考をしてしまいます。 芸術がお勧めだということですが、芸術は苦手です。 むしろ、自分の興味をもったことを徹底的に掘り下げる ことは大好きです。一般的な普通に対して自分は どうなのか比較するとのことですが、今は、何が 普通で何が普通でないかよくわからなくなっています。 うつ病になるまでは、自分を普通と思っていましたし・・・。 麻雀もお勧めということですが、周りに麻雀をやる人が いないので、麻雀友達を作って、ルールを教えてもらう ところから始めなくては、いけませんね。(笑) 恩師が囲碁は性格がでる。と言っていたのと、同じ ことかもしれません。 まとまらない、わかりづらい文章になり申し訳ありません。 ありがとうございます。

  • am2007
  • ベストアンサー率51% (132/254)
回答No.3

syabondamaさんにお尋ねします。 あなたが幼少の頃、具体的には、保育園の頃か、幼稚園の頃か、又は、小学生の頃かは分かりませんが、ご両親の仲か、もしくは、俗に言う嫁姑の関係が悪いということはありませんでしたか。当時の、あなたの家族構成が不明ですが、何らかのゴタゴタがあったように思います。如何でしょう?

syabondama
質問者

お礼

お返事ありがとうございます。 am2007様のご指摘通りです。 保育園で、すでに集団生活になじめていませんでした。 祖母と同居しており、祖母の意見は絶対的なものでした。 他の方のお礼にも書かせていただいたとおり、田舎の 閉鎖的な地域で育っております。 祖母は、母を家政婦程度にしか考えず、また、同じ孫でも 内孫である私たち兄弟よりも、外孫のいとこたちを大変 かわいがっており、周りの友達のように、祖母を好きには なれませんでした。(母方の祖母は大好きでした。) 祖母は、友達選びにまで口をはさんだり、礼儀作法や人に 迷惑をかけるなということを厳しく私にしつけました。 また、母は、祖母の意見に逆らうよりは、穏便に 済まそうとしていましたし、父は気に入らないことが あると暴力的になっていました。(今は、年とともに、 落ち着き、昔のような態度をとることは、ほとんど なくなりましたが・・・。) また、小学生6年生の時には、いじめで、ちょっとした 登校拒否気味になり、その時に、母が学校に行くのは、 当然だという考えから、かなりきつく学校に行くことを 強制されましたし、あの時の気持ちを理解してくれなかった ことは今でも辛い記憶です。それ以外にもいろいろなことが ありました。 どの家庭でもいろいろなことはあると思うのですが、 私はいい子でいれば、少なくとも今の環境を壊すことは ない。それでいいんだ。と思っていました。 このようなことを主治医に話した時に、一種のアダルト チルドレンだと言われました。

noname#93436
noname#93436
回答No.2

>1 >私は、好きなことだけやってはいけないし、周りとの摩擦を防ぐためには、我慢も必要だと思っているのですが・・・。 そういう、モラルが邪魔をしているのだと思います。 周りと協調していくためには我慢も必要です。 でも「その前に」自分を持つことが必要でしょう。 まず、「自分ありき」なのです。 まず「周りありき」だと、自分を見失います。 >2 >悪いことをしたら謝るべきだし、自分がされて嫌なことは人にしてはいけないと思う。 質問者さまの言っていることは正しいです。 正しいけれど、それはモラルなのです。 モラルというのは、いわば「建前」です。 小学校教育はほとんど建前です。 例えばの話です。 犯罪は犯してはいけません。 そんなことは誰でもわかっています。 でももし、自分の愛する人(こういう例ならわかりやすいかな。自分の産んだ子供が)凶悪犯罪を犯したとしましょう。 子供に対して、「犯罪を犯すようなあなたのことは愛してません。」という母親はいるでしょうか? つまり、犯罪を犯してはいけないというのはモラル。 子供を愛しているというのは「感情」です。 前者は建前、後者は本音です。 モラルで人の感情は左右できないということです。 そして人間社会はモラルでは片付けられない、感情でみな動いているのです。小学校教育が実社会では役に立たないというのは、そういう意味だと思います。 モラル・・・質問者さまが言うところのマナーや礼儀などの躾が、まったく必要でないと言っているわけではありません。 ただ、そちらが強すぎると、本音である感情が抑えられてしまうのです。 1のご質問にも通じますが、質問者さまの場合、モラルや形式や建前が先に来すぎて、ご自身の感情が、あふれてこないのだと思います。

syabondama
質問者

お礼

お返事ありがとうございます。 tinycat19様のお礼にも書かせていただいたのですが、 とても田舎の閉鎖的な地域で育ったので、保身のためには、 自分というものをあまり出さないことが大事だったため、 自分よりも周りの反応を優先してしまうところがあると 思います。その生活を三十数年過ごしてきたために、なかなか 自分を第一に考えることができません。そのため、自分らしさとは、 いったい何なのか分からなくて今に至ってしまいました。 2についてもtinycat19様のお礼に書いたように、考えています。 また、祖母と同居しておりましたので、人に迷惑をかけない、 礼儀作法など厳しくしつけられたので、自分よりも祖母の教えを 優先しているところはいなめません。 なので、minori007様がおっしゃる”質問者さまの場合、 モラルや形式や建前が先に来すぎて、ご自身の感情が、 あふれてこないのだと思います。”ということに つながっているのだと思います。 ありがとうございました。

  • tinycat19
  • ベストアンサー率25% (322/1287)
回答No.1

まず、 1ですが、病気の人なら病気の人なりに、その人の成りというものがあり、それは変えられないものです。 どう振舞って良いのか、というより、社会に適応しようがしまいが、その人の成りがあるので、気を遣って行動する必要はないのです。 極端な話、ビート猛の伝記の映画の世界を見て、凄まじく成りの世界だと思いませんか。私自身、下町出身の身内が居るので、見得も気取りもない本音の世界というのが、ひしひしとわかります。 それに、子供の世界ですが、くれよんしんちゃんの漫画の世界を考えても、しんちゃんは自由奔放に振舞っているでしょう。ああいうありのままの子供の世界から、人間は社会性が出発するはずです。その最初の段階からつまずいているという意味ではないでしょうか。 先生にも遠慮や気兼ねは要らないという意味でしょう。 2ですが、小学校で習う道徳ですが、三面記事や、朝番組の事件を見ても、それを崩すところに、事件が起きていませんか。往々にして、世の中そんなものということです。人間はそんなものじゃないという、否定がないと、世の中を理解できないよ、と言う意味だと思います。 親も結構、エゴな存在ですから、腹の立つこともあるけれど、折り合わなければ成らないよ、という意味だと思います。 考えたとおりですが、書かせていただきました。

syabondama
質問者

お礼

お返事ありがとうございます。 私の住んでいる地域、、また、親戚のいる地域というのは 田舎社会で、ちょっとしたことでも噂などになってしまう ようなところです。(以前、大学を卒業する年になったら、 どこに就職するの?など、卒業年度などいっさい教えて いないのに、勝手に計算して聞いてくる人などがいました。 大学院へ進学するといったら、また、2年後にどこに就職 するの?とご丁寧に質問されました。他にもいろいろと 詮索好きな人などが多いです。) そのような環境であったため、家と外の使い分けがおのずと 必要であったため、どうしても自分を守るために保守的に ならざるを得なかったということは否定できないと思います。 また、保育園でも集団生活に馴染めず、楽しかった思い出は 一つもありません。過去を振り返ろうとしても、中学生までの 記憶があまりありません。 そういう意味では、子ども時代も計算をして生きていたのかも しれないし、tinycat19様のおっしゃる”ああいうありのままの 子供の世界から、人間は社会性が出発するはずです。 その最初の段階からつまずいているという意味では ないでしょうか。”ということに当てはまっているような気が します。 2についてですが、私もtinycat19様同様のことは思って います。だからこそ、幼年期の教育が大切でなければ ならないと思った次第です。社会にでたら、きれいごと だけで生きていけないということはわかっていますが、 医師という立場にある人が、いきなり小学校で習うことは 役に立たないといったことが衝撃だったのだと思います。 今は、うつ病で人の言葉一つ一つに敏感に反応してしまい、 どんどんとマイナスの思考に進んでいってしまいますので、 主治医からtinycat19様のように意味も説明していただけたら、 よかったのかもしれません。 ありがとうございました。