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鬱病なのに、学校の先生が好きです。
鬱病なのに、学校の先生が好きです。 僕が鬱病と診断されて3年ほど経ち、現在、高校3年です。 以前在籍していた高校から転校し、今の高校にきて先生と出会いました。 今まで親にすら辛いと言えず、自分を押さえて育てられてきました。 悩みとか、怒りとか、そう言った感情を友達にもさらけ出す事ができませんでした。 心療内科の病院の担当医にすら何も伝えられず、言われたことには必ず「はい」と答えるのが精一杯でした。 家にいてもストレスを感じます。 鬱病の原因は家庭での育てられ方だと思っています。 そんな中、本当に辛くて死のうと思ったとき、冥土のみやげに、と思って先生に話をしました。 最初は自分を押し殺して接していきましたが、素で接してくれる先生に、次第にうち解けていきました。 先生が唯一の「心を許せる相手」になり、辛いときは先生に相談するようになりました。 先生にとても申し訳なく思っていると打ち明けても、「頼られるのはすきだよ」と、笑ってくれました。 先生のそばにいると心が安らいで、安心できます。 きっと、そうやって好きになっていったのかもしれないです。 ゛今は自分のことで手一杯だけど、自立して、病気も良くなったら先生に恩返しをしたいと思っています。゛ (好きですが、つきあえるとは思っていません) 今現在、先生のおかげで回復傾向にあると思います。 自立したいとも考えてきました。 鬱を克服できれば自立も可能だと思っています。 しかしまだ、僕の卒業までの約半年の間で、鬱を克服する事は難しいと考えています。 先生とのつながりであった学校を卒業して関係が切れてしまったら、家庭でのコミュニケーションが全くとれない以上、鬱病は一生治らないでしょう。自立も無理でしょう。先生に恩返しもできないかもしれないです。 そこで、皆様のお力をお借りしたいと思い、質問しました。 僕が卒業してから自立するためにはどうしたらいいでしょうか。 読みにくい上、長文でごめんなさい。 すごく漠然としていて難しい問題ですが、回答をいただけたら嬉しいです。
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お礼
回答ありがとうございます。 僕は、『巡り合わせ』とか、『絆』とか、今までは考えたことがありませんでした。 考えたことは無くても、でも確かにそこにあったものだと気付く事ができました。 目では見えなくても、確かにある『絆』。 それは大事な物ではあるけど、『形』はそれほど重要じゃない。 今までは、相手を信じるとか、そういった『目に見えない絆』に対して臆病になっていただけなのかもしれないですね。 今の自分に必要なのは、『可能性』を受け入れる勇気なのだと、貴方の優しい言葉が教えてくれました。 本当に、回答ありがとうございました。