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自殺について少々お付き合い願えますか。
皆さんは自殺を考えたことがありますか? 最近ボクは、毎日そのことばかり考えています。 でも、勇気がないばかりでなく、親や恩人と思っている人々に 悲しい思いをさせるのが怖くてまだ生きてます。 学生時代までのボクは、良くも悪くも自信に満ちていました。 何だってできると思い込んでいたし、その根拠のない自信でも それなりの行動力につながっていたと思います。 ところが、社会に出ていろいろな世の中の仕組みを知って行く 内に、打ちのめされることが多くなりました。 心優しい人たちは傷付き、悪人はいつもいい思いをしています。 一見立派に見える政治家も、正義や弱者保護といった活動よりは 自分の保身や安定から着手します。 世の中、一生懸命頑張っている人たちには一向に陽が当らず、 くだらないモノばかりに脚光が集まり金が集まります。 どこかが間違っているといつも思いながら生きてきました。 平等と思った社会は、決して平等などではなく、その差はどん どん拡大している気がします。資本主義とか自由競争の下で経済 は発展すると言いますが、どこの駅前をみても消費者金融の看板 ばかり。芸能人、政治家、公務員など一握りの人間だけが徳をし、 残りの多くの国民は努力しても報われず褒められもせず、努力す る自体バカにされることすらあります。 こんな世の中はもうたくさんです。善と悪、貧乏人と金持ち、 強者と弱者、敵と味方、対峙ばかりの関係は息苦しいのです。 ボクはもっと心穏やかに生きて行きたかっただけなのに・・・。 こんなこと書いてもきっと死ねない。だから余計に苦しいです。 自殺を思い止まった方、または未遂に終わったことで前向きに なれた方、なぜそうなれたのですか。そして、一度も自殺なんか 考えたこともない方、あなたは幸せに生きて来れたからそうなの ですか? 教えてください。
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私は今高2ですが、小学校高学年のときや中学校のときに よく死にたいって思ってました。 別に本当に自殺したいと思ってたわけではなく 生きてるのがしんどい、なんで生まれてきたんやろ?と 常に思っていました。 理由はたぶん学校の集団生活がしんどかったからだと思います。 友達に合わせるのがしんどい、でも1人は嫌やし・・ってかんじで。 夜に泣いたことだってあります。 でも、今はまったくそんなこと思いません。 学校も楽しいし、別に友達に合わせてもいません。 友達に合わせなくても一人になんかにならないってわかったからです。 気の合う友達もいるし、大切な家族もいるし 中学のときなんでそんなん思っててんやろー?ってちょっと不思議です。 たぶん、心がだいぶ不安定だったんだと思います。 周りの状況が変わったわけではなく、自分の考え方が変わっただけです。 今はとても幸ですし、生まれてきて本当に良かったと思います。 誰でも死にたいって思うときは1度はあるはずです。 だから、HANMONさんもちょっと考え方を変えてみたらどうですか? 自分の考え方や受け止め方でだいぶ変わると思いますよ。 もし、医者に「余命1年です」って言われたら 「嫌や、もっと行きたい!もっとしたいことがあるのに!」って思いませんか? 私だったら、たとえ自殺したいと思っても絶対思います。 そういう世の中が嫌なら、HANMONさんが変えればいいんです。 簡単なことではないけど、そこまでしてみてもまだ自殺したいって思えるならそれはしょうがないかもしれません。嫌だと思ってるだけだと何も変わらないとおもいますよ。 では、ちょっと長くなってしまいましたが がんばってみてください!
NO.13の者です。 お礼ありがとうございました。読むことも大変でしょうに、 一つ一つとても丁寧に…気持ちが、手に取るように伝わります。 あなたのその律儀さだけでも、十分すばらしいと私は思いました。 今はどうしていらっしゃるのでしょうか?ずっと気になっていたので、 またついつい来てみてしまいました。 私は難しいことは言えないし分かりません。でもできるかぎり共感したいとはいつも思っています。 他の方の回答のお礼に、自分の気持ちを吐き出せたことで少し楽になった、と書いていらしたのを見て私も少し安心しました。 その、楽になることが一番いいんです。 楽になれたことが、あなたの正直な気持ちなら、それでいいんです。 自分の正直な気持ちを打ち明けられる人にどんどん言った方がいいですよ。 お礼の中で「生きてくことに精神力をすごく消耗してる」とおっしゃってましたね。 私が少し休んだ方がいい、心をリセットした方がいいという話しに対して 教会に行ってきた時の話しをされてましたが、私も教会に行っても休むことにはならないし、安らぎに似た救いは無いかなと思います。(私はクリスチャンではありません。大学時代勉強したことはあります。) なぜかというと、教会という場所はものすごく孤独と向き合うところだと思うからです。正直言って苦しいところという覚えがあります。自分の罪と向かい合わなければならない。罪をさらけ出すことによって救いの道を求める。 でも、結局は救いって自分の中での問答で、自分が罪の塊であってもそれを受け入れ道を切り開けるのも閉ざすのも自分しかいない。自分という神が真実なんだと思います。 今、あなたは自分の問題というよりも変わらない状況の中で行き詰まり感を感じている。強い正義感で真正面からいろいろなことにぶつかってきた。だから疲れた…。今のあなたにとってはどこまで行っても外側の問題です。だから、自分に対する免罪符を得たとしても何も意味がないのでしょう。 そこで、休みませんか、と申し上げました。だって… 自分を見つめなおす時間がなくなってしまうからです。 社会を見つめなおす時間がなくなってしまうからです。 優しい他者を見つめなおす時間がなくなってしまうからです。 身近な存在を見つめなおす時間がなくなってしまうからです。 美しいものを見つめなおす時間がなくなってしまうからです! そういう現実を吸収することが人として生きることだと思うからです。 受難者であっても、生きている限りそれが可能です。 そして自分が「生かされている」ことを感じることも大切だと思うからです。 死も生も、自分から掴むものではありませんから。ある意味究極でしょうけどそのこと自体、私は幸せだと思っています。 最初の回答で、私自身の話をしてませんでしたので少し語ります。 強烈ないじめにあっていた時でも 私自身は自殺に直面できませんでした。 死ということに単純に向き合えなかった。でも自分は生きていても意味が無いんじゃないか。情けないしちっぽけな弱すぎる人間です。でも生からは絶対逃げないと心にはひそかに決めていました。 それは、多分私にとっての「心穏やかな生き方」というのを少し掴んだからでした。 いくら学校が辛くても、私のためなら死んだっていい、といってくれる、 いつも死にそうな顔した私に死に物狂いで守ってくれる母が居たからです。 こんな私のことも母は愛してくれる。「私」なだけで愛してくれる。 愛は前向きです。自分はこれでいいんだ、と思わせてくれました。 こうやって書いてみると、当時の自分にとってはすごい問題だったのに 結果得られたものは平凡だけどとても幸せなことだったな。 人の優しさ、忘れていた景色の美しさ、愛すべきものを見いだせる力があるだけで、きっと心穏やかな生き方に近づけると思ってます。
こんばんは。 私は小さい頃から自殺を考えてばかりいました。 あぁ、死にたい、とよく考えていました。 んで、でもなんで今こうして生きてるのかと申しますと あるとき、いつでも死ねるじゃん。って気付いたからです。 って、これ実はただ単に、死ぬのが怖くて、 強がっているだけなんだけど、 私の命は私が握っているんだから、死にたくなったら 死ねばいいじゃん、って思ったからなのです。 いつだって死ねるんだから 今死ななくったっていいじゃん。 って思ったのでした。 矛盾してるかも?くだらないかも 今文章にしてみると 本当にあほだなぁって思うのだけど この結論に達したときは自分では すごく気が楽になったし そっか、そっか、って感じでした。 私はその点では前向きなのかもしれません。 という感じでした。 自分の気持ちを文章にするってむつかしいですネ! 私の心の中での口癖は 嫌な事があってもいつでも死ねるんだから がんばろー、です。あぁ、くだらないですね~
- kenk789
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病気などで、辛いこともあるけど、自殺なんか考えたことはないです。丹波哲郎先生の死後の世界(あの世)を確信しています。自殺したら、同情のカケラもなく地獄に叩き落とされてしまいます。だから自殺だけは絶対にしてはいけないことです。もし人生が1回で、死後は永遠に無なら、この世では、辛いこと、嫌なことが溢れています。永遠からみたら、10数年で自殺した人生も、80数年で寿命を真っ当した人生も、何ら変わらないでしょう。本当に人生が一回なら、人口の半分か3分の2の人間は自殺して、世の中では、自殺は肯定されているはずです。死後の世界もそのうち、科学で解明されるでしょう。 資本主義の実態は、金が支配する金権腐敗、弱肉強食、虐殺殺戮です。この世は善と悪があるから、修行になります。巨悪の資本主義もいきづまって、もう崩壊寸前だから、2010年までには崩壊して、競争とエゴの時代から愛と共生の時代が訪れることも確信しています。
若輩者の戯言として聞いてください。 自殺って絶対的に悪いことなんでしょうかね? 自分の命は結局自分だけの物です。どう使おうが持ち主の勝手ですよね? でも、それは他人に迷惑をかけない範囲で、での話です。 別に自ら命を絶つことや、若くして死ぬこと自体には 悪いことだという認識は自分にはありません。でもそれによって絶対に深く悲しむ人がいるというならやってはいけないのでしょう。 自分は自殺を考える、と言うのとは少しずれますが、高校時代、とても充実した生活を送っていました。たぶん幸せだったのでしょう。その頃僕はいつ死んでも良いや、悔いは無ぇな。と思うことが度々ありました。ここで死んだら俺の人生完璧だよな、とか思ったこともあります(別に自慢したいわけではないんです)。人生って、結局は最後に自分で満足して笑って死んでいけたらそれで「勝ち」だと思うんです。「楽しいばかりが人生じゃない」なんて、所詮は綺麗事です。楽しいだけの方が良いに決まってます。 自殺するのだって誰も身よりもないし泣く人もいない、今まで充分生きて満足だ、ってのなら自分は問題ないと思います。 HANMONさんは満足していますか?していないですよね。取り敢えず自分が幸せだと感じられる要になるまでは生きてみませんか? 「生きてりゃ必ず良いことがある」とか無責任なことを言うつもりは無いんです。 少なくとも貴方は自分の定義の中では、「善悪」の内の馬鹿を見る筈の「善」に属していると思っているわけですよね?でもお得な筈の「悪」には走ろうとはしていませんね。 それだけの自制心があります。 親に心配かけるから死ねない、親をお荷物にしている、と思っていながら 「じゃあ自分がやったとばれないように親を殺してから自分も自殺しよう」 とは考えない。なにを当たり前のことを、、と思われるかもしれませんが、 世の中には介護に飽きて親を殺して心中する、なんて事件は沢山あります。 それだけの誠意や真心もあります。立派ではないですか。 なによりこれまでの発言を見ても、とても誠実で正しい考えを出来る方だと思います。まずはそういった自分を認めてやってください。肯定してやってください。 そしてそれを理解してくれる人間だって必ずいます。自分から働きかければ、貴方の良さを見いだして+の方向に導いてくれる人はいるはずです。 自分の周りを見回して見てください。そういう人を捜してみてはどうですか?少なくともご両親は貴方を理解されているはずです。 頑張る必要はありません。努力して掴むばかりが幸せではありません。 楽に行きましょうよ。 長文、乱文失礼しました。自分の意図するところが伝えられたかどうか不安ですが、、、。日本語は難しい、、、。
- rasin
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No.13の者です、再度の書きこみすみません。 なるほどなるほど、すごく正しい考え方ですね。間違い無く正常な人ですね♪ 誤解の無いように、最初から正常と思ってますからね♪ だから、同情も応援も説得もしません、そういう書き込みをしてるつもりです。 反論に関してですが、もう一回説明しますね。 例えば、犯罪に「殺人」というものがあります。絶対的な悪です。これは変わりません。ただし、事情があると刑罰が科せられない・軽くなることがあります。「正当防衛」とか「ひどい虐待を受けた末についに刺し殺した」とか、そういうことです。 事情は事情、悪は悪。これが基本です。 別に書きこみを消せと、書きこみが駄目と言ってるのではありません。 した事、した事情は理解します。だからといって、その行為自体が絶対的に肯定されるものではないということです。 「書くことが駄目」なのではなく「書かないことが正しい」ということ。 ただし、人は感情で動くこともあるものなんだから、それはそれで理解します。 理屈っぽいですね(笑) ここから、ちょっと「あげあしとり」のような文章になるかもしれませんが、広い心を持って読んでください(笑) 「お人よし」な人、ってのはいませんよね?あくまでその人の一面であってそれが全てではないです。その「お人よし」な一面も「義理人情に厚い」「優しい」「すぐ人を信じる馬鹿」などなど、「その人達」によって捉え方は違ってくるわけです。 今、自分で「ここが嫌・好き」という部分も、かつては「そこが好き・嫌」な部分だったでしょ?変化するものだし、変化できるもの、しかもほんのちょっとの捉え方・視点を変えるだけで。って思いませんか?だったら現状はちょっとは変わりそうじゃないかな~ということを書いたつもりでした(笑) 「ATM荒らし」なんかも、被害者だと思いません?例えば、腹減らした子どもの前にカレーライスを置いて「食べちゃ駄目」と言ったとしましょう。その子が食べたら怒られた。どっちが悪いの?って話ですよね。 もちろん、ATM荒らしは悪です。絶対的な肯定はしません。 でも、それはその行動が批判されるのであって、その人が批判されるものではないのでは? 生命は平等であるべきです。その行動がどうであろうが。 僕はATM荒らしであろうと、「~のような輩」「悪い人」と「ひとくくり」にして表現しません。差別・格下扱いしません。 ひとつの見方ですが、「一方的」ですよね? ちなみに僕も「一方的」です♪ 繰り返しますが、広い心を持って読んでくださいね(笑) この社会は非常にアンバランスな、ある程度異常な社会だと思います。 しかし、それは前回も書きましたが、「矛盾」は「価値観の相違」とも言えます。だから、その「異常」はある程度自分の価値観の変化で対処できると思うんです。 マスメディアで日の当たっていることだけが、全てではないですよね?バランスが、基準ではないですよね? バランスが悪かろうが、日陰であろうが、そこに確かに存在していること、これに気づくことは心穏やかなささやかな幸せとも思えるのですが。 まあ、かなり無理やりですが(笑) 社会は矛盾だらけです。そしてHANMONさんもATM荒らしや政治家のような「悪い人」と自分を比べることで、自己の防衛をしている、矛盾だらけなのかもしれません。そう考えてるんですよね、そうじゃなきゃ、こんな質問してませんよね? ずっと堂々巡りしてるんでしょう。ちょっと視点を変えても終わらないだろうけど、同じところぐるぐる回ってても、らせん階段みたいに少しずつでも上にあがりゃあいいんじゃないかなあ~。 僕も、誰もがともに楽しく生きれたらいいなあと思ってます。 だから、こんなこと書いてます♪これが僕のささやかな幸せの一つです♪ そう言えば、最初の質問に答えてないことがありました。 自殺について考えたことあります。 僕は小学生の時に3度、母親に殺されそうになりました。 その時以降、何度もそんな時期はありましたよ。 別に僕の生きる理由、存在しなきゃならん理由なんてわかりません。 みんなで楽しく生きていたいだけです♪ 生きててくださいね、そうじゃないと僕の予定が狂いますから♪ ところで、「手厳しい」かったかな~?う~ん、反省です。まじめに、やさしく、それでいておもしろおかしい雰囲気で書いたつもりだったのに(^^; またまた長々と失礼しました! もう書かないようにします(^^;
- haroeris
- ベストアンサー率36% (8/22)
#1の者です。 >「親が生きているせいで死ねない」という生き方も親不孝です。いまボクも >まさにそんな生き方をしています。親は子供がもっと幸福に満ち溢れ充実し >た人生を送って欲しいと願っているはずです。なのにボクは親をお荷物にし >て生きる理由にしているんです。 確かに、親は子供が少しでも幸福な人生を送ってほしいと思うでしょう。でもそれ以上に「生きていてくれれば」と言う気持ちあると思います。 #1でも書きましたが、僕のいとこは事故死しました。そしてその時伯母はおかしくなりました。 死者を悪く言うのも非常に心苦しいのですが、その当時いとこはとても荒れた生活をしていました。親であるおばさんに多大な迷惑をかけていました。 それでもやはり親は「生きていてほしい」のだと思います。 「親をお荷物として生きている」と言うのではなく、親孝行として「親の為に生きている」というのではだめでしょうか? 「自殺なんてとんでもない」なんて言い方は僕には出来ません。逃げではあるにもかかわらず、選択肢の一つとして認識したことがある人間ですから。 深さは違うにしても似た気持ちを持ったことのある人間として、少しでも共感して頂けることを祈ります。
- taotaotao
- ベストアンサー率31% (23/73)
No.4のtaotaotaoです。 自殺未遂した友達が言ってました。 したい。と思ってた時、ノイローゼ状態。だ、そうです。 頼る(信じられる)人も居なくて一人(孤独)と思った時に行動を起こすのかしら? 「息切れたって感じ」と言ってますが貴方は、今の自分の中では、限界と思ってかも知れないけど、絶対、奥は、深いので、息切れまでは、まだまだ。だと思います。 特に関西人なら見つかるはずよ!!おもろいこと!楽しいこと。 「頑張って」と言うことに答えてくれたHANMONさんなら前向きな答えが出るはずです。
- tamasako
- ベストアンサー率27% (3/11)
たくさんの回答がきていますね。今、さっと目を通したという感じで最初から見てきました。いまここで回答したらもう一度じっくり見なおしたいと思います。 私は、中学生のときに自殺と言うことを考えました。人付き合いがうまくなかったんです。暴力を受けたりはっきりした言葉で毎日いじめられていたとかいう訳ではありません。むしろあいまいだけど、拒絶される雰囲気というか、そんなものを感じてたんです。毎日がそのときの私には、ただ、とてもつらくて、登校拒否になりました。そのときは、大好きなアーティストがいて、その人の、今思えばありきたりなセリフの歌に自分を重ねて、それで救われている気分でいました。私はそれが幸せだと思っていて、母に言ってしまったんです。「私が今生きているのはこの人のおかげだ・・・。この人の歌やファンへの励ましがあるからだ」って。ひどいですよね。言葉が足りないだけじゃなくて、私自身の考え方が身勝手だったのでしょうか。とにかく、そのとき母は泣きました。私は、いまがつらい、でもこの人が好きでいることは幸せ、ただこれを言うことばかりが頭にあって、もう一つの意味をまったく考えていませんでした。 自殺のことを考えていたときを思い返したら、つらかった気持ちよりも母の涙を思い出しました。 私は、相変わらずなんです。逃げてばかりだったり変に強気になったり、今も社会的に中途半端な立場といわれる位置にいるでしょう。このコーナーでも話題に取り上げられてお怒りの言葉を聞くと胸が痛くなります。情けないです。自分で選んだ甘い道なのに、堂々と歩くことに不安を感じているなんて・・。 毎日楽しんでいて、好きなこともあって、こんな甘い考えの私にも接してくれる人がいる。こんなに幸せなはずなのに、どうしても不安や自分自身の情けなさを感じずに入られなくなります。幸せと不安を交互に感じていくばかりです。 でも、生きていくってそういうことかと思います。 自分と他人は違うから、考え方の基準もまったく違います。だからこそ、私も勝手に他人を憧れたり、軽蔑したりするんです。これは本当に私の身勝手な見解で、もっと強かったり、努力した立派な人には怒られてしまいます。それを忘れて、自分の狭い考えの中でしか物事を見れなくなってしまうんです。 今日も私は悩んでました。相変わらずのくだらない悩みです。 母を、周りの人を傷つけてきたこと、救われたこと、優しくしてくれた人たち、 これを書いているうちに、色々思い出しました。そして、皆さんの回答を読んで、 自分がまだまだ甘いばかりで、全然成長してないって思いました。こんな考え方をしている私ですから、前向きになったとは言えないのかもしれません。 でも、もしもあの時適当な気持ちで死んでいたらと思うと、怖いですね。 もちろん、あの時死を考えた私は切実だったし、本気でした。でも、そのままいなくなってしまっていたら、私はあまりに経験や考え方が浅いまま人生を終えていたんですね。私は、経験したことによって少しずつでも、自分が変わっていくのが好きです。今昔を思い出したとき、そのときの悲しみよりも、母が私に見せてくれた涙とか、支えてくれた両親とか、今まであってきた人とかが思い出せます。それが、死んでいたら、全部無いんですよ。こんなマイナー思考の私でも、嬉しい思い出の方が勝ってる。 私は、あなたの質問と、それに対する皆さんの回答で、少し気が楽になりました。いろんな考えの人がいて、みんな頑張っているんだな-って。 『こんなこと書いてもきっと死ねない。だから余計に苦しいです。』 私だって同じですよ。他人から見れば小さいことで悩んでばかり、でも生きなきゃって思うんです。 というわけで、最初に戻って、これから皆さんの回答を読んで、自分自身にも渇を入れて、明日から、いや、今から楽しく頑張ります。 楽しいことや嬉しい気持ちって忘れやすいんですよね。でも、ふとした時に思い返すとすごい幸せになれます。 私にはあなたの事とか、全然わからないから何も言えないけど、一緒に色々と考えて頑張って生きて行けるといいなー。と、思います。私の回答は見当違いかもしれないけど、許して下さいね。久しぶりに考えさせてくれる機会を下さって、ありがとうございました。
- mamasou
- ベストアンサー率22% (215/975)
下記の方も書いていらっしゃいますが、親御さんは貴重な時間 妊娠中は肉体を分け与え、出産後は自分のストレスをも受け入れ 身を削られる様な必死な思いで子供を育てたので今のHANMONさんが あるのかと思います。 どうでも良いという気持ちだったらすでに虐待等でこの世に 存在しいないかもしれません。それだけ人一人育てるのは 大変な事です。 そんな親御さんを自殺というのは世の中で一番悲しい思いをさせ てしまいます。 私にも親がいますが、離婚等で本当に辛い思いをした時に 唯一私と一緒に泣いてくれたのは母親でした。 私はそれまで家事全般に手抜きで常に父親の悪口を言う 母親を少し軽蔑していたところがあったのですが、 そういう辛い出来事があった時に自分の事のように一緒に 悲しんでくれた母親、私も親になりなんて子育てって 大変な事なのだろうと思うと大切に育ててくれたのだと 感謝しました。少なくても親の前には私は死ぬことは できないなとその時に思いました。 子育て等の経験がないとこんな事はあまり実感は ないのかもしれませんが、同様に大切に育てられて今も ご両親にとっては大切な存在なのかと思います。 誰の為にいきるとか自分のためではなくてまずは人の為に 生きるでも良いのではないでしょうか?誰かの力に なっているってすごい事と誰もがおもうのでしょうが、 御両親にとってはまさにその存在だというのには間違い ないかと思います。 そういう私も過去にいじめや離婚、職場での人間関係など 自殺という言葉がよぎった事はありました。 小学校の頃はこのうえもない孤独を感じてなんで私だけと という思いは多々ありました。 あの時、おもいあまって死ななくて良かったと思います。 私は看護婦をしていた事もあるので人の死には結構 関わってきのした。何てこんなに人間はもろく死んでしまう のかとほぼ毎日経験する死に死の重みに鈍感になっていく 自分を感じた事もありましたが、本当にみんな必死でいきているのだ と実感させられた事も多々ありました。 大事な自分の身体の一部を失った人。精神的に病んで病院という 狭い世界でもう半生記もいきている人。実に強い人達です。 一度死ぬほどのつらさからはい上がってきた人は本当に強い です。毎日死を考えて生きる日々というのは何とも辛い ものです。こんな時はこう相談にのってもらったり、 カウンセリングや薬の力で楽になるのならそれも良いと 思うし、苦しいながらも生き甲斐をみつけて生き抜くという 経験をしたり人からみたら見苦しくともがむしゃらにあえいで 生きたらきっと強い人になれるのかと思います。 自殺を思いとどませる事がエゴという方もいるかもしれませんが、 実際とどましている方の中にも同様に自殺を考え苦悩の日々 を過ごしながらも少しの幸せを感じた事もあったりで 生きていれば少しは良いこともあるだろうとけしていい加減 な気持ちで無く経験から本気で言っているのかとも思います。