この場合の下野とは選挙を経ないで与党の座を降り野党に転ずることをいうことになります。
与党の構成が変わったりしてこのままでは不信任が通る可能性が強いために内閣総辞職(手順1)をして与党の座をおります。
内閣総辞職すれば当然首班指名選挙(手順2)が行われ新しい与党による内閣発足します。
戦前はわかりませんが戦後には3例が相当すると思います。
・1948年(昭和23年)10月芦田内閣(民主党)
連立内閣での昭和電工疑獄事件(昭電事件)で総辞職。自由党吉田内閣ができる。
・1954年(昭和29年)12月吉田内閣(自由党)
汚職事件(造船疑獄)で総辞職。日本民主党鳩山内閣ができる。
・1994年(平成6年)4月25日羽田内閣(新正党)
8党連立内閣から社会党の与党離脱で少数与党になり不信任可決を見込んで総辞職。社会党村山内閣ができる。
与党が多数ならば安部、福田、麻生内閣のように政権タライ回しをすればよいのですが野党が多数だと、不信任されると解散か総辞職の二社択一になります。
旧与党側も新しい人を立て首班氏名を争いますが当然負けていわゆる“下野”します。
失態つづきの自民党が政権を投げ出して民主党に首班を任せるということも可能でですがまずありえないでしょう。民主党は要求していますが。