amida3@坊さんです。
直接の回答ではありませんが、参考までに
お仏壇は家庭内におけるようにしたミニチュアのお寺の本堂です。
その点非常に誤解が多いです。
仏教徒なら毎日お寺に詣でてお参りをするのが当然なのですが、それが出来れば良いのですが、それも出来ませんので、家の中にお寺の本堂と同じ空間を作るのです。ですから、お寺の本堂をそのまま、飾付けも仏具もミニチュアにして、お寺の本堂と同じになります。これが仏壇です。したがって、仏壇のあるじは、ご本尊さまであって亡き人ではありません。
お寺の本堂と仏壇は、大きさこそことなりますが、宗教的意味合いからは同じもの
なのです。
その、ミニチュアのお寺の本堂である仏壇に、亡き人がいれば、ご本尊のおそば近くに、その仏弟子としての名前(戒名や法名)を奉じさせていただくだけです。したがって、作法も、お寺の本堂での作法と同一でもあります。
3人の子供があれば、それぞれの家庭にある仏壇に両親や先祖の名前を安置します(長男だけとかということはありません。長男だけに親がいるのではありませんので長男、次男、三男それぞれの家にそれぞれ仏壇を安置します)。
お寺の本堂と仏壇は、大きさこそことなりますが、宗教的意味合いからは同じもの
ですから、最低限守らなければならない教義上の決まりもあります。
なお宗派ですが、仏法は、お釈迦さまがその人に合わせて説いています。ちょうど医者が薬を出すようにです。
腹痛の人に風邪薬では役に立ちません。それぞれ相手に合わせています。したがってどれも(その宗派も)正しいのですが、自分に合っているかは別物です。自分に合うのはコレだと言うのが「宗教の選択」です。
宗教は、厳しいほど「選択」の実践でもあります。
山に登るのでも徒歩がよい人、乗合バスがよい人、マイカーが良い人、ケーブル
カーが良い人といるわけです。「どうやって登れば」という質問にどれを答えても間違いではありませんが、本人(自分)にとってどれがよいかは別なのであります。
同じ目的地に行くにも道は多数あります。急いで行きたい人に、バス路線でなく徒歩の道を教えてもね。運転免許の無い人に高速道路を教えても意味ありません。
そのような選択が宗教であります。
その上で、ご自身で考えてください。
合掌
お礼
ありがとうございます。 実家は曹洞宗で、嫁ぎ先が浄土宗です。 両方のお寺に相談した時 曹洞宗の住職は「いけません」と言い 浄土宗の住職は「いいですよ」と言いました。 それで迷ってしまい私達が家をでたのですが、 母の部屋と私達の部屋に宗派が違っても一つずつお仏壇があっても 良かったのですね。 お経はどうでしょうか? 実家は「般若心経」嫁ぎ先は「南無阿弥陀蚋」 私は子供の時から「般若心経」を唱えていたのでその方が落ち着くのですが・・。 今我が家のお仏壇には先祖代々と主人の弟、主人の父、水子の位牌が入っていますが、生前義父は「般若心経」を唱えていたようなのです。 私も「南無阿弥陀仏」ではなく「般若心経」唱えても良いのですか? すいません違う質問になってしまいました。