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シルバーバーチの霊訓

こんにちは。 シルバーバーチの霊訓を“全巻”読んだことのある方にお聞きしたいのですが、霊訓と出会って、その後の人生に何か変化や影響、得たものなどありましたでしょうか? 先輩方のお話を聞かせていただけたら幸いです。 どうぞよろしくお願いします。

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noname#189246
noname#189246
回答No.1

全巻読みましたよ。 繰り返し同じような事を手を変え品を変え延々と説明するので、 全巻読めば一読しただけで霊的世界の感覚が身につくと思います。 もちろん完全に教えをすべて記憶、理解しようと思ったら何度か読み返すべきでしょうけど。 でもそれだったら他の霊の説明の仕方を聞いて、多角的な感覚を磨くべきかな・・ 変化、影響ですが、まず心が明るくなりますよ。そして生きる活力が湧いてきますね。百利あって一害無しですよ。 ただ、私が危険を感じる部分は、シルバーバーチの霊言と矛盾する霊言をすべて偽とする輩です。私は一概にそうとは言えないのじゃないかという気もするんです。勉強不足なのかも知れませんが、大体東洋の霊の在り方と、西洋の霊の在り方は異なっているような感想を受けるのです。東洋では自然霊と個人の関係が深い気がするのですが、西洋では人霊同士の関係が深いような感想を受けます。また、それは霊性の段階にもよるでしょう。つまりシルバーバーチを取り巻く親和関係の位置から見た世界と、他の霊を取り巻く親和関係の位置から見た世界では、表現の仕方に若干の差があっても問題にするほどではないような気がするのです。 例えばシルバーバーチは現世の人間に前世は分からないと言ったそうですが、それが永久に絶対だと思うのは人間の浅はかさなのではないでしょうか。シルバーバーチが発言してからもう数10年は経っているのだし、霊の社会が違えば人間に何を与えるかの判断も違ってくるかもしれないではありませんか。 それよりも霊の気品を人間が自分の感性で注意深く感じ取る方がいかに重要であろうかと思うのです。知識そのもの、教義そのものの突き詰めも、まぁ、役に立つ作業ではあるんでしょうが、突き詰めて解釈するのはあくまでも現世の不正確な人間であることを考えれば、突き詰め過ぎて断定する事はキリスト教のドグマの二の舞を招く危険があると感じるのです。 とまぁ、色んな問題はありますが、読んで損はないと思いますよ。 初心者の方だったとしたら少し込み入った話をしたかも知れません。 失礼しました。

noname#77750
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 私は、最初は自己啓発系の本を読んでいて、その後江原啓之さんの本を読むようになり、その後シルバーバーチの霊訓を知り、一巻から読み進め現在十巻を読んでいるところです。モーゼスやアラン・カルデックの著書も心の道場のサイトで時々あっちこっち読んでいます。 霊的な世界に対しては幼い頃から身近に感じていました。 心が明るくなる、生きる活力が沸く、ですね。 私もそうでした。やっと闇から抜け出たような気分でした。 ただ、ここ最近自分がどこに向かっていったらよいのか、何をしたらいいのか分からない感じなのです。 シルバーバーチは、不安や、恐れ、心配の念を心に抱いてはいけないとよく言いますよね。その念が霊界側からの働きかけを妨げるとか。何の心配もいらないとか。 そう頭では理解していても、不安の念が最近頭から離れなくて、苦しんでいました。 ここで質問したのは、私もこの先どうにかして道が開けていくものなのだろうか、と思い、先輩方の参考意見を聞いてみたいと思ったからです。 深いお話ありがとうございます。 確かにシルバーバーチをまるで聖書的な扱いをするのはどうかと思います。結局いつの時代にも言えることは、『利他的に生きましょう!』ということなのでしょうね。 前世の問題、これもまた深い問題ですね。 江原さんはどうなのでしょう。 私は、心の道場の、江原さんの昌清霊言に対する指摘は正しいような気がしてます。江原さんの活動や著書、語る内容にも、本物の部分と偽の部分があるように思います。しかし江原さんは、霊界側から見ると、かなり良い道具として役立っているように思うのですが…。 江原さんに前世が視えているのかいないのか、昌清霊言は作り物なのか、正しい判断は私にはできませんが、仮に嘘だとしても私は、江原さんが私利私欲の為だけにやっているとは思えません。スピリチュアリズム、真理を広める、という善な動機があるように思えます。 確かシルバーバーチの本だったと思うのですが、『その時代、地域に合わせて優れた霊媒が現れて、真理を広める』というような内容のことをどこかで言っていたように思います。その優れた霊媒が、今の日本でいう江原さんなのでは? と勝手に思っております。 長々と失礼しました。

その他の回答 (6)

noname#189246
noname#189246
回答No.7

どもども。 >●江原さんは本当に交霊会をしたのか? >●誰としたのか? さあ、そこまではよく知りません。『スピリチュアルメッセージ』には書いてなかったと思いますよ。応援する会にでも入会してみたら分かるかも知れません。 >道場のメンバーとか!? そこの人とお付き合いがおありで・・・ では、叩いて申し訳ありませんでしたね。 1月28日up分コメ追加しました、是非。

noname#77750
質問者

お礼

なんだか少し、あまり良くない感情を感じてしまうのですが…。 ありがとうございました。

noname#189246
noname#189246
回答No.6

sumさん、おはようございます。 新しい疑問が出ない限り最後の記述となります。 私はシルバーバーチが英語の訓練をしたことを証明する為にざっと調べましたが、霊訓の量が膨大なので見つかりませんでした。でも、シルバーバーチが英語の訓練をしたという記憶は確かにあったので、ネットで調べてみました。 ありましたよ。 http://www5e.biglobe.ne.jp/~spbook/gensyo/gensyo-2b-11s.htm しかも皮肉にも『心の道場』自身の部分みたいですね。カルデックの『霊媒の書』らしいです。私はまだカルデックには手を付けていないので、入神についてのここまで詳しい記述は初めて拝見しました。 この中ほど以下の記述には、これまで問題にされていた、“憑依”の問題の答えのようなものも見受けられますよ。つまり半入神、セミトランス状態に関する事です。私はまだこの書を読んでいないので、現在の認識が正しいかどうか分かりませんが、恐らく意識が少し残っている状態などはこのセミトランスに当たるのでは?と思います。 そして次に「英語の勉強に10数年を費やした」とあります。これは波長を合わせる云々だけじゃなくて、英語そのものを勉強する必要があったという事だと思います。インディアンの幽体に覚えさせたとありますが、どっちにしろバーバーネルではない訳じゃないですか。セミトランスの場合は霊媒の言語能力を利用できるが、真のトランス状態ではそれすら出来ないので、幽体に勉強させる必要があるということではないでしょうか。 『心の道場』は自ら墓穴を掘ったのではないでしょうか。 最後に、私は今回の記述の為に、あくまで冷静に作業しようとしましたが、多少は善の動機ではあるものの小我的高揚感がありました。それを敏感に察知されているものかと思われますが、土台は善の動機でありますので、そこを汲んで頂けたらと思います。 では長い間本当に失礼しました。 ぜひ、メル友に・・・・

noname#77750
質問者

お礼

こんにちは、nande11jiさん。 どうもすみません、シルバーバーチが英語の訓練をしたというのは、どこかで読んだので知っていました。もしかすると私がそれを知らないと思って、私に教える為にわざわざ調べてくれたのでしょうか?それともはっきりとした証拠を示すため、ということでしょうか? どちらにしてもありがとうございます。 しかし、訓練したというのを知っていながらなんで私は気が付かなかったんだろうと思いました。 『訓練した、イコール、バーバネルの言葉ではない』ですよね。 話している言葉がバーバネルの言葉ならば、わざわざ英語の訓練をする必要はないですもんね。 ちなみに、シルバーバ-チが勉強したというより、あのインディアンさんが勉強したのですね。今考えてみて、そりゃそうか、と思いました。『シルバーバーチの霊訓』で喋っている言葉はシルバーバーチの思念を受け取ったインディアンが話した言葉ですよね。あれ?あのインディアンが自分を名前をシルバーバーチと名乗り、上層からのメッセージを伝えてきたのでしたっけ? 霊の書、憑依についても色々書いてましたね。理解が一歩深まりました。 ところでやっかいな問題を思いついてしまったかもしれません。 ●江原さんは本当に交霊会をしたのか? ●誰としたのか? (これ、誰かが私の意識に吹き込んだのかな??道場のメンバーとか!?) この疑問の答えは江原さんの著書のどれかにでも書いてあるのでしょうかね? >~それを敏感に察知されているものかと思われますが~ 察知できませんでした(笑) それでは長い間付き合って頂いてどうもありがとうございました。 何かしらのコンタクトをお待ちください。

noname#189246
noname#189246
回答No.5

nande11jiです。先ほど言い忘れたことがあるのですが、私が“ご教授”という言い方をしたのは、シルバーバーチの教えを全て記憶している訳ではないことと、『心の道場』については詳しくは読んでいないので、私の知らない情報が出てきた場合を恐れたからです。恐れは自尊心という小我の現れですから、自分の霊性の低さを捉えようと思います。また、『心の道場』という得体の知れない大きなものに対する恐れもありました。これも自尊心として自戒したいと思います。 では続きを。 ●「浅いトランス状態のときに自分の声を聞くことはあっても、深いトランス下では自分自身の意識は完全に失われてしまうのです。」 これはただのあげ足取りです。江原先生が深いトランス状態と表現したのが、どの程度の深さだったのかという考慮がまったく入っていません。真理の探究より先生を失脚させようとせん小我が先行している証拠です。 ●「昌清霊もシルバーバーチと同じように苦労をしてきたと言っているのです。高級霊が通信を送るときは、まさにその通りです。」 おかしいですね。そのことを知っているならば、シルバーバーチが自分で苦労して英語を体得して来たことが何故考慮に入っていないのでしょうか?これも江原先生に対する嫉妬が先行している証拠です。 ●「霊媒現象の大原則」 ですから、通信手段がそれしかあり得ないとどうして言えるのでしょうか。 ●「非常に悪質で狡猾(こうかつ)・知的な“低級霊”が、意図的に古代語を演出して伝えてくる可能性があります。」 古代語を使用してそれらしく振る舞うのが低級霊だけと何故言えるのでしょうか。ここで私の知っている強力な論拠をもうひとつご紹介します。『シルバーバーチの霊訓』を翻訳したのは近藤千雄先生です。もちろんご存知ですよね。『心の道場』とて近藤千雄先生の著書を根拠としているのではないでしょうか?英語を自力で翻訳した可能性も無きにしも非ずですが。 近藤先生の著書『古武士霊は語る』の中で、主人公の古武士霊は筑前(福岡県)の霊媒を通じて加賀(石川県)の武士である事を告白しました(入神は意識のない深いもの、霊媒の言葉は利用出来なかったと思われます)。その時古武士霊は加賀の方言を用いて意味が分からない部分がありました。でもかなりある程度は話が通じました。鎌倉時代の古武士霊が江戸後期にしゃべったのにです。近藤先生は古武士霊は真であるとし、霊格についても、執着はあるが元は高級霊と述べておられます。 どうですか、近藤先生が信用できないのならシルバーバーチの注釈なども信用できない事になりませんか?信用できないとなればスピリチュアリストって何なんですか? 『古武士霊は語る』を執筆された時、既にシルバーバーチについてあれこれ注釈をつけておられた事からして、近藤先生がシルバーバーチを翻訳したのはもっと前だと思われます。その先生が認識を誤っていると言うのですか? 古武士霊の例は霊は自分の言葉で語り、日本国内なら方言があってもある程度通じる事を示しています。低級霊がもっともらしく見せかけている場合以外があるという証拠です。 次に、近藤先生が『古武士霊は語る』の中で紹介しておられる『小桜姫物語』についても同様のことが言えます。『小桜姫物語』の霊媒は昭和10年前後で、その頃の日本語は戦時中の軍隊の無線連絡などの記録をテープで聞いても、現代語とあまり変わりません。しかし、小桜姫の言葉は明らかにそれとは違います。現代語と古語の中間です。そりゃそうでしょう、室町末期は中世ですから。ついでに小桜姫は謙虚で気品のある相当の高級霊であることを付け加えておきます。さらに歴史上の実在の人物であることも確認されています。ただし霊媒との現世での接点はありません(守護霊ではありますが)。(入神は霊媒の意識が少し残っている程度)。 もうお分かりでしょうか、『心の道場』が小我と狭い見識でものを見ている事が。 このあと、『心の道場』はそれまでのでたらめを根拠に好き放題江原先生を批判します。ここからはもう2ちゃんねると大して変わらない波長を放ち、読みたくもありません。ですので、検討はもう十分かと思われます。今回、私は徹底的に検討しましたが、そこまでしなくとも、執筆者の霊的気品を感じ取れば『心の道場』など避けて通るべきものという事は察知できると思うのです。 余談ですが私はスピリチュアリストでありまた素敵な雰囲気の漂う_sum_さんと、もっと個人的にお話したいと思うのですが、メル友になって下さらないでしょうか。下のブログにコメント下されば、何とかします。あ、お手数ですが登録必要かも。無料ですので。ことが済んだら退会してもいいんだし。 よろしくお願いします。

参考URL:
http://blog.daletto.com/article/bguorhw699/latest.html
noname#77750
質問者

補足

近藤千雄先生知ってますよ。シルバーバーチなどの翻訳をしたりしている人、という程度ですが…。 『古武士霊は語る』はまだ読んだことがないのですが、買うつもりです。日本の霊訓的な本も読んでみたいと思っていましたので。『小桜姫物語』も非常に興味があります。名前からして美しいですね。 『心の道場』は避けて通るべきものですか。『500に及ぶあの世からの現地報告』と入門シリーズは一度読みましたが、インペレーターやカルデックのも一通り読みたいのでもう少しお世話にならなければなりません。携帯でどこでも読めるのが便利なので。 メル友ですか!なんだか嬉し恥ずかしです。ありがとうございます。この出会いも何か導き的なものがあるのでしょうかね。私、パソコンやブログなど、あまり詳しくないもので手間がかかるかもしれませんが、頑張ってみます。 とりあえず今夜はこの辺で失礼します。 ではまた明日に。

noname#189246
noname#189246
回答No.4

_sum_さん、おはようございます。 風邪をひいてしまいました・・某霊能者を暴いたせいかな。 薬買ってこようと思います。 >、思い出すことができました。 正しい認識に戻ってよかったですね。これからもがんばって下さい。 >私は肉類を食べると、性欲、物質欲などの本能、獣性、利己心などが強まってしまう気がしてます。 そうなんですか。霊媒能力がおありの事といい、肉体の精妙さが私より進化していらっしゃるような気がしますね。 私は性欲は強いし肉も食べたいです。それ以外の獣性や物質欲はそれ程でもありませんが。利他的意識や善の動機にいつも注意しているつもりですが、自分も楽しまないと未練が残るかも知れません。大した霊格ではないのでしょう。 >、『自分はあの時なんであんな話をしたんだろう?』 『なんであんな風に言ったんだろう?』 『なんであんな事を思ったんだろう?』 と思いました。自分ではなくなっていたと思いました。しかし話し方、言葉はすべて私の普段使っている言葉です。 この文面から察するに、_sum_さんは意識を失っていなかったと思われ、自分が勝手なことをしゃべるのを自分で聞いていたと思われるのですがいかがですか? 入神は霊媒の潜在意識を霊が乗っ取る、そして霊媒自身は肉体から追い出され、ちょっと離れたところから自分がしゃべるのを見ているそうで、そうでない場合は完全に意識を失っているようです(モーリス・バーバーネルの場合)。 でもそれはモーリス・バーバーネルの場合ということに過ぎません。それ以外の通信方法があり得ないとなぜ言えるのですか?そんな部分が『心の道場』の排他性です。 _sum_さんの表現を聞いていると、霊は潜在意識を乗っ取ったのではなく、潜在意識は_sum_さんのままだが霊にちょいちょいと刺激を加えられて無意識に思いもよらない事をしゃべった、という通信手段の存在を匂わせているのですが。もし、そうだとするとモーリス・バーバネルに起こったことが全てとは言えないという証拠の逆転となります。 潜在意識をちょいちょいと刺激されただけなら、しゃべり方は_sum_さんのままでいけるのかも知れないじゃありませんか。シルバーバーチが潜在意識を乗っ取ったのは強烈な説得力の為だったとか。 では本格的に『心の道場』の昌清霊言批判の検討に入りたいと思います。 ●「通信の表現・単語・文章は、すべて地上の“霊媒”のものが用いられます。」 そんなおかしな話はありません。シルバーバーチは数10年に渡り一生懸命英語の勉強をして、最初はたどたどしかった英語を、すらすらとしゃべれるように自分で訓練したのです。バーバーネルのものを用いればいいんだったら最初から流ちょうの筈です。 ●「霊からのメッセージを日本人霊媒が受け取るとき、そのメッセージは英語ではなく日本語になります。」 ですから、さっきから述べているように、潜在意識をちょいちょいと刺激して想念だけ流しこめば、後は霊媒のしゃべる能力(脳というコンピュータ)を利用して表現するかも知れないじゃないですか。 ●「シルバーバーチからのメッセージは、バーバネルという英国人霊媒によって伝えられたため、通信内容は古代語ではなく英語で表されることになりました。」 そんな馬鹿な。シルバーバーチは3千年(?)前の言葉を忘れてしまったので、英語を一生懸命訓練したのです。英語を選択したのは古代語ではイギリス人に通じないからです。 以上の事から、昌清霊言批判の根幹は完全にでたらめという事になります。・・・ていうか私も今検討してみてここまではっきりとでたらめが浮き彫りになると思ってませんでしたが・・。 『心の道場』は現代語に近いが少し古代語が混じっているのが作為的で怪しいと言っていますが、昌清霊も江原先生の脳を利用して通じる部分と通じない部分をちゃんと意識して言葉を選んでいたんだろうと思われます。死後500年ではまだ当時の言葉を若干覚えているが、死後3千年(?)のシルバーバーチともなると覚えていない、またはイギリス人に使えないということでしょう。 論拠はまだありますが、長文になり過ぎたのでいったん切りたいと思います。

noname#77750
質問者

補足

nande11jiさん、こんばんは。 風邪ですか。最近寒いですからね。お体大事にしてください。 某霊能者ってシモさんのことですか?私は彼女の事をほとんど知りませんが、彼女からは崇高さを感じなかったような気がします。 >この文面から察するに、_sum_さんは意識を失っていなかったと思われ~ ええ、意識はしっかりありました。 >_sum_さんの表現を聞いていると、霊は潜在意識を乗っ取ったのではなく~ そう思います。『乗っ取られた』というよりは『同調した』という感じに思います。単なる憑依なのかもしれません。入神と憑依を一緒にして考えてはいけませんね。後になって振り返ったときに、「あの時の感情は自分の感情ではなくて、その他界した人の感情だったんだな」と気付きます。(というか私はそう思い込んでいます。)いつも後になってから気付くんです。真っ最中には自分の意識なのか、自分以外の霊の意識なのかの判断、区別ができずにいます。 お話を読んでいて思い出したのですが、あいまいな記憶ですが、どこかの国の人が霊に憑依されて、その本人の知らない異国の言語だったか古代語だったかを話した、というような話があった気がします。周りの人は悪魔のしわざだ、などと思ったとか。 それならば、霊媒が普段使わない言葉で話したとしても不思議はありませんね。江原さんが古代語を話したとしても問題はありませんね。 『心の道場』からは、江原さんにの功績に対する嫉妬心が感じられますよね。

noname#189246
noname#189246
回答No.3

#1です。熱いお返事ありがとうございます。想定よりずっと詳しい方のようですね。では逆にご教授下さい。『心の道場』が正しいとおっしゃる理由を。 その前にお悩みに対する私の認識をご紹介したいと思います。不安や恐れ、心配の念を心に抱いてはいけないというのは、「そうなければならない」という事ではありません。「それを目指さねばならない」という事だと思います。シルバーバーチの言う事がすんなり出来るのであれば、私たちが現界に再生する必要などないではありませんか。不安や恐れ、心配を抱く時、スピリチュアリズムによる苦難の解釈を思い出し、それは本来感じないのが理想なのだなと思い返すのが大事なんじゃないでしょうか。そこで自分の霊性の低さを冷静に再認識しより向上を目指そうと謙虚さを伴って意識するのがスピリチュアリズムの実践ではないでしょうか。つまり、必要以上の思い悩みにブレーキをかける冷静さがその効用とでも言いましょうか。最たる効用は自殺の防止であろうと思いますが。 最初から聖者と同じ状態を保とうとすると必ず無理が生じます。聖者の真似をする事はスピリチュアリズムの実践ではありません。霊訓を読んだだけで聖者と同じ状態で生活できると思うのは思いあがりでしょう。 例えばスピリチュアリストは菜食主義である、という認識をよく耳にします。しかし、シルバーバーチがいつ肉を食べてはならないと言いましたか? シルバーバーチは肉食について「嘆かわしい事です」的な事は言いました。それは覚えています。でもそれは人間の霊性の低さを嘆いたのであって、肉食を禁じたのではありません。聖者ならばこの肉の為に命を落とした動物の魂に思いを馳せる事でしょう。しかし、並の人間に肉食の快楽を禁止するほどそこに思いを馳せられますか?無理ですね。目の前にすでに死した肉がパックに入れられて置いてあったら、その肉が生きていた時の事まで頭に入らないでしょう。 人間が無理に肉食を禁じたらどうなりますか?ただの我慢大会でしょう。それを続けたまま帰幽したらどうなりますか?「現世で肉が食べたかったのに我慢してしまって二度と食べられなくなった、くちおしや」となるのではありませんか?。その未練の為に霊界入りが遅れたら本末転倒ではありませんか。つまり聖者の真似をすることはスピリチュアリズムの実践ではありません。だからスピリチュアリストになったのだから聖者らしく振る舞うなど思いあがりだと言うのです。肉を食べてもいいから、「自分は残酷で業の深き者なんだな」と冷静に見つめ、謙虚に感謝する事がスピリチュアリズムの実践だというのです。大体菜食主義だと“精霊差別”です。類魂を持つ動物は食べちゃいけないが、反応しかない精霊の宿る植物なら食べていいなんて事になります。所詮人間は何かを犠牲にしないと現界に居られないのです。だから何を食べても仕方ないが、感謝する事だと思うのです。 つまり、質問者様が不安、心配、恐怖を抱くことは別に禁止されていません。許されています。許されているが、現在の自分の霊性の低さを冷静に見つめる事による謙虚さ、苦難の意味を理解する事による思いの中和などがスピリチュアリストとしての実践でしょう。自分を追い詰めることは実践ではないと思います。そんな観点から、『心の道場』などはどうもギスギスした波動を放っているようです。 次に『心の道場』の昌清霊言に関する解釈について検討したいところですが、文が長くなりすぎましたので、質問者様のご教授を先にお聞きしようかと思います。どうかよろしくお願いします。

noname#77750
質問者

お礼

というかご教授なんてそんなやめてください(笑)。こちらの方が学ばされてます。 心の道場の正しいと思う点を書かせていただきます。 ●昌清霊が通信を送ってきたとしても、江原さんから出る言葉は古代語ではなく、江原さんの現代語になる。 私自身の経験なのですが、私の身近な人の友人知人が突然他界し、その後、その他界した人が私を通して私の知人にメッセージ的な事を伝えた、というようなことが何度かあったんです。私はやや霊媒的な体質のようです。暮らしは普通の一般人です。 私は後から、『自分はあの時なんであんな話をしたんだろう?』 『なんであんな風に言ったんだろう?』 『なんであんな事を思ったんだろう?』 と思いました。自分ではなくなっていたと思いました。しかし話し方、言葉はすべて私の普段使っている言葉です。 他界した本人なのか、それとも別の霊が私にそう思い込ませたのか、私のとんだ勘違いなのか、正解は分かりませんが。でも私の知人は私と話していて、亡くなったあの人みたいだと感じたそうです。死んでも無になるわけではない、あの世はある、と思い始めたみたいです。 そんなわけで私は、『感情、意識は霊と融合したとしても、霊媒から出る言葉は霊媒のものが使われる』と、現時点では思っているわけです。もちろん、私は知識も経験も浅いのでこんな考えは間違っているかもしれません。 心の道場は昌清霊言に対して、『騙し』『悪質』『自己の名声・人気取りのために利用した』など、『悪』であるという内容の事を言っていますが、私はやはり江原さんの動機は『善』であると思うのです。100%の善ではないかもしれません。1割2割は小我な気持ちもあったのかもしれませんが。 なぜ偽物の霊言を作ったかを考えると私は、真理を広める為に、ちょっと西洋的なスピリチュアリズムを、日本人向けに馴染みやすくするためにやったのでは?と思いました。江原さんは、「米ではなくおかゆにする」と表現したそうですが、それは傲慢なのでしょうか?私自身初めてシルバーバーチの本を読んだときは、祈りとか、教会とか、宗教とか、なんだかちょっと受け付け難い印象を受けました。それに事実江原さんの活動でスピリチュアリズムが日本にかなり浸透したじゃないか、と思いますし。 しかし私は組織というものはどうも苦手です。 こんなに長い文章を読んで頂いてありがとうございます。

noname#77750
質問者

補足

nande11jiさんですね、ありがとうございます。 真理を本当の意味で理解すれば、不安や心配の念は抱かなくなるものですよね。不安などの念を抱くということ自体がすでに、理解が足りない、未熟だということですよね。『理解』というより『体得』といった方がいいかもしれませんね。 「それを目指さねばならない」 そう考えるとなんだか楽になったような気がします。 私はよく、高い理想と現在の自分を比べて、自分はなんて未熟なんだろう、と落ち込むことがあります。人の悪口を言ってしまったり、人を見下してしまったりしている自分に気が付いて。でも理想はあくまでも理想なので、高くなければ理想の意味が無いとは思うのですが。 苦しい思いをするときというのは、どこかに間違いがあるときなようですね。自分では相手の為、周りの為を思っていたつもりだったのに、実は奥の奥に利己心が潜んでいたときなど。その苦しみのおかげで自分の間違いに気付け、成長できるようになっているみたいですね、この世界の仕組みは。最近の苦しみはそんな感じでした。それから私を常に大きな愛で導いてくれている存在が居ることを改めて感じ、思い出すことができました。 肉食についてですが、私はもともと肉の味に魅力を感じない人間なもので…。食べれば別に美味しいとは感じますが、この世から肉が無くなってもまったく悲しくもなんともありません。ある意味ラッキーな人間かもしれませんね。まあ動物は、人間を生かすために存在しているのではないと思いますし、良くないと思うようになった人が一人、また一人とやめていくしかないのかもしれませんね。私は肉はめったに食べませんが、以前、「植物だって生きているじゃないか」と人に言われ返答に困ってしまいました。自然の恵みを頂いて、それによって植物や自然に感謝することを学ぶのかもしれませんね。 ある男性タレントさんがテレビで、 『肉を食べる女の人は、体臭が臭う』 なんてことを言っていたのですが、それを観た全国の女性たちが肉食をやめていったらいいな、なんて思いました。 それから、私は肉類を食べると、性欲、物質欲などの本能、獣性、利己心などが強まってしまう気がしてます。食品の添加物などにも敏感な体質でして…。菜食生活を続けていると、霊的なインスピレーション、エネルギー、念などを受けやすくなる気がします。良い面も悪い面も。 心の道場について、遅くなるかもしれませんが、続きはお礼の所に書かせていただきますね。

noname#76129
noname#76129
回答No.2

何年かの間、熱心に読んでいましたが、 ある日、シルバーバーチ読書会というものに行って、 疑問を感じ、(他の参加者を見て、自分がおかしいのではないかと気づいた) それ以降、読むのをやめてしまいました。 >霊訓と出会って、その後の人生に何か変化や影響、得たものなどありましたでしょうか? 得たものはたくさんあったと思いますし 人生に影響を与えたとも思います。 私にとっては人生のどん底、真っ只中の時に私を救ってくれた 有り難い本ですが、かといって、いつまでもしがみつく本ではない と思いました。 何でも利用の仕方次第なのでしょう。 どんな本を読むかも大事ですが 読み方と、活用の仕方も重要でしょう。 ただ本を読んだからって何かが変わるわけじゃない。 本を読んで、自分を見つめなおして 言葉や、想いや、行動を変えていくから何かが変わるのでしょう。 >モーゼスやアラン・カルデックの著書も心の道場のサイトで >時々あっちこっち読んでいます。 それだけあれこれ読み漁って 心がその状態なのですから シルバーバーチだとか、江原さんだとかより、 自分自身を見つめた方がいいと思いますよ。 >その優れた霊媒が、今の日本でいう江原さんなのでは? と勝手に思っております。 どう思おうとあなたの勝手ですが 私はそうは思いません。 主治医から電磁波をあびないように 言われておりまして、もう退会しますから ご返事は結構です。(見れませんので)

noname#77750
質問者

お礼

なるほど。 こういう方も居るということが分かりひとつの参考になりました。 ありがとうございます。 未熟者ですが自分を見つめて頑張っていこうと思います。 と言っても読んでらっしゃらないかもしれませんが…。 電磁波つらいですよね。 皆さんも浴び過ぎないように気をつけましょう。