千と千尋の神隠しについて
子供のころ、千と千尋の神隠しを見てただ単純に凄い!て感動してたんですが、「カオナシ」て何だったんだろうなて思って今更になってもう一回観たんです。
で、これは自分の解釈なんですが、「カオナシ」は人の煩悩+意志のなさを表してるのかなあ、て思ったんです。 人(千尋)はふとした事から、親がいなくなり労働をして自立しなければならない時がくる。「働かななくちゃいけない」てハクが言った事だし、湯婆婆のいう決まりであったりで、何となく働いて生きていく事は正しいてインプットされる。
そうした社会の中、「カオナシ」に食い殺されてしまう人がいる一方で、千尋は全ての誘惑や欲望を断ち、親を人間に戻したい、ハクを助けたいていう強い意志があって、自分の生き方を通してきた。そんな千尋にもううっとうしい程「煩悩や意志のない自分」が自分を食い殺そうと憑いてまわり、電車の中にまでついてくる。
銭婆の所に行ったものの、銭婆は「この社会の決まりで、私にはどうする事もできない。自分で何とかしなさい」と言う。カオナシと闘いながら、社会の決まりとやらに悩みながらも、純粋に生きた千尋は、最後はハクの名前に辿りつき、両親を見分ける事ができた。(湯婆婆が自分の子供が分からなかったのとは対照的に)
「真っ直ぐに生きて欲しい」
これが宮崎監督が子供に直感で感じて欲しい、と思った事なのでは?と思いました。自分は生きる事について考えていますが、勇気づけられた気がします。何か映画の解釈でも、皆さんの「生きる」という事についての意見でも何でもいいのでお伺いしたいです。
お礼
ほぉー……実際の銭湯でもそんな組み合わせがあったとは…知らなかったです。