まず、大前提として、「原爆=核兵器」とは何か?
そして、通常兵器とどこが違うか?
という二つの疑問を解いておきます。
核兵器というのは、第二次世界大戦末期に開発された兵器です。
そして、それまでの兵器(剣・大砲・銃・戦車)などとは大きく性格を異にする武器でした。
それは、一発で大都市を壊滅できるということです。
そして、長きにわたって放射能汚染による影響が残ると言うことです。
この二つの影響は絶大で、それまでの戦争の常識を変えてしまいました。
例えば、今までは兵力の差が1000VS100であったら、まず1000人の兵力がある方が勝でしょう。
そして、おそらく100人は全滅してしまうかもしれません。
しかし、1000人の側もそれなりに犠牲を払うことでしょう。
それが、核爆弾によって1VS1000であっても、1人の方が勝つことが出来るのです。
もちろん、これはものすごく単純化した理論ですが、それ位のインパクトが「核兵器」というのにはあるのです。
実際、広島に原爆を落としたB29には全12名の乗組員が居ました。
他に数機の護衛が付いていたとしても、数十人です。
この数十人によって、9万人ないし12万人がほぼ一週間で死亡、後々まで後遺症に悩まされた人も含めると20万以上と言われています。
これが、「核兵器」と「他の通常兵器」との違いです。
これを踏まえて、各質問に回答します。
>前大臣の「しかたなかった」発言はどこが問題であったか
まず、この発言については(マスコミでは批判一色でしたが)賛否両論あることを伝えておきます。
そして、久間氏の発言の趣旨ですが、関連部分を少し引用します
===以下・引用===
ソ連、中国、北朝鮮と社会主義陣営、こっちは西側陣営に与したわけだが、欧州はソ連軍のワルシャワ条約機構とNATO軍が対立していた。そのときに吉田茂首相は日本はとにかく米国と組めばいいという方針で、自由主義、市場原理主義を選択した。私は正しかったと思う。
これは話は脱線するが、日本が戦後、ドイツみたいに東西ベルリンみたいに仕切られないで済んだのは、ソ連が侵略しなかったことがある。日ソ不可侵条約(※正しくは日ソ中立条約)があるから侵攻するなんてあり得ないと考え、米国との仲介役まで頼んでいた。これはもう今にしてみれば、後になって後悔してみても遅いわけだから、その当時からソ連は参戦するという着々と準備をしていて、日本からの話を聞かせてくれという依頼に対して「適当に断っておけ」ぐらいで先延ばしをしていた。米国はソ連が参戦してほしくなかった。日本の戦争に勝つのは分かった。日本がしぶといとソ連が出てくる可能性がある。
ソ連が参戦したら、ドイツを占領してベルリンで割ったみたいになりかねないというようなことから、(米国は)日本が負けると分かっていながら敢えて原子爆弾を広島と長崎に落とした。長崎に落とすことによって、本当だったら日本もただちに降参するだろうと、そうしたらソ連の参戦を止めることが出来るというふうにやったんだが、8月9日に長崎に原子爆弾が落とされ、9日にソ連が満州国に侵略を始める。幸いに北海道は占領されずに済んだが、間違うと北海道はソ連に取られてしまう。
本当に原爆が落とされた長崎は、本当に無傷の人が悲惨な目にあったが、あれで戦争が終わったんだという頭の整理で今、“しょうがないな”という風に思っているところだ。米国を恨むつもりはない。勝ち戦と分かっている時に原爆まで使う必要があったのかどうかという、そういう思いは今でもしているが、国際情勢、戦後の占領状態などからすると、そういうことも選択としてはあり得るということも頭に入れながら考えなければいけないと思った。
いずれにしても、そういう形で自由主義陣営に吉田さんの判断でくみすることになり、日米安保条約で日米は強く、また米国が日本の防衛を日本の自衛隊と一緒に守るということを進めることで…。戦後を振り返ってみると、それが我が国にとっては良かったと思う。
http://abirur.iza.ne.jp/blog/entry/211450/
==引用以上==
つまり、彼が言いたいことは、「広島・長崎に原爆を落とされたことで、(東西ドイツのように)日本が分裂せずにすんだ。」ということです。
しかし、これは一つの「歴史解釈」でしかありません。
米国による原爆投下の理由については、歴史学者の間でも異論がある論争の的の一つです。
いやしくも、政治に携わる者は「一つの歴史観・歴史解釈」で歴史を見て発言するのは控えなければなりません。
「歴史解釈」というのは、個々人の思想・価値観・立場によって180度変わるのが普通です。
それを、政治家や公務員など公的な人間が軽々に発言しては、(人権問題・外交問題・政治問題etc,,)様々な問題が噴出します。
かれの「しょうがない」発言は、この部分に触れたので問題視されました。(もちろん、広島・長崎で原爆被害に遭われた方の信条を無視しているというのも含まれます)
>広島の原爆投下は何が問題であったか
上記に書いたように、一発で大都市を壊滅できる威力を持った兵器を初めて使ったことによるインパクトの大きさです。
そして、その大都市に住んでいて犠牲になる人は90パーセント以上は民間人であるということです。
近代以降の戦争は、近代兵器(特に戦闘機)によって今まで以上に民間人に被害がでるようになっていました。
その反面、「人権意識」というのも育っていた時期でもあります。
そこにきて、「原爆投下」によって「一発の爆弾」で「大都市が壊滅」したのです。
これは、世界にとって衝撃でした。
下手をすると「人類存亡の危機」になるかもしれないと、知識人を中心に多くの人々が感じました。
それくらい、インパクトのある事だったんです。
あとは、「本当に原爆投下は必要だったのか?」という論争ですね。
あの時期の日本は、既に本土にまで攻撃されていて、反撃する力もなく敗戦濃厚でした。(少なくとも後生から見ればそう見える)
つまり、あの時点で米国が原爆を落とさなくても日本は負けたのであり、米国の原爆投下は不当な虐殺ではないか?というものです。
久間氏の発言に関しても述べましたが、米国の原爆投下の真意には諸説あって歴史学者の間でも見解が分かれているのが現状なのです。
主なモノには、久間氏が言う「米国の対ソ連説」のほかに、「米国の終戦を早め人的被害を押さえる説」、「鈴木貫太郎首相がポツダム宣言を黙殺したのに米国が怒った説」、「米軍新兵器実験説」など様々あり、どれが本当かは分からないのが現状です。
ただ、日本では「米国の不当な虐殺」説が支持されているのです。
これは、被害を受けた側としては当たり前の反応ですね。
まぁ、中国や韓国・朝鮮が「日本に侵略されて不当に虐殺された」と同じ論理です。(つまり、立場の差)
少々長くなりましたが、参考になれば幸いです。
長文失礼しました。
補足
私が言いたいことは先に手をだしたから、どれだけ攻撃されてもしかたないという事ではなくて 引き金を引いておいて、戦争が拡大した結果多大な被害がでたのならそれは日本側にも責任があるのではということです。言葉たらずですいません