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辰吉丈一郎 8戦目
どうして どうやって辰吉丈一郎は プロ8戦目でバンダムタイトルマッチまで いけたんですか? 強すぎたのか チャンスに恵まれた とかなんでしょうか?
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補足に対する回答ですが、アマチュアでオリンピックメダル獲得など確固たる実績を持ち、人間的にもカリスマ性が無いと無理でしょうね。さらに同時に人気低迷による世間が求めるボクサー像とそれに応じられる実力、さらに5人も世界王者が日本にいることや、その中でも内藤選手の人気振りを見ると、ただ単に実力があるというだけでは無理だと思います。内藤選手とて亀田次男と戦っていなければここまで人気が出なかったと思います。 辰吉選手の場合はボクシング低迷期に、時代が要求した様々な条件を満たしたカリスマを持ち合わせた選手だったと思いますね。またそれに充分に応えた選手だと思います。
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- KKBKTS
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こんにちは。 皆さんの補足的回答となります。 ・辰吉はデビュー前にアマで17歳で全日本バンタム級チャンピオンになりました。当時の(今も?)最年少記録です。 ・プロデビュー戦からテレビ中継されました。 ・プロ2戦目は東京ドームのマイク・タイソンの試合の前座でした。 ・4戦目の日本チャンピオン・岡部繁(セキジム)も世界を期待されていたホープでした。岡部vs辰吉の試合が実現すること自体が今考えてもすごいことです。岡部繁の故・関光徳会長はのちに横浜光ジム会長として畑山隆則、新井田豊を世界チャンピオンまで育てた人物です。 ・6戦目のアブラハム・トーレスは当時バリバリの世界ランカーです。通常は世界目前でこんな危険な相手と試合しません。結果、引分であり、辰吉自身は「負けに等しい」と発言しています。 ・7戦目、ここで1試合はさんだのがスゴイことです。今なら(当時でも)トーレス戦のあとにすぐにでも世界挑戦するでしょう。あえて危険を承知で1試合はさみました。 ・8戦目で世界挑戦ですが、会場の守口市民体育館に意味があります。当時の辰吉人気なら大阪府立体育会館や大阪城ホールでも満員になるはずですが、あえて辰吉地元であり、大阪帝拳の先輩・六車卓也が同じバンタム級で世界を獲った守口市民体育館を選択しました。 以上、全てリアルタイムで見てきており、実家には全ての録画テープもあります。 よく亀田興毅と比較されますが、全く正反対であり辰吉は手順を踏んで正統派のルールで世界挑戦しました。それが「8戦目」だったということ。亀田のように東南アジアのかませ犬相手を相手にしてランキングを上げていったのではありません。
- Danniel
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こんにちは ルール的には世界ランカーに勝って、WBCもしくはWBAのランキング会議で推薦してもらって世界ランカーになれば、世界挑戦は可能です。(当時は10位以内だったかな?)日本はアメリカに次ぎ、興行で動くお金が大きいですし、ランキングに入りやすいです。 また当時は、9戦目で世界チャンピオンになった具志堅の記録を破るかどうかということで、9戦目というのが目安となり、大橋秀行などが7戦目で挑戦したり、井岡弘樹は9戦目で挑戦したりと、一つの売りになっていました。 辰吉は皆さんご存知の通り、まれな素質の持ち主だったことで、この路線で売り出されて8戦目の世界挑戦となりました。 ただ、6連続KO防衛を含めて13回、世界タイトルを防衛した具志堅よりも強かったかというと、とんでもないとおもいます。世界戦でのKO率も低く1発のパンチもありませんでしたし、セコンドのゲームプラン無視のノーガードで打ち合うスタイルでした。素質・センスでいうと、たぐい稀にあっただけに非常にもったいない選手だと思います。
- boikof
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アマチュアから全勝利をKO・RSCという実績を残して注目されていた辰吉選手は、わずかプロ4戦目で日本チャンピオンの岡部選手(この選手も当時16勝8KO1敗というホープでした)を破り、その後に6戦目で当時1階級下の世界ランカーであったアブラハム・トーレスに引き分けた事で世界ランク入りし、8戦目にグレッグ・リチャードソンに挑戦するに至りました。強すぎたというよりもボクシングの人気低迷が顕著化した当時の救世主という期待が非常に強く、大阪帝拳ジムの売り出しとタイアップした形のマスメディアによって一般国民にも広く存在が認識され、世界王座奪取日本人最短記録樹立はボクシング人気回復の起爆剤として必然的だったと思います。その意味ではチャンスにも恵まれていたと思います。 しかしどこかの兄弟とは違い、世界挑戦するまでに実績のあるロートルではないバリバリの選手を撃破しており、世界挑戦者としては試合数が少ないだけであって実力は証明されていました。
補足
ちょっと話しが ズレるんですが 協栄ジムで 強い新人がデビューして辰吉丈一郎みたいな 道を歩んでいけると思いますか?
- rastaman11
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当時の辰吉の才能とボクシングスタイルは突出してましたからね。具志堅を上回っていたと思います・
- lisokiso
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「強すぎたのか 」 ↓ 辰吉はアマチュア戦績19戦18勝(18KO)1敗と優秀な成績を残しており ソウル五輪のボクシング代表候補でもありました。 このことを考えるとプロデビュー前からかなり実力のあるボクサーだったと思います。 「チャンスに恵まれた 」 ↓ 辰吉はアマチュアのころから関西のマスコミに 大きく取り上げられており人気もありました。 観客動員を期待できるボクサーだったので 所属している大阪帝拳ジムやJBCなどが マッチメイクなどをお膳立てしたと考えられます。
お礼
助かりました、わかりやすい回答ありがとうございました!