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人の短所しか見れない人
人の短所しか見れない人っていじめる側の人に多いような気がします。 「○○って△△△だから嫌い!」とか言う前にその人の長所を探し出して「○○って△△△ってところが良いよね」という感じに考えた方がいいのに…。 誰だって長所があるのにそこを知らずに「嫌い」になるなんて何か違う気がするんです。 人を嫌いになるより好きになった方がいいでしょう? 特に、いじめられる側の人って長所が普通の人より多い気がします。 私の周りでいじめられてる人って、すごく優しいし心が広くていい子ばかりなんです。 なのに、いじめてる人は当てつけでデマを流していじめられる人を悪く仕立て上げるんです。 そんなことをして優越感を味わって人を貶めている人が許せません。 いじめる側の人を二度とそんな事が出来ないようにする方法を教えてください!!
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- 1443626
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私は中学・高校といじめられていたので、あなたの意見は心にすんなり入ります。 でも、私が思い浮かぶいじめている人って、長所がないのです。妬みが原因になることも多いかと思います。 私は「目には目を、歯には歯を」をモットーに生きています。 デマにはデマを、とにかくやられたのと全く同じことを、いじめる側が体験することでいじめがなくなればいいのにと思います。 まあ、放っておいても「いじめる側の人」は人生破滅に向かうと信じています。一寸先は闇です。 後は自分の心からいじめる人の存在自体を抹消して存在しない人とします。 暴力は警察沙汰になっちゃうので、正当防衛でない限りおすすめできません。
- k-5ya8ro
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S学会・A新聞・M新聞みたいな人ですね。 1.ハムラビ法典『目には目を』『歯には歯を』の平等思想に基づき、 同様の行為を相手(いじめる側の人)に行なう。 これでこそフィフティ・フィフティ。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8F%E3%83%B3%E3%83%A0%E3%83%A9%E3%83%93%E6%B3%95%E5%85%B8 2.(所詮他人を誹謗する事でしか自尊心を保つ事が出来ないさもしい小人であると看做し)無視 3.臭い飯を食らう覚悟で行動する
嫉妬だと思う、相手の長所が当人にとってみれば短所としてうつるのでその長所をもっている存在を潰したくなるということだと思います。
質問者さんのご意見、その通りです。 私も少なからず他人の陰口やいじめ(と本人は思っていないでしょうが)に苦しんだ時期があり、今でも人間の暗い部分に悩むことが多いので、人間のそういう心を撲滅したいという気持ち、共感します。 ですが、人間というのは経験から学ぶ生き物ですので、人生のうちに挫折が無ければ成長しません。 「いじめられた経験がある人の方が、人間的に成熟している」と良く言われますが、裏を返せば 「いじめや人間の暗い部分が世の中から全て消えれば、心の綺麗な人間は生まれない」事になります。かなり極論ですが… (暗い部分が無くなれば綺麗な部分しか残らない、という点で矛盾しますが、あくまで例です。実際そんなことはありえませんし) いじめられている人間は、その時は本当に不幸で、惨めで、哀れです。 そしてそこで、自分の人生を断ってしまう人も少なからずいるでしょう。本当に不幸なことです。 ですので、いじめを正当化する気はありませんが、ですが、 それをバネに人間性を磨き、成功している人も多いでしょう。いじめられたという過去は暗いものですが、今が輝いているならそれは素晴らしいことです。 そのお友達は、きっと「いじめをバネに磨かれた」素晴らしい人なのだと思います。 そんな人をいじめた人、それはきっと、「彼らの人生が磨かれるために磨耗した砥石」なのです。ただそれだけです。 「許さない」なんて気持ちをその人に向けている時間が勿体無いですよ。それよりもその素晴らしいご友人と楽しい時間を共有する方に時間を使った方がずっと有意義です。 …という話の後で何ですが、いじめる側の気持ちも少しわかります… そういう人って、自分の周りで何か大変なことがあって、気持ちに余裕がないんですよね。だから自分以外の何かに矛先をむけてしまう。 彼らもある意味哀れです。 そっと見守れとか、わかってやれとか、そういうことではなく そんな人もいるんだよねーという、一般論でした。
いじめというのは、加害者にいじめをしているという自覚がないのが特徴ですね。 かなり昔ですが、同級生にいじめられて自殺をした少年の事件が話題となりました。 亡くなった少年のお葬式の日、彼をいじめていた少年たちは悪びれた態度を全く見せず、いつものように笑っていたそうです。 その話を聞いた時、私は何とひどいことだろうと驚きました。 しかし、私たちは果たしてその少年たちの無自覚を責めることができるでしょうか。 自殺にまで追い込んだという点についてはひどいと言えますが、多くの人は、自分も加害者であるということをほとんど意識していないのではないでしょうか。 私の小さい頃、近所に嫌いな子がいて、遊びの仲間に入れてあげなかったことがあります。 その子が淋しそうに一人で遊んでいる姿が見えていましたが、声をかけて一緒に遊ぶことはしませんでした。 意地悪をしているという自覚はありましたが、いじめているという感覚はなかったのです。 多くの方が 「そのくらいなら、いじめではないのでは。子供ならば一度や二度は誰もが経験があるのでは」 とおっしゃるかもしれません。 しかし、遊びの仲間に入れてもらえないというのはとても淋しいものですよね。 そもそも、いじめとは何でしょうか。 あからさまな暴力や暴言、嫌がらせだけがいじめでしょうか。 悪口、陰口、うわさ話、からかい、嘲笑、仲間はずれ、無視、無関心、いじめの傍観者、困っている人に手を貸さない行為、それらも広い意味でのいじめではないのでしょうか。 そこから考えていかなければならないのかもしれません。 質問者さんの素晴らしい質問により、考える機会を与えてさせていただきました。 ありがとうございました!
- desu_mond
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人の短所を見つけるというのも一つの才能だと思うんです 短所を指摘されたり批判を言われたりしなければ人は成長しないと思いませんか 多分いじめをする人たちは自分の短所をみつけようとしないだけです それができれば・・・・
質問者さんの考えはしっかりしていて素晴らしいと思います。 そのまま、優しさをもち続けてくださいね。 いじめる人を二度とそんな事ができないようにする方法は…難しいですね。 私は小さい頃からいじめられる側でした。 ですからいじめは最低の行為だと思っていました。 いじめは絶対したくないと思っていました。 しかし一年くらい前のことですが、仲間数人で集まった場所で一人の仲間の陰口を言ってしまったのです。 その仲間の人柄はピュアで優しくて大好きなのですが、少し困った出来事があったので、その方のいない時にその方の名前が出た時、 「○○さんには困りました~」 と批判をしてしまったのです。 目上の方から 「お互い様でしょ。そんなこと言っちゃいけない」 と注意を受けました。 すごくショックでした。 素直に自分の非を認められなかったんです。 (悪口なんて言ってない! 『○○さんの行為が困る』と愚痴をこぼしてしまっただけなのに! 私は○○さんが大好きだし) という風な言い訳がたくさん浮かんでしまって、注意してくださった方を恨む気持ちにすらなってしまいました。 しかし同時に、注意してくださった方を (陰口を言う人にきちんと注意できる人ってすごい! 今の時代は悪い人に注意をする勇気のある人って少ないから。悪く言われている人をかばってあげられる人って偉い!) と尊敬する気持ちも湧きました。 しばらく心が葛藤しました。 言い訳をしたい気持ちと、素直に反省しなければ…という思いが闘うのです。 しかし時間はかかりましたが、素直に自分の間違いを認めるほうを選びました。 自分では単なる愚痴のつもりであっても、言葉というのは相手や時や場所を考えないと悪口になってしまうことがあることや、陰口を言うだけでもいじめに通じてしまうのだと学び、今は心から反省し、後悔しています。 いじめる人というのは、私のように人前で叱られるような痛い思いをしなければいじめをやめる気持ちになれないかもしれませんね。 私の情けない体験を書いてしまいましたが、いじめられている人をかばってあげられる人って素敵ですよね。 そんな人になりたいと思っています。 それから、いじめの問題は道徳だけでは語れない根が深い社会問題であると思います。 いじめにより心の病になる方や自殺者が出ているにも関わらず、一向にいじめがなくならないのはなぜなのか…皆がこれを真剣に考え続けていくことが大切だと思います。
- sakura-333
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そうですよね。 そういう目でしか人を見れない人は、人の長所すら短所に見えてしまうのでしょうから、その人の心を何とかしない事には・・ね。 生まれ持っての性格もあるのでしょうが、やはり自分自身に何か不満を持っている場合が多いのも確かだと思います。 >いじめる側の人を二度とそんな事が出来ないようにする方法を教えてください!! まぁ~流すデマに対して一々反応しない事と、いじめる人に対してビクビクせず、冷静な判断で対処できればいいと思うのですが・・ そのためには、周りの人も冷静な判断力と間違いを指摘できるような強さが必要になりますよね。 そこに加わる人達の弱さも、執拗に陰湿ないじめの必須条件だと思います。
- kin-nohane
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別の質問に対しても使った言葉なんですが。 人間はどうあっても完璧にはなれません。 人を細かく非難する人間はその人が完璧であるべきですが、その人は自分は完璧だとでも思っているのでしょうか。 完璧になれない存在だから、生きている限り成長する必要があるんです。 本当にその人のためを思っての助言と非難は全く違います。 その人は自分を見ずに、とにかく人の欠点を見ることに一生懸命なようですね。きっと自分が全く見えていませんね。それは成長どころか嫌な人間にどんどんなるしかありませんね。 人が何で傷つくか、人にやさしくなろうとなれる人は傷つくことを知っている人だろうと思います。 そしてたぶん、いじめられているけどいい子は、自分の気持ちを抑えすぎていませんか? いじめている子の行為がどれだけいじめられている子が傷ついているかを知ってもらう必要がきっとあるでしょう。 いじめている子に対して、いじめられている子が自分の気持ちを伝える必要がありますが、いい子であるならば、味方はいるでしょうから、一緒にお話をするのがよいかと思います。 きっといじめている子も意地になって悪口を言っていて、いじめられている本人だけで話してもダメですね。でも、できるだけ喧嘩口調につられずにきつい、いい口にならないよう気をつけながら、辛い気持は出しながら、いじめている子に訴えてくださいね。そして「仲良くしたい」と言うとよいのではないでしょうか。 それともう一つ、可能性の一つとしていじめている子に精神的問題(病的な)があってそういう行動をとる人もあるようです。専門家ではありませんので、確かな事は申し上げられませんが、なかなか解決が難しいようでしたら、学校の先生など、大人の力を借りてください。 いじめている子が、敵をつくらずに仲良くする方が楽しくて幸せなんだと気がついてくれるといいですね。
- forever116
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30代♂です。 私もあなたと同じ価値観ですよ。 本当に世の中が全てあなたみたいな考えを持てるなら きっと温かい世界になるのにね。 でも、そうしたイジメをする人はその人自身で、変わらないと いけないのです。 周りがどうこうして改善できる問題ではないのですね。 あなたの言うとおり、イジメを受けている人は心の優しい 温かい人が多いです。 イジメを受けた悲しみから、大きな優しさを学んでいるのです。 優しすぎるから、相手の気持ちを分かりすぎるから、 だからイジメを受けてしまうのかもしれません。 相手を同じ目に合わせようとか、倍返しだというような、 気持ちを持つ人は決して多くないはずなのです。 最後には、そんないじめっ子をも許すという心が芽生える のですね。 それが出来る人は、イジメをしている人の数十倍心が輝いて います。 心のレベルでは大人と子供くらいの差が出ます。 そして、イジメを受けた人は誰よりも幸せになれると信じて います。 憎しみや暴力からは何も生まれません。そこにあるのは悲しみ だけです。 でも「許し」からは、明るく、温かい喜びが生まれます(^.^)
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