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12月12日の『太田光の私が総理大臣になったら・・・秘書田中。』について
こんにちは。12月12日の『太田光の私が総理大臣になったら・・・秘書田中。』を見た方、またそうでない方もご回答願いたいです。テーマだった『国会議員に学力テストを導入する』というものですが、みなさんは賛成でしょうか、反対でしょうか? 藤末健三議員が「政治家で漢字が読める必要はない」と言っていたような気がするのですが、これはさすがにないな、と思いました。いくらなんでもそれはないだろ、と若輩者の僕でさえ思ってしまいました。 麻生総理大臣が漢字の読み間違いをしていることについて、「政治家には多少のユーモラスも必要」や「キャラ作り」などと意見を述べている方もいらっしゃいましたが、真剣にそんな意見を言っているのであれば、正直呆れます。「怪我」も読めないようでは、一般教養がどうとかいう問題ではないと思います。これを「読める必要がない」と言っているのが驚きです。これでは本当に子供の学力低下を嘆いている場合ではないような気がします。 僕は学力テストの内容にもよりますが、反対です。そんなことしてどうするのか、という感じです。点数の低い人は辞めさせるのでしょうか? 文として何だか非論理的というか繋がりのない文になってしまいましたがよろしくお願いします。
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まず私自身の思うところを。 (かなりの長文になりますが、どうかご容赦ください) そもそもあの番組は、太田氏が「あえて極論を翳したテーマを提言し」、「それを元に問題の根源まで掘り下げ(出来れば本音を引き出し)議論するという趣旨」の「バラエティ」ですよね(だいだい、そんなところですよね? *「バラエティ」という表現に悪意があるわけではありません、ただそのジャンルとの認識のうえ対応しましょう。ということで、ガチガチに突っ込みだしたらキリがないので。そもそも番組内で使われる「マニフェスト」の概念および用途が間違っていますので) その上で話させていただきますと、 彼の言いたいことはこうでは。 「自分自身でも、(それこそ大卒それ以上との学歴有しながらも)最低限義務教育で習う(覚えなきゃいけない)程度の漢字も読めない(意味も理解してない)で、まして60歳過ぎるまでこれを誰にも咎められず現在までの政界での地位に就いてしまうほどの呆れた環境と教養と知性の程度の低さの想像される人物が、広く日本社会を見渡し全ての国民の生命と財産を守り導いていく、というはるかにレベルの高く見識と知恵と判断・決断の必要とされる課題については高い意識と適切・迅速な対応できる能力が備わっているとは、とても到底思えない」(でも現実に、そこにいる) 「これなら、いっそ、(総理職就任の必須要件となる)国会議員(資格)自体にごく一般的な中学生レベルの教養程度は最低基準としろ!」という、おもいっきりの皮肉を込めた表現したくて、あのマニフェストを提示したのだと私は理解しましたけど。 要は、それ程までに現在の政権はコケにされてるということでしょう。 違いますかね? (それこそ、「いくらなんでも文面そのままが目的ではないだろう」のは間違いないでしょう) 私だって、誰だって漢字の読み間違いすることはあるだろうし、それは政治家にしても必ずしも絶対的な問題ではないと思います。 また既に言われてるように、民主国家では主権者が選挙で判断下せるはずで、有権者にしかないその権利行使により彼を落とすのだって(その気にさえなれば)ある意味容易で、成熟した民主国はそうあるべきで、それを繰り返して発展してゆくものだと思います(ご承知のように、現職総理だろうが選挙に落ちればただの人です)。 ただ、程度があります。 それまでの(他の先進民主国ではありえない)彼自身の総理職に就くまでの正統性自体の異常さや(彼が党首討論で出したGブラウンの位置は日本で言えば前々首相の安倍氏の位置です)、就任後の言動の7転8転と変わるブレまくりの指導力・理念哲学の欠如の表出。 それに拍車を掛ける、軽く20は越える義務教育レベルの漢字読み間違いの連発、しかも「頻繁」を「ハンザツ」としたと来ちゃ逆方向の意味にもなり、彼は「声に出して日本語の音を発していても、その言葉(文章)の意味が理解できてないことでもある」わけで、国の最高指導者が相手(聞き手)側へ与える強烈なマイナスインパクトやら、国の重大な局面での判断を迫られるときの認識能力の不安やら(真面目に論じるのもバカらしく・・まさに悪い意味でのマンガ世界です)。 また、「なぜ健康な自分が不健康者の分まで金出すのか?」(「飲み食い、怠慢」など前後の詳細や本当に言いたい趣旨もタテマエも本音も、どうでもいい。コレ発した時点で全てが無です)などと『近代文明国家における社会保障の理念そのものを否定する』言葉を立憲民主国のリーダーが公式の場で平然と発するという、それこそ中学生やお笑いの方の確信的な発言ならともかく、一社会人の公な場の発言として論外の極みです(そのな知性・信条の持ち主が「先天的にハンディを背負う立場」の方の心情を理解できようがありません)。 また「政局より政策」(失笑)って、党内の政局も制せない方が、野党やメディア、ましてや諸外国と渡り合えるわけがないでしょう。 *「政策」だけでいいなら、学者で事は済みます。 はっきり言って彼は総理大臣職はおろかいち政治家としても、イヤほとんど成人した社会人として明らかに人格・教養・見識の重要素の欠落した持ち主であるとの疑念さえ抱かずにはいられないのが現状です。 だからかどうか、既に彼は「彼を総裁選で推した側近議員」からの見放された発言や、当然選挙のためだけに選んだ不健全の極みの「与党内議員」からも見捨てられた言動や、果ては「ぶら下がり総理会見番の若手記者連中」からの見下された陰口まで出てくるようで、もともと「選挙で信任を得る」という民主国のリーダーとして当たり前の手続きから逃げている彼に「民意の味方」などもあるわけもなく、ただ最高権力者にイスをナデナデするイタイおじいさんと化してるわけです。(だからといって、衆議院で内閣不信任を可決する条項を行使する度胸も覚悟も与党議員にないのは、この10年ほどの首班指名行動動機から見ても明らかで、最近では15年ほど前の小沢一派だけです離党覚悟で信念貫いたのは) というか、「議院内閣制」ですから、総理職(内閣)の権力行使の由来となる、彼(行政府の長)を選んだ立法府(与党議員)の無能さそのものでしょう。 最近の三人を見れば(それ以前も同じだが)、その選び方、無責任さ、その結末から、政権担当能力の無さの証明、国家運営統治能力の欠格そのものでしょう。 >藤末健三議員が「政治家で漢字が読める必要はない」と言っていたような気がするのですが、これはさすがにないな、と思いました。いくらなんでもそれはないだろ、と若輩者の僕でさえ思ってしまいました。 私は、藤木氏に特段の感情は全くなく擁護するつもりもないんですが・・ 質問者さんが「いくらなんでもそれはないだろ」とする論拠は何ですか? 単純に「漢字読めないのはバカ!」「だから、そんな人はダメ」といった発想からでしょうか。 まず認識として、その引用の仕方はかなり不正確ですよね。 私が覚えているかぎり「総理大臣がこの程度の漢字が読めないのはさすがに問題だが、国会議員の誰もが一律にそうでなきゃいけない必要性はない」とった感じでしたよね?(間違っていたら謝ります)。 太田氏が(おそらく自身の本意を読み取れず)当たり前の正論理屈で返してきた藤木氏に対し、すかさず強烈に反応反論したので(おそらくですが)質問者さんも同調されたのかもしれませんが・・(勘違いでしたらスイマセン)。 どなたかがもう回答されていますが、藤木氏の言っていること自体は正論です。 彼も言っていたように、国会議員とは「国民全員の代表者であるべき」で、その意味で「国民一般社会の縮図」でもあって構わないはずだからで、例えば、「当然に普通に社会に存在する」身障者の方々や様々なハンディキャップを背負う方々の意見を代弁し代表する国会議員も、彼らに比例する分だけ存在しても何らおかしくないわけです。 なぜなら、彼らも私たちと同じ日本国という社会の構成員だからで、彼らが排除される不健全な社会は近代国家とは見做してくれないからです。 (私はいわゆる健常者ですが、明朝、もしかしたら数時間後に、いわれのないアクシデントでハンディを背負う立場になる可能性は誰も排除できないですから) それとも質問者さんは、誰かがある一部の層を排除すべしと恣意的に決めた中での社会の代表者が、日本国民の全体の代表者でも何ら問題はない健全な社会と思われますか?(今は違くても、質問者さんもご家族友人もある日突然、誰か一握りの組織から「何のいわれもなく、アンタらは参加するに相応しくない」と指定されたとして納得できますか? 無意味な勘ぐりはご勘弁を、私自身はそれなりの恵まれた立場です『今は!』ね) 少なくとも、欧米先進民主国は「そのような国を仲間として認めません」(ということは、ある日突然、日本を完全スルーして日本抜きの国際秩序構築に向かうかもしれません。わかりやすく例えれば、今、我々が、あの北の国は極端だが、その隣の無視しようがない大国でさえも胸張って仲間と見做すに抵抗があるのは、かの国がまさに成熟した民主国にはほど遠いからでしょう←民主制でないのは当然です) その意味では、(現状が適当かどうかは別として)あれだけの700人に及ぶ国会議員の存在を正当化する理屈にも一理はあるといえるのです。 一人として同じ人間のない「一億二千万人の意思の代表」が、「たった700人余りでそれを国政に反映している」とも言えるわけです。 矛盾するようですが、私はそれでも現状、議員定数削減肯定論者です。 だから、必ずしも国会議員の全員が一般国民(?)の漢字読み取りレベルをクリアすることは、必要条件とは成りえても絶対条件とは成りえないわけです(繰り返しますが、「総理大臣は別」とエクスキューズしてますよね。さらにその国会議員の中の代表者にはそれ相当の条件が求められるからでし。この問題は、たんにに「今の人」の異常さが原因なのですが)。 >「怪我」も読めないようでは、一般教養がどうとかいう問題ではないと思います。 それには賛同します。 仰るとおり「一般教養がどうとかいう問題ではないと」、それ以前の問題ということでしょう。 でも、内閣総理大臣に対し、 >これを「読める必要がない」と言っているのが驚きです。 とは言ってないのでは、誰も。 少々、都合よく歪曲されてるのでは? 申し訳ないが、 この国は事実上140年間官僚統治国家ですから、限定された一つのモノサシの基準のみを最善としがちで、「それに当てはまらないものは彼らより劣るもの」と決め付け・見做しがちのようです。 それじゃあ、共産国や独裁国のような「一握りの層が決めたことが絶対」の統制国家になってしまいます。 私たちの国は立憲民主国家です。 そこでは常に、「主権者たる様々な国民の選択の結果」、権力者を変え国民の意思を反映させて国家運営や社会のルールが決められるべきものです。 でもそれでも、たかが過半数を得ただけの「時の政権」が手を付けるべきでない「国の骨格と社会の大枠や国民の権利保障は憲法に規定」され容易に動かすことはできません(無論、正式な手続きのもと広く国民の同意を得れば改憲は一向に構いません) 民主国においては、意見や見解、その解決法・手段は、多様であるほうが望ましく、「多様性を認める」その状態自体が健全でしょう。 あとは、自国の憲法と民主制度を理解して、どう統一してまとめるかは、その国の主権者、国民の成熟度次第では? (国民の選択で当たり前の政権交代を選択し、民主主義を育て活用する意識も覚悟もなく、「議院内閣制を使いこなせないから大統領制がイイ」や、選挙のたびに既得権益側発信の理屈鵜呑みにして「政界再編だ!」などは、まさに民度の低さの表れで、少なくとも欧米先進民主国では絶対に聞こえない未熟さです) 参考にしていただければ幸いです。