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人の価値って……

 最近失敗続きやぼんやりとした不安(芥川龍之介風に)で気分が沈んでいます。  そこで、人はどんな風に価値を決められるのでしょうか?  金? 権力? 志? 才能? 根気? 人望? 容姿? と見せかけのものでなんとでもなるものばかり上がってきます。そこで質問なのですが、皆さんは「人は何を基準に価値が決められている」と思いますか?  よく大人から「人の価値なんて決められない」と言われていますが、どこからどう見てもどんな世界でも差別があって、差別の原因はそういう大人こそが人に価値をつけているからではないのか? と考えてしまいます。子供から見ればそんな風に見えてしまいます。  不謹慎な質問とは重々承知ですが、こう悩んでばかりではつまらないので皆さんの意見も聞きたいと思い投稿しました。

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noname#94983
noname#94983
回答No.5

>人はどんな風に価値を決められるのでしょうか? こりゃまた、難しいテーマだな。金? 権力? 志? 才能? 根気? 人望? 容姿? 確かにどれも価値の要素としてはありそうだ。だが「なんでもかんでも」じゃあ、答えにならんのだよな。何かに絞って考えろ、ってことだろ? あえていうなら、 それは「人との関係」において、じゃないだろうかね。 人工知能の世界の話だが、例えば「赤い」という言葉には、赤を示す意味なんてものは内包されてない。「りんご」という言葉には、りんごを示すものという意味はない。すべての言葉は、「他者との関係において意味づけられている」という説がある。つまり「赤い」という言葉は、さまざまなものとの関係において「赤い」という意味が生じている、ということだな。さまざまなものを「赤い」と表現することによって、それらに共通する特徴と「赤い」という言葉が関連付けられる。 そう。すべてのモノは、それ自体に価値があるんじゃない。それは「他との関係」において初めて価値を生ずる。これは、人間においても当てはまるんでないか。例えば、金でもいい、権力でもいい、容姿でもいい、才能でもいい、人間性、知識や哲学だってかまわない。すばらしいものをあんたが持っていたとしよう。だが、あんたはどこか誰も知らない地底奥底の牢獄につながれて、一生底から出ることはできないとする。あんたが存在していることを誰一人知らない。さあ、あんたが持っている金・権力・容姿・才能・その他もろもろのものは、果たして何か価値があるだろうか? 例えば、ある天才的な芸術家がいた。その人間は、誰にも認められることがなかった。それが、あるとき、その才能を見抜いた人間によって評価され、一躍有名になった。その本人は、認められる前も後も何も変わらない。だが評価される前は「無価値な人間」であり、評価された後は「高い価値のある人間」になった。その本人が何か変化したわけじゃないのに。そういうこと、あるだろ? どんなものであれ、それは自分以外の人間との関わりにおいて初めて意味を持つ。自分以外の誰かがそれを評価して初めて「価値」となる。ってことは、その人の価値は、「人との係わり合い」において決まるんじゃないのか。どんな大金持ちであれ、自分に関わるすべての人間が金の価値を認めないのであれば無意味だ。どんな美しい容姿も、誰もそれを認めなければ何の意味もない。 何の才能も金も権力もない人間であっても、多くの人間がその人に価値を見出せば、それは「価値ある人間」であることになる。「自分を価値ある人間だと思う多くの人々との人間関係」が、自分の価値を作る。「自分の望むとおりの人間関係を築けた奴」こそが、高い価値を得られるのかもしれんな。

mebiusu001
質問者

お礼

 難しくて現実的な感じもしますが、やはり「友情は大切」ということも少し理解しました。

その他の回答 (5)

  • dell_OK
  • ベストアンサー率13% (766/5722)
回答No.6

身長:体重。

mebiusu001
質問者

お礼

どっちもある!

  • chamiken
  • ベストアンサー率60% (174/287)
回答No.4

mebiusu001さんのおっしゃるように、 金や権力、容姿といったもので価値が評価されやすい世の中ではあります。 これらは誰が見てもある程度共通した評価がなされるからかもしれません。だからこそ、これらを持っている人は持っていない人を見下したり、そこから差別が生まれてしまったりするのでしょう。 でも、志や人望といったものは見せかけではなく、本物でなければ評価されないものだと思いますよ。言葉でいうのは簡単ですが、志を真に高く持つというのは容易なことではなく、人望も努力だけでは得ることのできないものだと思います。 失敗や不安は、誰にでもあるものです。 そのような日常の出来事や、まわりからの意見などに左右されるのではなく、自身の内面を磨くことを常に意識していればいいと思います。 内面を磨くことは、一握りの人だけでなく全ての人に許され、 しかしそれこそが真に価値ある人間へとつながる行為であると私は思います。

mebiusu001
質問者

お礼

 何か哲学的ですが、確かに内面から磨くのも悪くはないですね。  ありがとうございました。

回答No.3

他人から見ての価値は そう、考えなくても良いのではないでしょうか。 人それぞれ 価値観は違いますので、考えるだけしんどいだけです。 自分自身で自分の価値を自覚した方が より、わかりやすいと思います。 例えば、何か集中して取り組んでいる時に、 自分はがんばってるな~、とか^^ その頑張りを、自分の一つの価値として考えてみては。 価値の基準も人それぞれでしょう。 人生経験豊富で知識・モラル・倫理などもしっかり持っている人 引き換え、恨み・妬み・陰性感情を持ったままの人 こんな場合は両者が同じ人を同じ価値だと判断できないでしょうね。 差別の問題も 差別される側が価値がないのか 差別する側の方が価値がないのか どちらにしろ 他人の価値観からすれば 賛否両論で一つにまとまることはないですからね。

mebiusu001
質問者

お礼

 価値は簡単には決められないものですね。  ただ、お礼のついでにドラマ「女王の教室」で最終話にあった「あの人が良い教師だったか、なんて十年後、二十年後の生徒達が決めることですよね」という言葉を思い出しました。  関係ない話で申し訳ありませんが、この回答とあまりにも当てはまっていた気がしたので書かせていただきました。

回答No.2

こんにちは。 価値の基準は一つではないおもいます。 たとえば自分自身に問いかけても価値があると言い得るものが案外多いものだし、 他方社会は自分を中心に回っているものではないから、 人それぞれがこれこれには価値があると意見を出すなら、 価値は無限増殖するでしょうね、きっと。 でも、自分はそのなかで大事にしているというものがあるのなら、 それは、価値を考えるときの基準の一つにしているものとも言える。 肝心なのは、たくさんの価値があるなかで、 これはと思う大事な大切にしたい価値を、 自分自身がより抜いていく・磨いていく(広げていく)作業だとおもいます。

mebiusu001
質問者

お礼

 そうですね。何か一つ輝けるものがあって世間に認められた人も多いですし。こう思えてくると、少し気が楽になりました。

回答No.1

人の価値をすぐ優劣つけたがる人が多いですね そんなヘボイ人間にはなりたくないですね★〃 ようするに差別をする人は いつまでたっても差別的な考え方しか 持ち合わせていないんでしょうね >金? 権力? 志? 才能? 根気? 人望? 容姿? と見せかけのものでなんとでもなるものばかり 見せかけと本物があって 見破れない人からみたらぜ~んぶみせかけ! または同じく見破れない人からみたらぜ~んぶ本物! でもね わかる人にはわかるというもんです そういう人からみればこの質問も 笑ってしまいます。 厳しくてごめんなさいね

mebiusu001
質問者

お礼

 やっぱり価値って難しい問題ですね。

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