• ベストアンサー

論理に考えるのが得意な方。学歴が有能さを表す指標とならない理由を教えてください

以前、「学歴は能力を示す証明ではないですか?」という質問をさせていただきました。 その質問の中で多くの方からのご意見を頂き そこで改めて考えを整理させていただいて質問をさせていただきます。 学歴は有能さを示すひとつの指標としてある程度有効ではないでしょうか? これの根拠として2001年のノーベル経済学賞受賞者、マイケル・スペンスが提唱したシグナリング理論というものがあります。 http://note.masm.jp/%A5%B7%A5%B0%A5%CA%A5%EA%A5%F3%A5%B0%CD%FD%CF%C0/ これによりますと ・企業は学歴を、本人の潜在的能力を近似的に表わす信号(signal)として利用している ・そこで、求職者は、自分がどれだけ優秀であるかを積極的に知らせなければならない。 ・学歴はその最も効果的な手段である。 よって ・一流大学が一流人材を育てるというよりは、一流の人材が自身の優秀性を市場に知らせるため一流大学に入る ・学歴とは「私には、最初から大学を卒業するだけの実力がある」とのことを示すシグナル。 というように「一流の人材」と「一流の大学」にはある程度の相関性が見られるようです。 また、それを裏付ける実際の具体例としては 実力主義で有名なSONYが社員の採用において学歴を問わず 試験と面接のみで採用の選考を行ったところ 結局、採用された人の多くは高学歴だった。 というものがあります。 これらの理由から、少なくとも学歴は企業の採用の場において 「何かしら有能な部分があるのではないかという一つの指標として有効なのではないか」 と考えました。 しかしながら、以前の質問では 「学歴は全く指標としては有効ではない」というご意見も寄せられました。 私としては、是非その具体的な理由を知りたかったのですが、残念ながら ・親の教育方針でこの学歴は変わる ・子どもにそんなことを言うのは子供がかわいそう というような 「学歴がある能力のひとつの指標とはならない」理由ではなく「学歴で判断してはいけない」というような「駄目なものは駄目」的な感情論に近いものが多く、ひとつの指標とはならない論理的・具体的な理由はいただけませんでした。 加えて、論理的な回答が苦手な方に対して無理に「論理的な回答を」と押し付けてしまい それに対して不快感を抱いた方もいらっしゃいました。 そして、残念ながら「自分の望む回答だけ欲している」という誤解を与えたかもしれません。 そこで、今回はあえて出来るだけ「論理的思考が得意な方」に向けてお聞きしたいのですが「学歴は能力を指し示すひとつの指標として有効である」を否定する具体的な理由・事例を提示してはいただけないでしょうか。 尚、ある程度の指標とは「高学歴者は全体的にみて有能な人が多いと考えられる」というものであって「学歴があっても勤勉さがない人がいる」は個人に着目したレアケースです。 同様に「低学歴で勤勉な人がいる」というのもレアケースです。 また「唯一の指標」ではなく「ひとつの指標」であるということもご理解ください。

質問者が選んだベストアンサー

  • ベストアンサー
  • sirosir0
  • ベストアンサー率35% (11/31)
回答No.20

「高学歴者は全体的にみて有能な人が多いと考えられる」という一つの指標。 これだけを問うなら全くもって賛同します。 さて、以下は論理的もどきです。  『Aの多くはBを持っている。但し、B=Cであるかは不問とする』という命題について、    ここで、     A:高学歴の人     B:何らかの能力(Aが「高学歴の人」の場合は学歴から得られる能力)     C:その場により必要とされる能力 ここで、この命題をそのまま捉えた回答者はその通りだと言い、 この命題自体に疑問を感じた回答者は、  『Aの多くはBをもっているが、B=Cであるか?』  『AでなくてもCを持っていることは多い』  『Cを持っているのはAだけではない』 のように、勝手に回答者が有意義と考える命題に変えて回答している。 つまり、Aは高学歴でなくてもいいし、能力はCに着目しなければ この命題自体が意味をなさないという主張ですね。 さらにこの命題、Aを「全ての人」と置き換えても成りたちそうです。つまり、 『全ての人は何らかの能力を持っている。但し、その能力がその場で必要とされる能力であるかは不問』 はてはて、キーワードである「高学歴者」がなくなっても成りたってしまうほど自由度の高い命題に どれだけの意味があるのか?やはり、もっと条件が必要なのではないかと意見がでる訳ですね。 さて、ここで質問者さんの最初の命題に戻って それが真か偽かと問われれば、真でしかないように見えます。 なにしろ、Bの自由度が高い上に、B=Cであるかも不問なわけですから。 つまり、これはすでに答えが出ていて質問者も分かっていることではないでしょうか? それを、この命題のまま「論理的に否定してみろ」というのはちょっと質問者は 感情的ではないでしょうか。 「誰々が感情的にこんな発言をした」のような揚げ足取りをする気なら 質問自体が更に感情的になるので控えた方が良さそうです。 質問者が提示した命題のままに答えて欲しいお気持ちは察しますが、 質問が勝手に曲げられた回答があったときには、 他の人がどこに問題意識を持つのかが見えてきます。 アンケートであるならそれでもいいのではないでしょうか? ところで、どう思うかを聞くアンケートで論理的な回答を期待するのは 論理的におかしいと感情的に思います^^

Opolskie
質問者

補足

すばらしく論理的な回答です。 しっかりとこのご意見を噛み砕き 飲み込んでお礼をさせていただきたいのですが もう世も更けてきたこともあり せめてこれ以上このQ&Aが混乱しないようにするためにも とりあえずのお礼とはなりますが、この補足欄でお礼をさせてください。 ありがとうございました。

その他の回答 (33)

  • d-drop
  • ベストアンサー率22% (214/938)
回答No.13

 こんにちは。  補足要求です。 >「学歴があっても勤勉さがない人がいる」は個人に着目したレアケースです。 >同様に「低学歴で勤勉な人がいる」というのもレアケースです。  ここを、論理的に立証してください。また、説得力ある論理を展開するには、信頼できるデータも必要でしょうから、それも適宜お示しください。もちろん、そのデータが信頼するに足るものであるという、いわゆる「資料批判」も、綿密に行ってください。  ご存じとは思いますが、論理を支えるのは、実証的データです。実証をベースに持っていない論理は、ただの空理空論です。  よろしくお願いいたします。

Opolskie
質問者

お礼

補足の後、色々調べてみた結果 http://oshiete1.goo.ne.jp/qa4530701.html こちらの質問文に提示したものがデータに成り得るかなと感じました。 しかしながら、そこでの回答にもありますとおり これが「信頼できるかどうか」は多少疑問が残りますが…

Opolskie
質問者

補足

No.22さんの回答を見まして、取り急ぎこちらの補足だけしたほうがいいと思い細くさせていただきます。 仰るとおりでしっかりとしたデータなしにレアケースと断定するのは強引でしたね。 申し訳ありません。 ある程度の指標とは「高学歴者は全体的にみて有能な人が多いと考えられる」という推論であり「学歴があっても勤勉さがない人がいる」や「低学歴で勤勉な人がいる」ことの否定ではないということをご理解いただければ幸いです。 と訂正させてください。

noname#80702
noname#80702
回答No.12
Opolskie
質問者

お礼

回答ありがとうございました。

  • Jurimika
  • ベストアンサー率18% (13/71)
回答No.11

私は比較的「論理的に考える」タイプだと思いますので、回答させて頂きます。 >シグナリング理論 レアケースです。 >一流大学 レアケースです。 >一流人材 レアケースです。 >SONY レアケースです。 >Opolskie レアケースです。 >はいただけませんでした。 自業自得です。 >してはいただけないでしょうか。 いまやっています。

Opolskie
質問者

お礼

回答ありがとうございました。

回答No.10

また、こんな質問ですか? あなたよっぽど学歴コンプレックスが強いんですね。高学歴の人と身近に接した経験が無いんでしょうか? >尚、ある程度の指標とは「高学歴者は全体的にみて有能な人が多いと考え >られる」というものであって「学歴があっても勤勉さがない人がいる」は個人に >着目したレアケースです。 そんなことないと思いますよ。大学の教官って、普通のサラリーマンよりものんびりした感じの人が多くて、あんまり勤勉だという印象はありません。 >同様に「低学歴で勤勉な人がいる」というのもレアケースです。 自営業や農業の人は学歴が無くても、勤勉な人が多いと思いますよ。 同じサラリーマンに限って言えば、高学歴な人の方がきちっとした仕事をするような印象はあるかもしれません。 >「一流の人材」と「一流の大学」にはある程度の相関性が見られるようです。 >また、それを裏付ける実際の具体例としては >実力主義で有名なSONYが社員の採用において学歴を問わず >試験と面接のみで採用の選考を行ったところ >結局、採用された人の多くは高学歴だった。 >というものがあります。 もちろん有能な人の多くがその結果として、一流大学を出ていたということは十分ありうることだと思います。しかし、一流大学を出たからといって必ずしも有能であるとは限りません。高学歴であるということは、IQが高いということはほぼ証明しているとは思いますが、サラリーマンとして有能であることの証明にはなりません。 学者、弁護士、医者などはそもそも知能が高くないと、資格がとれない職業ですが、一般のサラリーマンの場合、知能の高さ以外に対人コミュニケーション能力なども必要とされますが、学歴は対人コミュニケーション能力については何も保証していません。 私の結論としては、 有能な人物はその結果として、一流大学を出ていることが多い。 しかし、一流大学を出ているからといって、有能な人である保証は何もない。一般のサラリーマンは必ずしも飛びぬけて高いIQを要求されるわけではないので、定員割れしているような三流大学でなければ、一流大学でも二流大学でも、会社にとって有用な人物は同じ程度の比率で含まれているはずだと思います。

Opolskie
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 >>有能な人物はその結果として、一流大学を出ていることが多い 私がここで述べている「学歴と能力の相関」をうまくあらわした一言だと思います。 一流大学&二流大学と三流大学で有用な人物の割合が異なるというのも、同じように相関を示していると思います。 参考になるご意見ありがとうございました。

noname#80858
noname#80858
回答No.9

>論理に考えるのが得意な方。学歴が有能さを表す指標とならない理由を教えてください 僕は論理的に考えるのは得意ですが、論理的に説明するのは苦手です 僕の経験上そうならないから、、、

noname#80701
noname#80701
回答No.8

こんにちは。(>_<) 友達には「論理的~~っ」って言われます。 「補足要求」して締め切られたのは初めてです。(>_<) 私は「SONY」なんかに入りたくない。(>_<) 「学歴が有能さを表す指標とならない理由」は、 そう思ってる人が多いから。 あんたの周りは高学歴が多いから、そう思ってないヤツが多いけど。

Opolskie
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 「学歴が有能さを表す指標とならない」と思ってる人が多いから 「学歴が有能さを表す指標とならない」ということですが… 私としては論理としては不十分なのでは…?と感じ http://oshiete1.goo.ne.jp/qa4530701.html こちらで質問させていただいたのですが、こちらでも ・実際に相関があるかどうかは、多数決で決める事ではありませんので、相関の有無とは関係のない話です。 ・感想、固定観念、信条などが語られているだけで、推論Aを論破するような証拠にはなりません。 というようなご意見をいただきました。 ・推論Aに対する反論としては、SONYのような事例を収集し統計的に相関がないことを示すのが一番だとおもいます。 とありますように具体的な事例をご存知でしたら示していただけると幸いです。 よろしくお願いします。

noname#72127
noname#72127
回答No.7

人生相談カテで技術者を名乗って高圧的な回答を繰り返しているだけの連中なんかはみんなそうでしょう。 結構、いいトコの大学出ている人が多いです。でも、そう言うのに限って技術者カテで前衛的な回答をしているトコなんか見たこと無いです。 それ所か、一切顔を出さずです。技術者カテに出入りしてる人の視点から見て、あんなのは学歴しか自慢出来ない技術オンチな窓際族です。 要は腰抜けのヘタレなんですよ。 ここに来てからそう言った輩を多く拝見する物ですから、学歴イコール能力とはならないんじゃないか、と認識し始めてます。 しかし貴殿も一貫してこんな質問ばかりだけど、いいトコの大学出てさぞかしの能力があるんだろうから、専門的なカテにでも行って難しい質問の100個や200個、答えてみては如何かね? 対外的にそれ相応の能力を示して面子を保たないと、人生相談カテにいるようなゴミ回答者と同じになるぞぅ。 ん? それともこんな言い方をされるのは、高学歴としてのプライドが許さないのかね? うっひゃっひゃっひゃ~。

Opolskie
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 >>専門的なカテにでも行って難しい質問の100個や200個、答えてみては如何かね? こちらのアドバイスを参考にしまして「数学」カテゴリにて http://oshiete1.goo.ne.jp/qa4530701.html このような質問をいたしましたところ、非常に参考になるご意見を頂くことが出来ました。 アドバイスありがとうございました。

回答No.6

【2】(続き) あらら・・^^、驚きました。私の半分言いたいことをNO.4のご回答者様が、見事に論理的な仕方で回答してくださっています^^。本当にそうだと私も賛同いたします。話が早いです。ですから4番さんの回答に+アルファということで。では、もう一つの重要な側面についてです。難しい専門用語を用いればある程度簡素に説明しやすいですが、出来るだけ噛み砕いて、私の考えをお伝えいたしますね^^。 今までの回答も含め、より大事なものとそれに関連するものとをお忘れでしょう。つまり企業に必要な有能さを表す能力の種類なぞ、ふんだんにあります。が、以下のように仮に大別して整理してみます。 【a学歴又は勉学で得た知識&知恵】【b人格面での知識&知恵】【cその他の知識】 ★「分類a」・・・・数学などの理論も計算力もここです。記憶力も養ってきたはずです。シナプスの接続状況(情報処理能力)が大変高いのもここです。いわゆる、頭の回転が速いのです。理解力も高いです。 ★「分類b」・・・・ここには人間の人格面を形成するための重要な特質・(人)徳または美徳などの事です。具体的な特質・・・愛・親切心・辛抱強さ・慎み・柔和さ・謙遜さ・誠実さ・自制心・協調性・洞察力・識別力等など・・・・。ですから、世間一般でコミュニケーション力と指す場合、この分野に当てはまるのでしょう。礼儀・マナーに関してもこの分野です。実はこの部分こそ人として一番主要なものなのですが・・・。  現在世の中は良いように言えば、全てが飽和状態、悪く言えば混乱状態です。様々な考え・基準が飽和状態な為、どれがそうなのか?ベストなのか?さえ混乱していて当たり前です!この質問に限ってもそうです。それもそのはず、多くの方は上記の3点を「全て一緒にごちゃごちゃに混ぜて」考えてしまっているからです! 高学歴は「分類a」を豊富に持っています。しかし・・・「分類b」「分類c」についてはなんと言えますか?特に「分類b」については、人はまた別の方法で学んでいく必要があるからです。「分類c」はその人自身の知識欲に応じて幅が異なります。もうおわかりでしょうか。 現在、大体どの企業側にとっても、本当に必要な人間は「分類b」を中心に・・・企業側の望む能力や他の専門的な能力を要している人間を望んでいる場合がより増えつつあるといえます。 ただこういう「分類b」を中心に持っている人材を評価する点において、【学歴】というものさしで計るほうが、てっとり早いと軽~く勘違いしている現状があるというだけの事なのです。 もちろん、ある程度は推察できるかもしれませんが、アテにならないケースが近年増加傾向。それで・・・・・「シグナリング理論」というわけなのです。 頭の良いご質問者さまはもうご理解いただけたかと思います^^。 長々と長文・乱文失礼いたしました。 PS:「ここからはその補足情報として」 ・企業ではなく、良い親になる必要条件は富や学歴ではなく,いつもそばにいて気を配り,関心を示すことの方がより勝っていますよね?ここでは「分類b」。 ・相手の地位や立場で態度を変えたり,学歴や資産で人を評価したりする人を見るとがっかりするものですね。わたしたちの周りにはささいであってもいつも差別や上下関係を意識させるものがあると思われませんか? いまだ現実ではこういう風潮でしょう。しかし、わかる一部の人たちには、より大切な何かを重要視していることでしょう。ここでも「分類b」。 【企業でも】家庭でもその他の人間関係でも、どこを重視しているかでいろいろと変わってきそうですね。 企業で言えば・・人を管理する立場やまとめる場合には特に「分類b」の能力が大変重要なのはいうまでもありませんよね。 あっまたまたしゃべり過ぎてしまいました。失礼いたしました M( )M

Opolskie
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 なるほど。 ただ、私としては「辛抱強さ」や「自制心」「洞察力」「観察力」などは 高学歴者の方が統計的に見ると高いのではないかな。という印象を受けました。 少なくとも、分類bについて高学歴も低学歴も統計的に関係ない。 つまり、全体に対して同じように分布しているのであれば 分類aが有能だと言えるだけ高学歴者の方が有能として見られるのではないかと思います。 もしよろしければ分類bについては「低学歴者」の方が「高学歴者」よりも有しているというような事例をご存知であれば提示していただければ幸いです。 よろしくお願いいたします。

  • AGLAIA
  • ベストアンサー率16% (112/698)
回答No.5

「仕事で活かせる能力」で 「私の業界(貿易)では」、という条件つきで 「受験で培ったものではないのでは?」と思うことを回答してみます 1、上司、部下とほう、れん、そうを欠かさず、現状のトラブルや   進捗状況をコンセンサスとして共有できる状況を作る。   ↑これは受験勉強が個人勝負なのに対して、チームとして動く、   出来のよくない仲間がいても切り捨てない、という部分は   勉強では身に付かない能力かと思います。    ただし、相手にわかりやすく説明するという部分は   現代文や小論文の能力が寄与しますよねえ。 2、対人交渉能力   他人の目をみて説得する   ↑説得する材料探し、は勉強の資料探しなどで養えるかも   しれませんが、面接もない受験勉強では指標にならないですね   (有名高校受験で面接を課す学校も確かにありますが) 3、行動力   顧客に会いに、空港から車で5-6時間かけて欧州の辺境地まで   行ったりするのですが   ↑机上の計画はできても、実際自分が動くってのは受験で    培える能力ではないと思います。 4、創造力   前例のないことをする。オリジナルを作り出す   ↑有名大学受験は基本 過去問題を研究して対策を練るのですから   前例のないことは かえって受験勉強では しないほうがいい   となりますね。 5、礼儀、マナー くらいでしょうか。 しかし、受験では養えない能力を挙げることはできても 受験のせいでマイナスに働く能力ってのは無いように思えます。 あれ? 御質問者様のポイントは A,学歴があったら逆に得られない能力 でしたっけ それとも B,有能の定義があって、学歴で得られる能力とそれはなんら無関係、   を証明することでしたっけ? 混乱してきました。。

Opolskie
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 私の表現力が弱く申し訳ありません。 今回の質問の意図は ・学歴が能力の証明に全くならない というご意見を論理的に解説していただきたいと思い 質問をさせていただきました。 しかしながら、この質問を通して 「学歴が能力の証明に全くならない」というような 事例・理論のようなものを頂くことが最も有効なお答えではないかと思いました。 もしそのような事例等をご存知であればお答えいただけると助かります。 よろしくお願いします。

noname#94983
noname#94983
回答No.4

別に、論理的に考えるのが得意ってわけじゃないが、「論理的ではありません」といわれても別に腹は立たない人間なんで、回答しておく。 「能力」ってのは、これは非常に曖昧なもんだ。つまり「能力」という絶対的な一つの力というのは、ない。あるのはさまざまな能力であり、その種類は無慮数ある。したがって、「学歴は能力を示す証明」か、というとき、その対象となる能力は何なのか、ということをまず明確にしなければならない。 「学歴が有能さを表す指標」か、という話をする時、その前提として「対象となる能力に対する共通の認識ができているのか」ということを考えなければならない。こうした議論は、えてして「有能だという人」と「関係ないという人」のそれぞれがイメージする「能力」が異なっていたりする。異なる能力を想定して議論してもこれはかみ合うわけもないだろう。 おそらく通常は「企業内で評価されるに必要な能力」をもって「有能か否か」が議論されることになる。企業で評価される能力とは、例えば勤勉であったり、集中力や判断力といったものであったり、また時にはコミュニケーション力であったり、ある種の洞察力や想像力であったりするだろう。必要とされる能力の幅は、実は決して狭くはない。 その昔、まだ学歴が確固とした地位を占めていた時代、企業で求められる能力は、実はそれほど幅広いものではなかったのではないか。おそらくは「上の者に従い、与えられた命令を正しく遂行する」ために必要な力、そして実務的な部分の遂行能力が中心だったことだろう。これは、産業の中心が「モノを作る」ということだったことに関連するような気がする。そうして、こうした能力というのは、学業において必要とされる能力と重なり合う部分が大きかったように思う。着実に与えられた課題をこなし、地道に努力し結果を出す、という全体的な作業やそれに必要な力は、かなり似通っていたのではないか。 が、時代が変わり、現在、産業の中心は「サービスと情報」となりつつある。この時代に必要とされる能力は、例えばコミュニケーション力であったり、例えば発想力や想像力であったりするだろう。そして、それらは学業において必要とされる能力とは重ならない部分がかなり増えてきているのではないか。 まだ、現段階では、有能な人間=大企業=学業において高い能力を発揮できた人間、という流れは強いと思う。が、業種によっては、これもかなり変わってきている。社会で必要とされる能力と、学業で必要される能力がほぼ重なっていた時代と、重なる部分が次第になくなりつつある時代とでは、「学業における能力の証明書」たる学歴に対する重みというのは変化する、ということでないか。 すなわち、学歴が「能力の高さを証明するもの」であることに変わりはないが、そこで証明される能力が果たして社会で求められるものと一致しているか、というと、次第に一致しなくなりつつある、ということでないか。そして、「一致しないケースが次第に増えつつある」ということが増えれば、「学歴が有能さを表す指標とならない」という判断につながるのだろうと思う。学歴は依然として「ある種の」能力の高さを証明するものではあるが、その能力を社会が次第に評価しなくなっている、のだろう。 学校教育が、正しくその時代の社会が必要とする能力の開発に役立っているなら、両者の間にずれが生じることはなかった。学校教育の改革が、社会変化に追いついていないということかも知れない。

Opolskie
質問者

お礼

お礼が遅れて申し訳ありません。 何度もお礼を書きかけたのですが、なにかしらのハプニングで 確定する前におじゃんになってしまっていました。 >>学歴が「能力の高さを証明するもの」であることに変わりはないが、そこで証明される能力が果たして社会で求められるものと一致しているか、というと、次第に一致しなくなりつつある、ということでないか。 結論である。これについて私も同感です。 logger_man様は「徐々に相関が弱くなっている」という見方であるのに対し 私は「それでも相関はある」というスタンスの違いはあれど 実際に見ているものは同じような気がしました。 参考にさせていただきますね。