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尋常じゃなく、誰にでも愛想をよくしてしまいます。

年々、酷くなっているのですが(現在30代)、 どんな人にも愛想をよくしてしまいます。 友人、知り合い、近所、スーパーやレストランの店員、他全ての人に。 理由は、自分でも分かっています。 他人に、冷たい態度を取られるのが、死ぬほど怖いのです。 全然自分に関係ないし、冷たい態度を取られるのが分かっていても、 その一瞬の冷たいやり取りが怖くてしょうがありません。 自分が客の立場なのに、ありえないほど、店員にへつらって、 感謝の態度を示してしまいます。 スーパーのレジでも『お願いします』と渡し、袋を受け取り『ありがとうございました』と、言わずにはいられません。 友人とも、会った時の『こんにちは』と『ばいばい』は、本当に嬉しそうに挨拶していると思います。 でも、それは、本心からの言動ではなく、自分が無愛想にした結果、 相手からも無愛想にされるのを避ける手段として、なのです。 本当に、自分は薄っぺらな、表面的な、感情のない、むしろ、腹の中は冷たく、他人思いの反対、の人間だな、と自分が恐ろしくなります。 正直、内心いい人だけど無愛想な人、よりも、内心は冷酷でも表面上は愛想がよく元気に振る舞う人、の方が、私は、ずっと楽で、生きやすいんです。 自分と同じような人だらけの世界なら、最悪な世界だと思いますが、 私にとっては、とても居心地がいいんです。 なぜ、私はこういう回路なのか、自分でも分かりません。 なぜ、こんなに恐怖を感じて生きているのか、どこからこの恐怖感が来るのか、分かりません。 ただ、分かっていることは、私の母の家系は皆、そういう人間らしいのです。 実際、父は人間としてはとても温かい人ですが、言動が極端に冷たい人でした。そんな父より、私は薄っぺらでも、愛想の良い母が楽でした。 父の良さを理解できないんだと思います。 表面的にしか、人を見ることができない人間なんです、私は。 とても悲しいですが。 もし、同じような方がいらっしゃれば、どのように考え方を変えていますか? または、私の何が、こうさせているのか、分かる方、お願いします。

質問者が選んだベストアンサー

  • ベストアンサー
  • sinsen1
  • ベストアンサー率72% (8/11)
回答No.5

わたしも同じようなことで悩んでいたことがあります。 人から否定されたり悪く思われることが、とても恐ろしかったです。 だから小さいときからずっと良い子を演じつづけ、大学生のころには空っぽの自分になっていて自分の感情すらよくわからない人間になっていました。 周りの人にたいしてはもちろん愛想がよく、物わかりも良く、悩んでいる素振りすらみせることはありませんでした。 しかし本当は心は冷酷で、いつも意味不明の苛立ちがあり、無気力、無感動、無関心でした。 今思うことは、いい人を演じるということは自分の心を殺して生きていくことになるので、人間らしい感情や感覚を麻痺させていくことになってしまうということです。 冷たくされることが恐怖ということですが、お父様が完璧主義というお話から、おそらく完璧主義のお父様からよく思われなければ小さなころの質問者様は生きていけないと感じ、死活問題だったのだと思います。それで自分の命を守るために生きていくために、笑顔を絶やさないということを身につけたのだと思います。小さなころはそうするしか仕方がなかったのだと思います。 冷たくされることへの恐怖は、たぶん小さなころのお父様との関係から生まれてきていると思います。 わたしの父も完璧主義でしたので、わたしも小さなときから完璧な人間であろうと良い子を演じ続けていました。 でもよく考えてみると、小さなころはそうするしかなかったけれども、今の質問者様はもう立派な大人です。他人によく思われないことがあっても死ぬことはありません。自分でなんとか生活していくことができます。 今こそ、愛想のよいふりをする自分という仮面を外すときなのではないでしょうか。その仮面をとったら薄っぺらで冷酷な自分が顔をだすのではないかと不安に思うかもしれません。でもそんなことはないと思います。 なぜなら、薄っぺらで冷酷に感じるのは、冷たくされるのを恐れて今まで本当の自分を押し殺して生きてきた結果、人間らしい感情や感覚が麻痺しているだけだからです。 わたしは仮面をとって本当の自分でいたら、とんでもないことをしでかす人間になるのではないかと不安になりましたが、実際に仮面をとり、自分に正直に生きるようになると、全くそういうことはなく、むしろ人間らしい感情と感覚が戻っていきました。だから大丈夫ですよ。 愛想のよいふりをする自分という仮面を外したからといって、みんながみんな一斉に質問者様にたいして冷たくあたるということはないと思いますよ。 いろんな人がいるのですから。 >他人に、冷たい態度を取られるのが、死ぬほど怖いのです。 質問者様の今の態度は、自分自身にたいして冷たい態度だとおもいませんか。本当の自分を押し殺して生きるのは辛いことです。 自分を押し殺すのはもう止めていたわってあげてほしいと思います。 自分に正直に生きると暖かい感覚が戻ってきます。 自分の中に暖かさを感じられるので、他人からの冷たい態度をそれほど恐れなくなると思いますよ。 今は自分の中に暖かさが感じられないから、他から暖かくされることを望み、必要以上に他人の冷たい態度を恐れているのだと思います。 質問者様が小さなころからの悪循環がたてるように応援しています。

taramon
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 ご回答者様も同じように自分を押し殺して良い子を演じていられたのですね。でも大学生の頃にその言動に疑問を感じたのですね。 たぶん私はその疑問を抱くことが出来ずにずっとつい最近まで生きていました。最近やっと、私の言動は一体何の意味があるのだろうと気づいたのです。恥ずかしながら30代で人生初めての反抗期が来ました。 初めて、自分の母親に『今私は辛い。子供を虐待してしまうかもしれない。そして育児も家事も出来ない。家庭崩壊なので助けて欲しい』と訴えました。母親は気付かなかったと言いました。私はどこまでも演じ続けていたようです。 私は今自分が、どれだけ無感動で無関心で無気力で、本心では罵倒したいくらいの友人もいることを再認識しています。 人間らしい感情や感覚は、生まれもってこなかったのではないか、と思うこともあります。怒り、悲しみ、悔しさ、など表現出来ないうちに、その感情を捨ててきたような気がします。 父は私にとって絶大な存在でしたが、まさか私の言動の原因が父にあるとは、今まで気づかずにいました。今回質問して、気付かされたような感じです。父を好きとは思えませんが、憎んだり恨むこともありませんでした。たぶん、これからも憎むことはないと思います。 心のどこかで、父は本当は私を大切に思って叱っているのだ、と自分の中で納得したいんだと思います。 今まで、愛想よく振る舞うことを止めてみようと、試みたことがありませんでした。無愛想にした結果が怖くて見れない気がしていました。 自分の中に暖かさを感じたことはありません。 心の真ん中にぽっかり穴が開いた感覚しかありません。 だから、他人から私の中の穴を埋めてもらおうとしているんです。 それでは無意味だと分かっていながら、心の中の寒さに耐える力は、今の私にはありません。 自分に正直に生きること、本当の自分を見つめてみることを少しずつ始めてみようと思います。 自分で自分を暖めてみます。 ただ、私の母の家系が代々同じ感覚なので、中々難しく相当の努力が必要ですね。 子供には、悪影響を与えたくないです。 急には無理ですが、上手く自分をコントロールしてみようと思います。 大変参考になりました。ありがとうございました。

その他の回答 (5)

  • sinsen1
  • ベストアンサー率72% (8/11)
回答No.6

>ただ、私の母の家系が代々同じ感覚なので、中々難しく相当の努力が必要ですね。子供には、悪影響を与えたくないです。 わたしも同じく母のほうが同じような感覚でしたよ。 はじめての子育てのときには、冷酷な自分に悩みました。 こういうのは受け継がれてしまうのでしょうね。 でもだからといってこのままで良いわけがない、誰かがそれを断ち切らないといけない、わたしが断ち切ると思いました。 >急には無理ですが、上手く自分をコントロールしてみようと思います。 自分をうまくコントロールするという感覚ではなく、自分に正直に生きるという感覚です。 ひたすら今自分は何を感じているのか、本当はどうしたいと思っているのかを丁寧に見ていきます。 今まで自分をコントロールして生きてきたのでそのコントロールを止めるとどうなってしまうのだろうと恐くなるかもしれませんが、自分に正直になるということはとても心地良いことです。 ただ自分の言動には責任をもたなくてはいけないです。自分の言動の結果、どうなってもそれは自分の招いたこととして受け入れる覚悟は必要です。(それはどういう生き方をしていても必要なことなのですが) 自分の中に自分にたいしての嘘がなくなると堂々とできます。自信もでてきます。誰になにを言われても、自分を信頼できます。潔くいられます。 参考になればと思います。

taramon
質問者

補足

再度のご回答ありがとうございます。 >でもだからといってこのままで良いわけがない、誰かがそれを断ち切らないといけない、わたしが断ち切ると思いました。 それを実行して成功されたのですね。 勇気が持てそうです。 >ひたすら今自分は何を感じているのか、本当はどうしたいと思っているのかを丁寧に見ていきます。 そうですね、今までは自分の気持には気づかないようにしてきましたが、やはり逃げ腰ではいられませんね。 自分の言動の結果を受け入れる覚悟は必要ですね。 頑張ってみます。 参考になりました。ありがとうございます。

回答No.4

20代。男性。他回答、読まずに回答しておりますので、重複する点ありましたらご容赦ください。若輩者ながら何かの足しになれば、とアドバイスをさせていただきます。 私も、誰にでも愛想よくしますよ。質問者様の性格は大変良いものだと思います。根っからのサービス業向きですね。私も、レジでも必ず「どうも」とか、「ありがとう」と言います。相手がどんなに無愛想でもです。私も若干質問者様と似た向きがありますかね。人から悪く思われるのがとても嫌です。でも、それは悪いことでは無いと思いますよ。 ただ気になるのは”恐怖”まで感じているのですよね。あまり”恐怖”が強く日常生活に支障をきたすのであれば、精神科の受診をお勧めします。精神科の敷居は高いように思いますが、最近では鬱の蔓延により大分低くなっています。良いお医者さんも沢山います。 ↓良い精神科の見分け方

参考URL:
http://oshiete1.goo.ne.jp/qa4483327.html
taramon
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 回答者様に年齢は問いません。 大変ありがたいです。 >根っからのサービス業向きですね。 会う人皆からよく言われます(笑 実際やっていたこともありますが、重宝がられました。 同じような方がいると分かり、とても安心しています。 人から悪く思われるのは、やはり誰でも嫌なことですよね。 程度の問題でしょうか。 私の場合は、恐怖感が強く、どんな人とでも接している瞬間は緊張の連続です。 ただ、それを悟られないように友人の前では、むしろリラックスしているかのように振る舞っていますが、実は油汗の冷汗です。 常に笑顔でいることや、あたかもリラックスしているかのように演技する癖が身についているのですが、これが唯一自分を守る手段なんだと思います。 精神科は今かかっていますが、恐怖感が強いので、薬だけでなく、自分自身の考え方を根底から変えることが必要だと指摘されました。 でも、悪いことではないと言われると、とても安心します。 自分をうまくコントロールしていこうと思います。 参考になりました。ありがとうございます。

  • nco
  • ベストアンサー率44% (66/148)
回答No.3

あなたはなぜそのように振る舞うのか、ご自身でよくわかっていると思います。 わたしの場合はこうでした。 わたしは小さいころから、皆からいつも笑っていてとても幸せそうと言われてきました。 あなたの笑顔を見るとこっちまで幸せな気分になるよって。 そう言われるたびわたしは嬉しくて仕方ありませんでした。 わたしのことを踏みにじる人が現れても、いつでも笑顔でいました。 こころの中は、ひどく傷ついて動揺しているのに笑顔です。 わたしの父はわたしのことを愛さず、冷淡でした。 小さい頃は殴られたり、家から閉め出されたりするたびごとに、悲しさと恐怖と怒りで こころがいっぱいになりました。 子供にとって、自分が親に受容されないということは危機的な場面です。 わたしの場合そうならないよう、躁的・肯定的な気分を保ち、外面はいつも笑顔、 そういう生き方にだんだんになったんだと思います。 わたしは毎日ほとんどこころから幸せを感じていましたが、それはいっしゅの自己暗示のようなもので、 こころの力をたくさん使たのか、二十歳頃にはすっかり病気になって、よくなるまでにずいぶん長い 時間が必要でした。 あなたの場合の原因はわかりませんが、生きるこころがまえは似ていと思います。 わたしたち大人にとっては、受け入れられることよりも、受け入れることのほうが大切なのです。 自分のことも、他人のことも、動物と接するときのように、期待を持たず、ただ受け入れることです あなたが本当の自分の姿だと想像している自分像はまぼろしです。 今のあなたがあなたそのものなのです。比較して思い悩むことはありません。 また、相手の気持ちになってみることです。 あなたが思うほど、あなたに関心をもっている人は少ないと思いますよ。 いろいろな国に旅行して新しい経験をすることは、手っ取り早くこころを成長させてくれます。 差し迫って普段の生活上困っている場合は、精神科や心療内科で診てもらうといいです。 薬を使ってこころを少し鈍感にすることができると思います。

taramon
質問者

お礼

ちょっと、涙が止まらなくなりました。 貴重なお話をありがとうございます。 私も、幼少の5歳頃には、どんなに父に酷く叱られていても、とても笑顔で笑っていたので。 妹がいますが、妹は叱られれば泣き、怒りを表わし、すねたり、反抗したりしていました。 私にはそれがどう努力してもできませんでした。思春期でも反抗できませんでした。 父が言うには、私をどんなに叱っても、すぐに謝り、素直に言う通りにし、父の気持をうかがうように笑顔を絶やさなかったそうです。 自分でも、なぜか、叱られれば叱られるほど笑顔が増えていたのを覚えています。 一度、小学校の先生に忘れ物で叱られた時にも、思いきり笑顔でいたため、その後ビンタを食らったことがあり、その時に、叱られた時には笑顔ではいけない、と悟りました。 何事も上手くこなせない私を完璧主義の父は、絶対に許しませんでした。 私は父の期待に添うことだけに専念して、父の前では笑顔を作り続け、人生を歩んできました。 友人に罵倒されても、就職先でどん底の時も常に笑顔の癖がついてしまい、どうしても怒りや悲しみを表現できずにきました。 >自分のことも、他人のことも、動物と接するときのように、期待を持たず、ただ受け入れることです。 自分も薄々、それが私の課題だと気づいていました。が、期待を持たずに、現実を受け入れるには、私にはとても勇気の要ることで、なかなか出来ずに今に至ります。 子供の手が離れたら、一度遠くに行ってみたいです(夢 とても参考になりました。ありがとうございます。

noname#194289
noname#194289
回答No.2

本当の意味でほかの人に依存しなければならないという経験をすれば愛想良くするというのがどのくらい本心から出てくるものかが分かると思います。誰でもほかの人に依存しなければ生きていけないので程度の差はあっても原則的に愛想をよくするというのは本心だと思います。ものを買う時だって同じではないでしょうか。相手が必要な品を提供してくれるからありがたいのであって、買う方がそのことに対して愛想よくお礼を言ってもむしろそれは正しいのではないですか。カネさえあれば回りがぺこぺこするから自分は誰にも依存していないというような考え方のほうがよほどおかしいと思います。

taramon
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 実際今は精神科にかかっていて、複数の薬を飲んでいますが、かかりつけの先生や、子供の世話をして下さる保育園の先生には、心の底から感謝しています。その時でも、本心から感謝するのと同時に、尋常でない愛想笑いをしている自分がいます。保育園の先生には、『失礼がないよう、印象良く印象良く』と笑顔を振りまき、精神科でも、患者とは思えないほどの元気の良さで挨拶し、ハキハキと応えています。 しかし、その帰り道で、力尽きて運転が出来なくなったり、家に帰るなり倒れこみ、家事育児ともに何も手につかず、とにかく暗い部屋で、頭をからっぽにするように努めている毎日です。 そんな状態でも、道で友人とすれ違えばとても元気にハキハキと話し、『いつも元気だね』と言われるほどです。 >相手が必要な品を提供してくれるからありがたいのであって、買う方がそのことに対して愛想よくお礼を言ってもむしろそれは正しいのではないですか。 この言葉に勇気づけられます。 とりあえず、間違ったことはしていないのですね。 自分のコントロールが下手なんだと思います。 疲れすぎない程度に、現状維持でいこうと思います。 参考になりました。ありがとうございます。

  • fufu01
  • ベストアンサー率31% (498/1603)
回答No.1

誰にでも愛想よくすることは、一般的にはよいことだし、愛想よくすることでtaramonさんの周囲の方から嫌われていることはないですよね。 心と態度が逆とおっしゃっているように感じますが、例えば心の中で店員を罵倒しながら明るく挨拶するってできないと思います。明るく挨拶しているときはある程度本心で挨拶してるのではないでしょうか。 相手が店員さんでこっちが客の立場でも、きちんと挨拶されれば店員の対応も良くなるし周囲の雰囲気も良くなって、世の中良い方向に向かっていくと思います。 それなのに、ご自分の態度が嫌で否定的に思われているのですね。 内罰的(思うようにならぬことが起きた場合、自分が悪いという態度をとること)な傾向が強いように感じられます。このような態度でいると周囲からは受けが良いと思いますが、フラストレーションが解消できない状態になりがちで、ご自分が疲れてしまうように思います。 フラストレーション(欲求不満)状態での反応の一つに、問題解決には役に立たない定型化した反応を示すことがあります。役に立たないのに愛想を良くすること がこの定型化した反応かもしれません(あくまで推測ですが)。 これを解消するには、フラストレーションを認識することが必要です。あとはその対処方法がいくつかありますが、例えばフラストレーションの原因を解決する、等があります。 多少でも参考になれば幸いです。

taramon
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 そうですね、確かに周囲の方からには印象がいいらしく、言動ともに期待されているので、それに応えたいという気持ちがあります。 店員さんとのやりとりも、罵倒することはありませんが、正直に言うと、何よりも《自分が気分よくやりとりを終えたい》気持ちがとても強いです。 しかし、これを本心からのものだと気づいていないのかもしれません。 内罰的というのは、知識がありませんでしたが、確かに自分で愛想を振りまくことでストレスを作り、そのストレスで自分に恐怖心を植え付けて、、、の繰り返しで、少しずつ自分を苦しめていることに、最近気づきました。 フラストレーションを認識すること、が大切なのですね。 自分で、自己分析していこうと思います。 とても参考になりました。ありがとうございました。

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