参考になるやらならないやら、思いつくまま書かせて頂きます。
ご質問の論点は、二つなのかな、と理解しました。
1.世の中は闇の部分が多いのか。そしてそれを是とする意志が多いのか?
2.それに耐えられない自分は、どうなのか?
・・ということでよろしいでしょうか?
1については、これまでの方々も書かれていますが、やっぱり「光=闇」だと私も思います。
抽象論ではなく、たとえばイジメにしてもそもそも「イジメたい」という純粋な悪人がいて、それでイジメが始まるというものでは無いことの方が多いし、それを含めて様々な、聞くのも憂鬱になるような人間の行動の背景も、その人なりの想いや願いが変化してまたは歪んで、そういう形になっているようにも思います。
また、偶発的に闇になってしまう、闇にならざるを得ない人の立場もあるかとも思います。
善人過ぎる解釈かもですが、「本質的な悪(闇)」は「量的には(つまり、パーセンテージで言えば という意味で)」少ないと思います。
2については、あなたの中の「社会」を大きくするか、小さくするかしてみたらいかがでしょう?
大きくするために、たとえば自分の社会活動(お仕事・ボランティア・町内会の活動・恋愛・友人など、要は他人と接する部分全般)の面積と深さをもっともっと深めることのように思います。
そういう抜き差しならないほどの人と人との関係の中で、「社会の汚さ=自分の綺麗さ(正しさ)」を問い直してみたらいかがでしょうか。
また、たとえば様々な価値観の民族・宗教・生活価値観・社会的身分・制度的身分などの方々と接する試みもらお奨めします。(書籍や文字の上でなく、肌で触れて というイミで)
そうすることによって、「万国・古今東西・老若男女に普遍的に共有して存在するモラル(光と言い換えてもいいです)」について再考できるようにも思います。
また、逆に「社会を小さくする」のは、いい意味での隠者の生活のことです。
つい数十年前までの私たちの先祖の生活のように、自分の可視範囲内を丁寧にキチンとして生きていき、不可視部分には触れない・見ない・知ろうとしない、という生活は、決して悪いことでは無いとも思います。
好き勝手なことを書かせて頂きましたが、つまりは「世の中闇ばかりだ」と早急に結論を出す前に、まだまだやれること・やらなきゃならないことはたくさんあるように思います。
お礼
はい、質問の論点はその2つです。そのとおりです! 簡潔にまとめて下さってありがとうございますm(__)m その人の想いや願いが変化したり歪んでしまい闇という形になってしまうんですね。なるほどと思いました。 偶発的に闇になってしまったり、闇にならざるを得ない人の立場もありますね。本質的な悪は量的には少ないんですね。 色々な方からの御意見を聞いて、私自身は清らでいるつもりでも、どこかで闇、誰かにとって闇(自分では勿論そんなつもりはないですが)になっているだろうなぁ、と思いました。 もっと様々な価値観の人と接したら、あらゆるヒトに共通して存在するモラル(光)について再考できそうですね。 また、御先祖様とも対話してみようと思います。 みなさんの御意見を読んで、もやもやしていた私の悩みが解明できてきて、とても嬉しいです。 大変参考になりました。 アドバイスありがとうございます。