(1)例えば質問者様が誕生された時に、親は既に十数年以上年上であり、その分色々有形無形のものを所有しているわけです。
これは一種の不平等とも言えるわけです。
それではこのメリットは何かと言いますと、親は子供を育んで行く中に喜びを感じることができますし、子供は親に育まれること自体や成長していけること自体に喜びを感じることができるわけです。
これは他者との関係にも応用可能ではあるわけです。
自分より優れた人には教えて頂いたり、理想像として学んで成長して行けたりするわけです。
(2)また、現時点での現象結果は不平等であることがあるにせよ、その後どうして行くかは自由ですし、特に心の内面に関しては自由なのです。
例えば親から財産を多大に譲り受けたAさんは働かなくてもやって行けたので怠け癖がついてやがて借金を負うことになった、という場合もありえますし、Bさんは貧しい家庭に育ったことで勤勉に働く傾向が身に付いてやがて裕福になった、という場合もありえますし、Cさんは貧しい家庭に育ったことで色々心労続きで金銭的にはなかなか裕福になれないままである、という場合もありえます。
また身体障害を負って就職条件が厳しくなったとしても、その後の人生の価値観・展開は多様のようですし、健常者でも健常だったゆえに過労で早死する場合もあるわけです。
(3)神様に関係なく、自ら進んで様々な環境を希望して生まれて来るパターンも多いらしいです。
例えば陸上の高跳の選手が、そうでない人より高いバーを設定したがるのは自由でしょう。
生まれて来る前に、「今回はこういう環境からスタートしてみたい」と希望して生まれて来ることは多いらしいです。
(2)(3)はメリットというよりも、平等か不平等かはあまり関係ない、という感じがします。
むしろ(3)に関して言えば、一律平等に扱うことを強制されることを嫌がって暴動を起こすことすらありえるかもしれません。
例えば完全平等にしようとすると、音楽好きな人が音楽を練習して上達することは許されないですし、(3)のように高跳の選手がむしろ他者より困難な設定を希望する自由すらなくなるわけです。
私にしても私なりのハンディはありますが、そうだからといって、全て他者全員を自分と同様の状態にしたいという気は特にあるわけではなく、ハンディがあればあったであった中で充実感を感じることは色々できますし、ハンディがなかったら体験しえなかったと思える充実体験をできることも多々あるわけなのです。それを逆に制限されることもないのでは、と思える面もあったりするわけです。
理不尽な不平等を改善することはいいことでしょうが、そうでもないものであるなら、上述のように感じられる面はある、というところでしょうか。