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日本がおかしくなっちまった原因を本気で教えてください。
世界一長い歴史をもつこの国のことですから、 今日のようなこともいろいろあったでしょうが、 やっぱりこの不況は長すぎる。 世界一長い歴史をもつこの国のことですから、 似たようなこともいろいろあったでしょうが、 それでもモラルの低下はひどすぎる。 世界一長い歴史をもつこの国は 何でこんなになっちまったの? (すみません。朝帰りで少々頭が回ってません m(_ _)m
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責任感の欠如によるものでしょう 一番は警察でしょう 取り締まるべき人が怠慢なんです。 そしてさらっと「民事不介入だ!」「事件になってから対応してやる」と言う態度 法律に違反しているいないで裁かれるか裁かれないかが決まり 法律外のモラルやマナーは守らなくても裁かれないのか!ほぉ じゃあ破ってやろう…と言う考えが出て結果モラルが低下する 二番目は教育ですね 電車無いで物を食うな、騒ぐなはしゃぐな! 口すっぱく注意され、特に殴られましたが今はどうでしょう? 幼稚園児以下に「○○ちゃん、やめなさい」では静止できんだろ 変な法律が多すぎる。子供を殴れば幼児虐待になるわけだな 猫かわいがりして教育は学校は親任せ親は学校任せ そして、無駄に抗菌抗菌とはやし立てる。 当然免疫低下する。終わったな…と思います。 三番目は親の質の低下 昔は出来ちゃった婚は恥ずかしく、世間体を気にするので 責任が必要だった、ちょっとへまをすれば近所中に知れ渡るし それが今じゃどうよ! マンションアパート住まいの都会人は隣の住人の顔さえ知らんのな 仕事で怠慢しても、次があるわけだ、所詮バイトさ 政治にしても「ばれなきゃOK」だし、 何でもかんでも「ばれなきゃOK」「ばれても何も問題なし」 そんな世の中でまじめにやってる人の方が馬鹿なんじゃないかって最近思うようになってきました。 欧米かぶれするなら是非とも 「人が見てるから」なぁんて言う無責任な注意ではなく 「悪い事してると神が見てます」という教えでも叩き込むですかね 「汝の隣人を愛せよ」という教えでも叩き込むですかね… 責任感の欠如から、周りに責任ある事が言えなくなって 結果信用や信頼も失墜して、貸し渋ったりする… 「どうせ信じても無駄だ」これが今の不況を長引かせる原因かと思います。 まぁ私は経済学者でもないですし、ここへの書き込みは趣味の域を出ていませんけどね。 もとはといえば年功序列がいけないのかな…上みてくださいよしょぼしょぼですやん、 何でこいつ仕事してるん?と言う愚問わきますもん そしてそいつらは「今までの栄光が」なんて無駄にプライドが高いから通勤電車で場所を取るし 先に定年して年金を貪り食う… 本来年寄りは敬うべきなのに、あぁうざいったらありゃしないね… 今一番必要なのは外野が内野を見て否定的意見を述べるのではなくて 何でもかんでも他人任せにするんじゃなくて 不平不満は態度で示して、そんな不平不満が出ない社会を作る事でしょう ひとまず国会に定年を作る事でしょう。議員としてどういう事をしたのかをきちんと書いてまとめて国民に配れ これがまぁ私の意見ですが、いかんせん法律作れるの国会だし、こんな面倒な事やろうなんて言う議員いないし 仮に私が議員になったとしたって「上からの圧力」とやらにつぶされておしまいなんだわ あーあ!日本終わったね(爆 ↑ほら、私だって責任感ないでしょう…
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- juissan
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まず、「おかしくなった」というのは、どの時代と何を比べてなのか? はっきりしないので、私なりにチョッと一言・・・。 最初に申し上げておきますが、日本が「世界一長い歴史」をもつ国だとは、私は思っておりません。多分、大陸と南海上のどこかの島からの漂流民族だと考えています。 それはさておき、「日本がおかしくなった」一例。 戦前と戦後の変化を少し。 善い悪いは別にして、戦前の日本にはそれなりの「民族意識」があった、と思う。しかし、敗戦と同時にこれが完全に(?)無くなった。 それは、戦勝国アメリカの大きな野望とでもいえる政策でもあった。 「民主主義」という美名を日本の上に覆い被せ、あの手この手を使って教育して ゆけば、どのような国が出来上がるのか、という実験台にされたのである。 今、アメリカは満足していることだろう。 いや、もっと異なったことを考えているかも知れない。 そして、この方法で世界中をアメリカの植民地化してしまう。 こうなった時、日本はアメリカの第一の子分(?)となる。 次に、考えられるのは、アメリカに対抗している国が勝利をおさめた時、日本はどちらに付くか?である。それによってまた異なった日本が出来上がる。 そして「日本はなぜ変わったのか」という論議が生まれるのではないだろうか?
お礼
>まず、「おかしくなった」というのは、どの時代と何を比べてなのか? 先ず経済の不振については説明は不要かと思います。 たとえ景気というものが好況と不況を繰り返す性質のものであったとしても、 この「平成不況」はバブル期の銀行や政府の「失政」によるところが大きいのではないでしょうか。 モラルについては、これまでのみなさんからの回答でも分かるように 経済の状況とモラルの良し悪しは切っても切れない関係のように思えます。 経済が振るわない今日、モラルの状態も影響は免れていないというのは決して、 穿った見方ではないと思います。そしてそれは社会現象の随所に現れているように思います。 >日本が「世界一長い歴史」をもつ国だとは、私は思っておりません。多分、大陸と南海上のどこかの島からの漂流民族だと考えています。 日本の歴史の長さについては、歴史の連続性をどのように見るかですが、 国(くに)、あるいは王朝の寿命としてみるなら 大陸と南海上のどこかの島からの漂流民族の歴史が最も長いように思っています。 >「日本はなぜ変わったのか」という論議が生まれるのではないだろうか? 実はこの問題、以前、外国人の上司に聞かれたことがあったのです。 その上司曰く、 日本人は第二次大戦前はアメリカ人と勇敢に戦った。 しかし、戦争に負けると、一夜にして、拍手をもって アメリカ人を迎え入れた。これは一体何故なのだ? 私はその場にいた一人に過ぎませんでしたので、だまって聞いていましたが、 こう思いました。 日本人は戦前も戦後も変わっていません。 日本人の歴史は、いつも超大国とどのように付き合っていくかという歴史です。 強国がいくつもひしめき合っている欧州の歴史とは、そこが根本的に違うのです。 昔はそれが中国で、今はそれがアメリカです。 私たち日本人がアメリカを拍手をもって迎え入れるのは、 私たちがそのアメリカを理解し、研究して、自らのものとし、 さらにそれ以上のものを生み出すことができるという柔軟性の表れなのです。 ・・・というようなことを思ったのですが、当時は英語力が追いつきませんでした(笑) ご回答ありがとうございました。
- hirokattuchan
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私なりの勝手な意見を述べさせていただきます。 まず不況についてですが、本当に巷やマスコミで言われているように 猫も杓子も携帯を持ち歩き、車を乗り回す日本は不況なのでしょうか? デフレ等の問題は確かにあるかとは思いますが、 私自身、日本はただ「不況」という言葉に酔い、 国民はその言葉の下に傷を舐めあっているだけなのではないでしょうか。 本当に不況なら真剣にその打開策を 政治家も経営者もそして国民も考えるべきではないのでしょうか。 国会でアホな議論している政治家やリストラさえすればいいと思っている 自分のことしか考えていないアホな経営者や 私も含めそんな状況を黙認してしまっているマスコミや国民は 「不況って言っときゃ許されるんじゃないの」ぐらいにしか 考えていないように思えてなりません。 次にモラルの低下についてですが、 私のわずかな人生経験で言えば モラルがよかったときなどなかったような気がします。 確かに最近は携帯などが普及してモラルの低さを 露呈する場面が日常生活の中で増え、 モラルが低下したように私自身にも見えますが いつの時代(物心つく前や歴史的な過去の時代のことはわかりませんが)も 日本人のモラルはこんなもんではなかったかと思います。 今になって特に低下したわけでもないのではないでしょうか。 何か悲観的な意見になってしまいましたが、 現代日本の問題点には確かに皆さんが言われるように 様々なものが挙げられると思います。 ただ、原因を探ることも大事ですがそこからいかにそれを改善していくのか そして、単なる議論で終わらせずにいかにそれを行動に移していくかが 今の私たちにとって最も大切なことではないかと思います。 やはり一番怖いのはなんの意識も持たず、ただ愚痴をこぼしているだけの状態に なってしまうことではないでしょうか(もちろん私も含めて)。 それでは「不況」「モラル」も含めた日本が抱える様々な問題は 何ら解決されることはないでしょう。 いざとなった時、口ばかりで立ち上がることのできない 現代日本人の国民性が一番問題だと私は思っています。 あまりにも勝手な私見で回答になっておらずどうもすみませんでした。
お礼
>猫も杓子も携帯を持ち歩き、車を乗り回す日本は不況なのでしょうか? 私は経済についてはほとほと知識がありませんが、 社会の発展度や経済規模の大小と経済の好況・不況は、直接的には関係ないのではないでしょうか? つまり携帯や車の需要がないような途上国にも好況はあるし、 猫や杓子が携帯を持ち歩き、車を乗り回すような社会だから不況ではないとは言えないと思います。 むしろ考えようによっては、経済規模が大きくて複雑化した社会であるがゆえに、 不況時のリスクや損失もそれに応じて大きくなることもあるとも思いますが。 >政治家も経営者もそして国民も考えるべきではないのでしょうか。 >国会でアホな議論している政治家やリストラさえすればいいと思っている >自分のことしか考えていないアホな経営者(以下略) 中にはそのような人たちも大勢いるでしょう。しかし一方で、 経験の豊富さと責任の重さのゆえに議論中にも国民の逼迫した状況を思い起こしてくれる政治家や 首の皮一枚でつながって、何とか従業員の削減数を一人でも減らしたいと 頭を悩ませる経営者がいることを期待したいと思いますね。 >モラルがよかったときなどなかったような気がします。 私も、もしかしたら、今日の耳をふさぎたくなるような残忍な犯罪や痛ましい事件の数々は、 実は日本には古くから日常的にあったが、単に私たちが知り得なかっただけで、 今日ではマスコミや情報手段が発展したので、私たちの耳に届くようになって、 そういった犯罪や事件が増えたように感じるだけなのではとも思ったのですが、 はたして、そうなのでしょうか?これについては、いまいち私も確信がありません。 >原因を探ることも大事ですがそこからいかにそれを改善していくのか >そして、単なる議論で終わらせずにいかにそれを行動に移していくかが これについては、全くその通りで、議論だけで終わらせるのは良くないと思います。 私は、経済学者でも、政治家でもありませんので、できることは本当に少ないのですが、 自分がどういう社会に生きて、どうして翻弄されて、 それが何にあるいは誰に起因するのかということくらいには、 意識的であろうと思います。 ご回答ありがとうございました。
>やっぱりこの不況は長すぎる。 ここだけ、ピンポイントで。 野口旭著「経済学を知らないエコノミストたち」によると 日銀の責任のようです。 日銀首脳は、マクロ経済学をまったくしらないようで あるいは、本気で日本経済を立て直す気はないようで あるいは、メンツのほうが重要なようで・・・
お礼
挙げてくださった書籍は読んだことがないので、何とも言えないのですが、 経済に直接携わる人が、ibm_111さんの仰られるような状態だと、 私たち庶民はもうおろおろと翻弄されるばかりです。 と思っていたら、日銀の人事が新しくなったようですが、 期待していいのやら・・・ ご回答ありがとうございました。
- mac-boo
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ひとつだけ挙げるとするなら 「恵まれすぎちゃった」ということかなー。と私は考えます。 もちろん恵まれすぎたその裏にあるものや、その他の要因との 相乗効果で今の状態にあるわけですが、 特にモラルの低下に関して、しぼって 若輩ものの私なりに、書いてみようと思います。 あたりまえに食べるもの、家族、健康があるものだから 文字通り「有難い」と感じることが少ない。 したがって自分1人で生きているものと、勘違いしがち。 家族程度の集団までは「ありがたい」「理屈ぬきの感謝」を感じることが できるものの、地域、社会、国まで広くなると その関係、自分もそこに所属している、そこに属しているから個人があるという ことを自覚でいないんでしょうね。 だから「誰にも迷惑かけてなければいいじゃないか」といって 理由がなければ、目先に自分に利益がないことはしようとしない。 そうして文化や自然が崩れていっちゃうんでしょうね。 守ってもお金入るわけでもないし、ルール破っても かっこいい生き方ができるし。 「免許もってなくても、事故をおこさなければ運転していいじゃないか」 なんて車社会では通用しないことを、堂々と主張しているような ものかと。。。 そんでもって近頃じゃ、最小の集団である「家族」の秩序さえ 守ろうとしない人が増えてきている。 「私は私であって、妻ではない。母ではない。」みたいな。 他とのかかわりがあって、はじめて個が確立されると思うのに、 他とのかかわりを絶つことが「個」だと思っているのでしょうね。 それは「弧」であって、エゴでしかない。 そんな幼い大人が増えれば、青少年犯罪だっておきますよね。 わたしは、恵まれた時代に育ってますが、 貧乏も、家族の別れも経験しているから、同じ世代の人よりかは 社会の危機感に敏感になれることができたのかもしれません。 なにも専門知識がなくても「なんかいけない!」そういう意識があるだけでも、 またここにいらっしゃるような方の言葉をきいて「なるほど」と 思うだけでも違うと思うのですが、 それさえもできない人が沢山いるのはうんざりしちゃいますよね。 ようは「教育」かな。。。と。 勿論学校教育などの狭義での教育も問題ですし重要ですが、 たとえば本を読むことで意識が少しづつでもかわっていけること、 他とのかかわりに意識をむけること、 そういった広義での教育が必要かと思います。 そうなると、結局狭義での教育をかえていくことにつながるのですが。
お礼
>それは「弧」であって、エゴでしかない。 なるほど。面白いレトリックですね。 本はね。よく読むんですよ。昔も今も日本人は。 あきれるくらいよく読みます。たぶん世界で一番本を読む民族ではないかと。 ただ、昨今はその本自体が疑ってかからなきゃいけないものになってしまったと思うことがままあります。 ためしに、どこでもいいから少々大きな本屋に行って見てください。 一時間くらい本屋をくるくる歩いてみてください。 (少々へんな人と思われるかもしれませんが、あまり気にしないこと) しだいに胡散臭さを感じるようなら、mac-booさんのいうところの 「社会の危機感に敏感になれることができたのかもしれません」は本物かもしれません。 本は知識と知識以上のものを他者や次世代へと伝える初歩的な媒体なのかもですが、 まがい物の知識や胡散臭い知識が、なんと美しい装丁(そうてい)で並んでいることかと、思ったりもします。 また優れた本でも、その読み方しだいでは、ただ紙面の上の文字列を パズルのようにして遊ぶだけのゲーム雑誌に堕してしまうことだってあるかもしれません。 教育がそのような特殊な読み方を教えることだってできちゃうのは、 恐ろしいことだし、少々もったいない気もします。 ご回答ありがとうございました。
今の日本が目標を見失っているからではないかと思います。 戦後、何も無い時代はひたすら「富」という目標を持って働いた訳ですが、それが達成されてしまった今、次なる目標が見えないのではないでしょうか? だから将来に希望が持てない。 今の時代「富」は知っていても「極貧」は知らないわけですから、今ある幸せを実感できない。 幸せを感じられなければ、当然有り難味もわからない。 よって、モラルは低下の一途と辿ると思います。 また、ひたすら働いた結果、その代償として様々な問題が浮上していた にもかかわらず、それを放置してきた。 ここにきてツケが回ってきたのでしょうね。 思うに、バブルの時代から日本人の価値観が大きく変ってしまった気がします。 当時の夢をもう一度、なんて考えてる人もまだまだ多いのではないでしょうか。 新しい理想像が見えない限り、現状からの脱却は難しいと思います。
お礼
国家としての「富」という点では、日本はある程度達成したのでしょうね。 明治以来の努力と勤勉の賜物かもしれません。 しかしそれとは裏腹に、日本人の精神性の「富」を失ってしまったのかもしれません。 (ものごとを物質と精神に分けて考えればの話ですが・・・) そういえば、私の周りにも決して生き生きした人ばかりではないなぁ・・・ ご回答ありがとうございました。
- YarukiNasio
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No14の者です。 ○少子化についての意見 >>一人当たりのパイを増やすには、パイを増やすか、人を減らすしかありません。 >その中国では少子化政策が、国家プロジェクトとして実践されて、ある程度成功しました。 僕は、国家が個人の子供を生む数に介入すべきではないと思います。 例えばルーマニアにストリートチルドレンがたくさんいます。これは、国力を付けるために、人口の増加が不可欠だと考えたチャウセスクが、優遇税制等により、出産を奨励したためです。しかし、チャウセスク政権が倒れたあと、財政難となり、その政策が続けられなくなりました。そして、多くの子供が育てられなくなり、ストリートチルドレンになったのです。 国が個人の出産について介入することは、良くないことだと思っています。 >しかし、その成功のかげに、多大な不幸を味わった何億という中国人夫婦がいることは 想像に難くありません。 実際に多大な不幸を味わったのは、隠れて出産して、戸籍に入ることが出来なかった第2子以降の人たちです。地方に行けば中央政府の監視も緩いため、2人以上の子供を出産することは、そう困難ではないそうです。 しかし、彼らは義務教育など受けることは出来ませんので、まともな職業に就くことができず、苦しい生活を強いられます。 つまり、現在の世代の幸福を追求する(この場合、子供を作る。)ことによって、次世代が不幸になる(この場合は、子供が貧窮する。)ことが、多々あるのです。 少なくとも、現在の日本は、国から法律や税制で強要された結果の少子化ではないので、良いのではないかと思っています。 ○経済学を学んで思ったこと >民衆の数を数えて、食糧の数を数えて、 >足したり引いたりして経済学が成り立っていきますが、 >何かそれ以上のものはないものでしょうか? 経済学を少しだけ大学で学んだことがあり、その時思ったことを書きたいと思います。 ものやサービスの需要は人間の数に比例します。 しかし供給は、分業によって、正比例で伸びるのではなく、供給の伸びより、人間の数のほうが小さいです。 分業ができる安定社会だと、人間が多い社会ほど、供給過剰になります。 今までは、公共事業で、この需要と供給のギャップを埋めてきましたが、今後それが、難しいと思います。 僕は、今の社会の諸問題は、20~40代男性の過当競争によるものが多いと思っているので、(例えば、仕事中心となるあまり、父親として育児や教育に参加しないから、子供が荒れる、または、子供が産まない=少子化。リストラされなかった人間が一生懸命働くことが、若者の就労の機会を奪っている。これも若者の希望を奪いモラルの低下につながっている等々。)これ以上の過当競争が起こらない国の政策が必要だと思っています。 僕は、パイが少なくなる時、競争を強いることは、過当競争を招き、先に書いた状態がより進むと思います。しかし、競争が仕方のないもの、または、当たり前のものとして受け入れるのならば、現実解としての人口の減少はありだと思うのです。
お礼
>僕は、国家が個人の子供を生む数に介入すべきではないと思います。 私もそれが理想なのかなぁと思います。 しかし、国家(政府)としては介入せざるを得ないわけでしょうね。 実際、中国があの政策をとっていなかったらどうなっていたか? 国家予算がパンクして、そのしわ寄せが日本の政府開発援助にきていたかも? それとも人民軍のチベット介入がもっとひどくなっていたかも? 世界中に中国人難民があふれて、蛇頭などの犯罪組織が中国政府の下請け機関になっていたかも? 極めて勝手な想像ですが・・・ また、一人っ子政策のような緊急露骨な政策ではなくとも、 国家(政府)が、生まれてくる子供を調整しようと思えば、 いくらでも方法があるのでは。 中国のような直接的な税制でなく、教育費や住宅費を高くするとか、風紀の規制の枠を緩くするとか・・・ 「生めよ増やせよ」なんて宣伝が大々的になされていたのは、つい50年前のことだそうです。 私が学生時代に、「保健」という何やらよく分からない科目があって(今でもあるのかなぁ?) その中で「家族計画」っていう項目があったんですね。 家族計画って言うぐらいだから、 よし!来年は家族で旅行に行こうとか、車はミニバンにしようとか、 そういうことをお父さん、お母さん、子供たち、 みんなで食卓にそろって話し合って楽しそうに決めるのかと思いきや(笑) 要するに、出費のことも考えて、出産しろということだったんですね。 家族計画はどこの先進国の授業でもあるんだろうけど、 一見、子供の数を自分(親)たちで考えて自由に決めているようで、 しかし、出産をめぐる政府の影響力だって大きいわけですよね。 というのは、大半の国民の個人収入なんて、政府がちょっと増税すれば、簡単に苦しくなるし、 お金が無いなら子供の数も考えようか、というのが人情ってものですし。 国家を、予算と社員をかかえた一つの巨大な企業体と考えるなら、 国家は給金だって減らすし、リストラだってする。 あってほしくないことですが。 日本の寡頭競争は意識的にせよ、無意識的にせよ、今も行われているし、今後も行われる。 私は寡頭競争が行われることに問題の原因を求めるYarukiNasioさんの意見にもちろん賛成ですが、 経済の世界でも恒常的に安定した状態というのがなかなか難しい現在、 むしろ、その寡頭競争の勝者と敗者がどのように関わっていくのか、というところにも 不況やモラルの問題の一面があるような気がしています。 進化論で、生きぬく種が滅ぶ種を省みた例はないでしょうが、日本人種の場合どうなるんでしょう。 >実際に多大な不幸を味わったのは、隠れて出産して、戸籍に入ることが出来なかった第2子以降の人たちです。 やっぱりね。絶対ではなく奨励ですといっても、 隠れて出産しなければならないほど、父親母親は重圧があったわけだし、 その重圧に耐えて出産した子供まで不幸なんだから。 生んでも不幸、生まなくても不幸だったんですね。 ご回答ありがとうございました。 話が全体的に中国に飛んでしまいましたね。原因は私です。すみませんm(_ _)m
補足
寡頭競争→過当競争です。(汗)
>経済がどん底のときには、モラルも低下するのは世の慣わしというところでしょうか。 ご指摘の通りです。 かっては.朝起きたら家の前で妊婦が死んでいたとか. 間引きで.子供をまとめて殺したとか. 物の二重売買をしたり.庄屋の息子は1kgで頼んだ砂糖を900gしかいれなかったとか. 賃金カット・ただ働き(昭和40年頃の炭鉱労働者の労働環境を調べてください)は日常的ですし 隣町の総会屋の元妾が売春していますし かって相撲部屋では.あいつ勝ち越しているからふくを食わせるか.なんてしていましたし. 餓鬼大将の指導の下で.子供たちが集団で農作物を略奪していったり.(大学生が同様なことをしていましたし.) 昔の青少年の犯罪を見ていると.今の青少年の犯罪とほとんど変わらないのです。 ただ.昔の青少年は.恐かったですよ。有力者の師弟ですから.警官は見て見ぬふりをしますから。 地域対抗運動競技があると.試合が終わって帰る寸前に殴り合いの大喧嘩(動けない人間を殴らないという暗黙の了解がありましたが)をしてきて.腕負ったなんてよくありました。 だから.荒れている.とはおもえません。
お礼
いやはや社会の現実というのはどこまでも深い闇を持っているものですね。 edogawaranpoさんが挙げた昔の事件の数々をよく読んでみると、 そこにちりばめられた言葉の数々に、 うっすらと特徴ある言葉が見えてくるような気がします。 庄屋の息子、炭鉱労働者、総会屋、妾、相撲、餓鬼大将、有力者の師弟、地域対抗運動競技・・・ みんなある種の社会的な役割が明確だと思うのです。 資本家や労働者といった、しっかりとした階級社会に位置付けられていて、 大人と子供といった世代性がはっきりしていて、 土地や地域と人間がしっかりつながれている時代。 そういった文脈の中での犯罪や事件ですよね。 (庄屋の息子とか、有力者の師弟なんていう言葉は、さっと映像が浮かんできます) 目に見える「むら」が解体した現代、庄屋の息子は何に当たるのか? 炭鉱が閉山した今日、炭鉱労働者の役割に取って代わったのはだれなのか? バブルがはじけた今日、総会屋の仕事はどのように変化したのか? 不倫が文化である今日、正妻や妾はだれと一緒にいるのか? 外国人横綱が当たり前の今日、力士や神道、武士道の思想精神はどのように変化していくのか? 餓鬼がバスジャックをし、同じ餓鬼の首を切り落として快感を得る今日、あの餓鬼大将たちはどこへ行ったのか? 「家」の概念が崩壊していく今日、何が有力者の師弟をそれたらしめるのか? 若者が土地や地域から切り離されていく今日、彼らの競いあい、憎しみあい、なぐりあいは何を軸に回っていくのか? こういったことを細かく見たり比べたりしていくと、 もしかしたら今日の日本の病んでいる部分が どのような膿をもっているのか分かりはしないかとも思いました。 ご回答ありがとうございました。
中3のガキがこういう話題に首を突っ込むのをお許しください。 なんだかすごく気になったので。。 今まで大勢の方が書き込んでくださってるので、あまり言うことはありませんが、第一に問題なのが、 「悪いことをしても罰せられない」これにつきると僕は思います。 「悪事を働いた者には必ず責任を取らせる」ような社会のメカニズムが破綻しかかっているから、周りで真面目に仕事や生活をしている人の士気を著しく低下させていると考えてます。 第二の問題は、「尊敬できる大人がいない」ということです。 学校の授業を例に挙げますと、授業中生徒の私語が目立つのは、授業がつまらないからです。どうしてつまらないかというと、教師自身が、仕事を楽しんでやっていないからです。 自分の仕事に自信と誇りを持たずに、ただ機械的にやっているから、生徒もつまらなく感じ、そんな教師に対して聞く耳も持ちたくないし、尊敬もしたくないはずです。 逆に、教師が自分の仕事を楽しんで、知識だけでなく、智恵や自分なりの美学などを織り交ぜて教えると、生徒も面白がってそれを聞くと思います。 このように、大人が人生を楽しんで生きていない事も問題だと思います。 乱文で失礼しました。。
お礼
>「悪事を働いた者には必ず責任を取らせる」ような社会のメカニズムが破綻しかかっているから 「罪」には「罰」がある。 こんな簡単な道理が教えられていないんですよね。私も一番の問題だと思います。 >尊敬できる大人がいない >大人が人生を楽しんで生きていない これはもう、私は「すみません」と言うしかありません。 私が思うのは、知恵や知識を得るにはある程度の苦痛は仕方がないと思うんですよね。 肉体の痛みを通ることなしには筋肉がつかないのと同じように。 ただ、freedomskyさんの言う学校の授業がつまらないは、 その苦痛がうまく学ぶことの喜びへとつながっていかないのかもしれません。 freedomskyさんの学校の先生をもちろん存じ上げないので、何も言えませんが、 私の乏しい経験から言うと、生徒の側から授業への関心を見つけ出してくれると、 「この子達のためにがんばって教えよう!」と積極的になってくれるかもしれません。 お互い背中を合わせていては、知識も知恵も得ることができないのはもったいない。 どちらかが振り向かないと。 どちらが先に振り向くかは、あまり大した問題ではないと思います。 ご回答ありがとうございました。
では他の方とは違う観点から。 >世界一長い歴史をもつこの国は >何でこんなになっちまったの? 平和すぎたんじゃないでしょうか? といって戦争が起きればいいとはいいませんが。 この国が長期の平和を謳歌していたのは3回あると思います。 1回目が平安時代 2回目が江戸時代 3回目が現在(長期とはいえないかも) 平安も江戸も対外的には平和だったと思いますが、 国内的にはボロボロの状態でした。 1回目のシステムが矛盾を見せ始めてから 次の体制が登場するまで、200年かかっています。 2回目は早かったですが、これは外圧によるものです。 現在が平和だといいますが、戦争が終わってまだ50年ちょっとです。 大成功してしまったばかりに、明治からひきづってきた体制を変革するのは 50年ぐらいの平和な時間ではぜんぜん足りないのかもしれません。 我々日本人にとって。
お礼
偶然かもしれませんが、平安時代も江戸時代も、 日本が世界(大陸)に対して窓を閉ざしていた時代なんですね。 平安時代には遣唐使を廃止してますし、 江戸時代には鎖国してましたし。 大陸が転換期にあったのを尻目に、 日本ではのんびりと泰平を謳歌したのでしょうか。 日本という島国は、一種の避難シェルターなのかもしれません。 しかし、もちろん今日では鎖国するわけにもいきませんし、 昔の世界とは、情報や物流の速さが格段に違いますし、 ヨーロッパや中東での政変が、中間を飛び越えて、 極東にもろに降りかかってくる時代ですから、 いつ、何があるか分かりませんね。 ご回答ありがとうございます。
- cse_ri2
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ずばり「教育」です。 今の学校教育は、個人の立身出世のみを考えるような仕組み になってしまっています。 中学の時はよい高校に入ることを考え、高校の時はよい大学 に入ることを考え、大学に入る時は一流企業に就職できる ことを考えている人がほとんどでしょう。 こういう人たちが世の中に出て、しかも出世街道を走って 社会の指導層を形成すれば、自分のことしか考えない利己 的な社会が必然的に形成されます。 戦後の日本の繁栄を支えたのは、戦前に教育を受けた世代 です。戦後世代はどちらかというと、親の苦労を食いつぶ している方です。 戦争直前あるいは戦中時の教育には、必要以上に滅私奉公 を強調するといった問題もありましたが、現在よりは「公」 を重んじていましたから、自分一人の利益よりも、広く社会 のために役立とうという志をもった人が多くいました。 もっとも、戦後教育も必ずしも自由や人間の個性を尊ぶ教育 にもなっていないのが実情で、ただ成長期の子供を学校施設 で管理しているだけになっていると私は考えています。 公を尊ぶ教育と、人の個性を重視し子供の資質を伸ばす教育 の両面が、今後の日本には必要です。 そういう世代が世の中に出てくれば、間違いなく日本の社会 は好転します。 戦後教育の最大の問題は、「結果の平等」を推進する教育 をしてきたことです。 これは日教組の影響もあれば、子供に同一の価値観を押し つける親の側(学歴を重視し学力を軽視、よい会社に入り ステータスを付けさせて世間体をよくすることだけを考え る親の見栄)の問題の両方があります。 人間は平等です。しかし「結果の平等」よりも「機会の平等」 を重視することが今の日本には必要です。 芸術家に向いている人をサラリーマンにしたてあげた所で 才能の浪費と個人の抑圧しか生まないでしょう。しかし、 それを強いてきたのが、戦後の日本なのです。 所得の不均衡が発生することは、ある程度やむをえないと 思います。しかしそればかりを問題にするのは、物質文明 に毒されている証拠です。金銭的価値が人生で一番大事だ と考えいるためだと思われます。 多くの収入がある人は、余剰利益を国家や社会に還元する ようにしていけばよいのです。 お金があっても、また必要最低限の収入しか無くても、 文化的な生活をすることができる社会環境を整備すること も考えなくてはいけませんし、また金銭的な報酬以外の 価値観を確立することも考えていく必要があるかと思います。
お礼
>公を尊ぶ教育と、人の個性を重視し子供の資質を伸ばす教育 >の両面が、今後の日本には必要です。 現代は「公」に属さない「個」が重視される時代ですからね。 むしろ問題は近代以前にあった、「公」にあたる概念が解体して(あるいは希薄になってしまって) だれもが安心して関係の糸を結ぶことができる地を失ってしまったことではないでしょうか? 敗戦で破壊されたのは、国土だけではなかったのか。 親も、教師も、地域社会もそれを知らないし、 知らないから子供にも教えられない。 だから子供には全然責任はないんですよね。 >多くの収入がある人は、余剰利益を国家や社会に還元する ようにしていけばよいのです。 本当に、これができれば、私は世界は絶対、平和になると思います。 社会主義は実に理想的なシステムでした。 だれもが(共同の)土地を与えられ、だれもが(共同の)農場や工場を与えられ、 だれもがその生産物を平等に享受して、食っていくことができるわけですから。 しかし、唯一の誤謬は、人間の生産的能力をも平等と錯誤してしまったことだと思うのです。 世の中商才ある人もいれば、私のようなうだつの上がらない怠け者もいるんですよね。 天才の才能と勤労意欲を殺ぎとってしまい、怠け者がさらに怠け者になってしまう。 だから、どうしても鞭打って人民を働かせる強権的な政府が必要となる。 社会主義の最終到達点である共産党なき国家なんて絶対にできっこないんです。 商才あるものがその才能を思う存分発揮して、怠け者は怠けてられない、 まあ、資本主義の良いところだけ見ればそれがすばらしいところでしょう。 そしてまさしくcse_ri2さんの仰るように、 ありあまる才能で生産されてありあまった物を、ありあまっていない人に還元していく そういった全体的なシステムが構築されない限りは、飢餓も戦争も差別もテロも絶対になくならないですよね。 ところが、これを今の日本人のみならず人類は何千年もできない。 (良心的な人をのぞけば)生産的才能ある人の多くは、どうしても余剰利益もしっかり抱きかかえたまま離さない。 「欲」をおおいに肯定する社会なんですよね。資本主義社会は。 ご回答ありがとうございました。
お礼
昔の町内でよく見かけた「おせっかいなおばさん」や「げんこつおやじ」がいないんですね現代は。 いても、下手に注意したら刺されちゃいますからね現代は(笑) 威厳とか権威とかそういった、抽象的で求心的なものが崩れて、 個々の重みへと分散していく時代なんですね今は。 そういえば、インターネットの発想と似てるなぁ・・・ 年功序列は確かに賛否両論で、 最近では欧米式に能力主義への切り替えが流行りだけど、 個人的には、戦後の日本はそれでうまくやってきた面もあると思っていますよ。 戦後の焼け野原から立ち直るには、 そういうカッチリとまとまった方式で 「一億総火の玉」でやっていくしかなかったのかも。 ご回答ありがとうございました。