なんで聞いているんでしょうか。「死んじゃおうかな」と思っているんでしょうか?
でも、本気で死のうと思って生き残れた人は、自殺回避のボランティアの人達の様に、話してどうにかできる人だけではなく、忘れてしまいたい人の方が多くいると思います。
そういった人の中には、こういった質問自体嫌悪を感じるし、例え本気の質問でも「そんな軽い気持ちで命を考えてるのか」というイメージを与えかねません。
ただ、どちらにしてもこれだけはお教えします。
自分が死んだときに、世の中に、一人でも、「ごめんね」と言いたい人が居たら、絶対に死んではいけません。
なぜなら、人の死はその人が何歳であっても、残された人の多くは、そして自分を思ってくれている人ほど、「あぁすれば良かった」「こうすれば死ななかったかも知れない」という罪の意識を持つものです。
そして心無い周囲の人は、身内や親友など、近しい人であるほど「なぜこうしなかった」「なぜもっと見ていて上げなかった」と誹謗するものです。
それが事故や病死、高齢であってもそうなのですから、自殺、まして若い人であれば、生き残った人は100%、近しい人なら120%そうなります。
つまり、自殺するという事は自分に近しいほど罪の意識を一生背負わせる事になります。なんの恨みも無い、むしろ自分の思ってくれ、自分も、少なくとも死に向うに際して「ゴメンね」と言う人に対して、それほど大きな罪の意識を背負わす権利があるのか…。
そう考えれば、如何に自殺が自己中心的で身勝手である大犯罪かが判るはずです。それが理解できれば、自殺など、この世の全ての人を、それこそ「末代まで恨み続ける」ほどの恨みでなければやってはいけない行為だと思うはずです。
私は残された人を身近に見、自らもその罪を犯そうとしたから、確信しています。
死のうと思えるなら必ず生きていけます。
本当に生きる気力がなくなってしまったら、「死のうか」等と思う必要も無く、自分の意思など関係なく車道に足を踏み出しています。
どうせなら、そこまで生命力を使い果たしてみましょう。
お礼
ありがとうございます。質問自体は本気です。 相次ぐ病気に疲れ、生きていれば親に金を使わせる、世の中に何も楽しみを見いだせない僕はいない方がよいのではと…僕の死に対する悲しみも時間が風化させてくれると… 違う考え方を教えていただき、少し勇気がわいてきました。