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スピーチで下を向いて「原稿」を読みあげるというスタイル
すべてのスピーチがそうだとは言わないですが、大体「原稿」を開いて、下を向いて話すというパターンをよく見かけます。こういうのはやめたほうがいいのではないでしょうか。一応何度も練習して覚え、あるいは覚えきらなくても、前を見て、聴衆を見てスピーチする。多少あいまいなところはアドリブでごまかす。 なぜ、こうも 「スピーチしたくないけどやらなきゃならないから仕方なくやっている」 という姿勢でする人が多いのでしょうか。
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>こういうのはやめたほうがいいのではないでしょうか。 私もそう思います。 まず見栄えがしません。 原稿は見出し程度に留め、流れを損なわないようにすれば良いのです。 また、下を向いて話されるととても聞き取りにくいのです。 マイクできっちり声を拾うためにもなるべく顔は正面です。 さらに贅沢を言えば、声をきちんと出す訓練をして欲しいものです。 オバマ氏もクリントン氏もとても聞きやすいです。
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- ryuken_dec
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1.できないから。 水泳でも泳ぐときに「こうした方が楽なのに」と思うことがあってもカナヅチの人はそれができずに沈んでしまいます。それと同じで原稿無しでスピーチができないからです。 練習して覚えてもワンワード忘れた瞬間に頭の中真っ白。何を言っているのかわからなくなって、しまいには言いたかったことと真逆のことを言ってしまったり、同じところを何回もループしたり。 例えば、原稿がないと「私は先の質問項目に対する内容の質問について質問を出された方の疑問に答えるべく、質問箇所の疑問点について委員会で検討し、その質問が今回の質問としてふさわしいかという疑問を・・・・・・・・・・で、疑問が疑問であり、質問ではないという疑問で・・・・・・・・・・・・その質問にあがった質問はそうであるのです。」のように、多少あいまいでは済まされないくらい意味不明な発言になってしまう人もいます。そんな人は原稿を欲しがります。 小学校でも読書感想文を【読まされたり】と読むことしか教えてこられず、スピーチの練習をしていない人がいきなりスピーチをしろといわれても難しいでしょう。 2. 失敗を責められるから 大臣の失言騒動もありますが、日本は成功を褒めるより失敗をマイナス評価する傾向があります。 全体の内容がすばらしいスピーチでも、ワンフレーズ不適切な表現をしたりするとそれで辞任モノです。そうなると失敗したくないということで事前に完璧に仕上げた原稿を読みたくなる気持ちも分かります。
お礼
そりゃあ、練習もなしにはできませんよね。でも2,3回は練習するくらいの気になればできるでしょう。そして、前を向いて声を聞き取りやすくという思いやりがあるかどうかも大事です。原稿はチラッと見ればいい。後は脳内で変換再形成。 おっしゃるとおり、小学校からの発表の練習のなさが問題でしょうね。こういうものを教育も重視しない、何か企業体質的なものが絡んでいうるのでしょうか。 失敗を責められるというのはありますが、こういうのも練習で、脳内に「あ、やばいな」という信号が点灯します。
- popokoku
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何よりも失敗を恐れる(嫌う)からではないでしょうか。 アドリブでごまかすことができない人も沢山いますし。 頭では前を見てスピーチする方がいいと理解していても、 失敗するくらいなら原稿読んでちゃんと終わらせた方が無難だと考えているからだと思います。 あと「皆がやってるから」という気持ちも多少ありそうです。 要は自分自身のことで精一杯な状態なのでは?
お礼
マイナス面をより重視するということなんでしょうかね。 というか、人に向かって堂々と話すこと、という義務感というかスタイルというか、そういうのを重要と思っていないのでしょうね。政府要人ですらそれですから。
- artofauror
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その場にいる全員が聞く姿勢で臨んでいるのなら、スピーチする側もそれなりに姿勢がしっかりするものだと思いますけどね。いくら真面目に話していても、聞いている方の態度が悪かったら、こっちとしてはバカらしくなってやる気なくなりますから。
お礼
それもあるんですけども、スピーチする側が、前を向いて真摯に話しているというほうが、少しは聞き手を話し手に向かわせる可能性を高めると思うんですよ。
聞き手も期待してないから問題ないと思います。
お礼
もっともなんですが、面白い話だったら別じゃないでしょうかね。面白い話はあまり下を向いて原稿読みませんしね。
お礼
見栄ってやっぱり重要じゃないですか。 それを「何か訴えている」ということより「なにか読んでいる」という形でよしとすること。これは常識を疑う?スタイルです。原稿を広げる名とは言わないですが、基本的に前を向いて、音声を拾いやすくするために話す、時々アナウンサーのように目を落とす。 要するに、スピーチについて全く重視されていないのですね。