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子供を持ってさらに知的職業でなくて知的に暮らす

私は生涯知的な趣味、作業を続けて暮らしたいと考えているのですが、もし子供を持って育児にきゅうきゅうして、さらに仕事も別に知的職業でない場合、一日のうち知的作業に避ける時間が本当になくなってしまうと思うのですが、こういう条件の場合、子供などもうけないのがよいのでしょうか?あるいは向こう10年くらい(子供が大きくなるまで)はあきらめるその後という考えにするのがいいのでしょうか?

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noname#122427
noname#122427
回答No.10

二十代後半の三児の母です。(五歳男、三歳男、一歳女) 勉強、読書大好き人間です。笑   育児期間に入ってから、私がやった事、やっている事を書いてみますね。 *「より良い子育て」の為の勉強 *自分の「心の動き」を観察、考察 *語学(英語、中国語) *良書を読む(「名著」「文豪」) *外国文学を「原書で」読む *簿記の勉強 *家族が罹患した病気についての「専門的知識」の収集 *育児が落ち着いた後の「職業人生」を思い描く *和服の着付け *興味のある社会問題について情報収集、考察、「改善策」の考案 *育児と絡めて「地域貢献」等を考案 *日々の育児で起きる問題を「レポート」にして「夫に提出」笑 *日曜大工(おもちゃ、家具、等) *洋裁(古着からのリメイク中心) *和裁の勉強 今後、新たに挑戦したい事は、 *苦手だった数学/物理の復習 *大学の講義の復習/掘り下げ *考案した「地域貢献」の案の実践 *和裁の習得 *新たな言語の学習(アラビア語、アイヌ語等) *「より良い家庭/夫婦/老後」の為の勉強 等です。欲張りですね。。。笑 ちなみに、現在無職。育児と並行してパート経験はありますが、それも「知的」とされるものではありません(接客)でした。 「子育て」は否応無く、「社会との関わりを深め/強め」ます。その中で、「無関心」に「向上心を持たず」生活すれば、それは「知性の欠片も無い」事に成りかねませんが、ご自分の「知的アンテナを張り巡らせ」、「貪欲に学ぼう」とすると、絶望に陥りそうな程、「自分の無知に気付く」と確信します。

garcon2000
質問者

お礼

知的欲求が旺盛でとてもすばらしいことですね。しかも実現している。なかなか「並」の人にできないことです。とくに、洋書を原語でというのはすばらしい。こうじゃなきゃ本質には行き着けませんからね!私は多分並なので無理ですね。「子育て」はもちろん総合的に知的作業ではありますが、数学が選考したいのに古典を取ってしまったという面もあるかと思います。

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noname#66929
noname#66929
回答No.11

生涯知的な趣味、作業を続けて暮らしたいとのことですので、高等教育を受けた方だとお察しします。 自分はまだ未婚の男ですのでまだ子育ての忙しさはよく判りませんが、例え悪環境下でもただ作業するだけのロボットのような人間にはならないかと思います。 通勤時間や家事の合間に本を読んで、単純作業の間にそれについての考察を整理するとか、結構できてしまいます。 極端な話、阪大かどこかの脳の生理学だったかの学者は戦後、物資も何もない中、脳の研究などできないので、校舎前の庭の土の微生物を研究し、その成果でアメリカ留学の機会を獲得して、医学の方面に戻られたそうです。 社内留学制度でもない限り、大きな学会で発表する機会などはなかなか無いかと思います。 しかし料理の材料の組成や仕組み、あるいは文系なら普段歩いている道などにも興味深い由来があったりして、それをブログで公開する位の事はできると思います。 普段から頭を鍛えている人が物を書くと、身近な内容でも結構見ごたえがあったりする物です。ヘタな学者の論文よりも凄いものをネットで見ることがたまにあります。

garcon2000
質問者

お礼

それが、高卒(大学中退)です。勉強好きっていうのは生来的なものらしいですね。 おはなしは、「知的欲求」はとてつもないエネルギーを閉めている。これを諦める理由がないという印象を持ちました。

noname#66644
noname#66644
回答No.9

子育てってとても知的作業・・・というか、知的さを求められると思います。いわゆる教育熱心になるとか、そういう意味ではなく、人間を育てるわけですから、知的に子育て・・・ってありだと思います。 我思う故に我あり、ですから、自分で思考するだけでも知的活動が可能だと思います。

garcon2000
質問者

お礼

「子育て」という知的分野があって、また別に「芸術」とか「科学」はあるわけです。ここの選びどころが問題です。

回答No.8

そもそも「知的」とはどういうことをいうのでしょうね。 また「知的生活」とはどんなものなのでしょうね。 ご自身がいままで「知的」に感じた経験を思い出してみてください。 どんなときに「知的な充足感」を味わいましたか。 私個人は、「知的行動」とは、「自ら、(考え出した)”テーマ(問い)”を自らに与え、それを考え抜き、その作業の中から発見した”自分”や”世界”や”世界と自分の関わり”を自分なりの「カンヴァス」に創造して見せる(表現してみせる)こと。」だと思っています。 それが、「子育てだ」という人もいらっしゃると思いますし、それが「仕事」だという人もいるでしょう。はたまた、「趣味」や「ボランティア」。 そう考えてみると、自分の人生の中には、どの「行動」の中にも「知的な可能性」は秘められているように思えます。 どの「行動にも」。 『自ら、(考え出した)”テーマ(問い)”を自らに与え、』まず、これが最も原初の「知的活動」だと思います。 一日を幾つかに別けてその一部の時間を、「知的活動」に割り当てるというのではなく、一日の行動全てに知的な「テーマ」を与え、考え、行動し、創り続ける。それが「知的に暮らす」というものではないでしょうか。また一生の時間を、分割して行うようなものでなく、あなたもおっしゃるとおり、「一生を通して」「一貫して」活動することではないでしょうか。 ですから、本来「子供をあやしているときも」「食事を作っているときも」「買い物をしているときも」「なにか趣味で作っているときも」全ての時間に、行動・活動に”あなたのあふれる知的テーマ”が詰まっていればいいのではないでしょうか。 例えば、「私は私の周りを笑顔に変えていく一人プロジェクトをする」とか「私のアイデアで何もかもが”美しく””粋な”ものに変えていく」とか「なにもかも”開放”し自由を感じさせるものを創るとか」それを生活、人生の全ての「行動」に反映させるということが、本当の意味での「知的に生きる」ということではないでしょうか。 人生という生命活動を通して、貫通的にその時々の「カンヴァス」に自分を表現しつづけたら素晴らしいですね。そう思いませんか。 よかったら、参考にして下さい。

garcon2000
質問者

お礼

総合的に考えると、おっしゃるとおり、人間的(生物的、文明的ぶんかてきひっくるめて)知的な人生が遅れればよろしいと思います。ただ、マクロ的に考えると、どうしても時間をとって研鑽しなければ身につかないものがあって、それを諦めることが妥当なのかというみみっちい問題に突き当たります。

noname#94337
noname#94337
回答No.7

はじめまして jcg02524です。 勉強が好きなんですね。いいことだと思います。 また、ご質問から感じたことは「第三者的に見る」「結果に対する理由」などの分析に長けている感じですね。 すごいと思いますよ。 さて、回答したいと思います。 結論・・・ garcon2000さんが考える生活スタイルを貫けばいいのではないでしょうか。 結果としてgarcon2000さんが「良かった」と思えばいいと感じます。 ご質問の文から・・・ 「ご自身の時間」「子育て」のどちらかに重点が置かれていますが「旦那さんとの時間」はどうするのかなあと感じました。 結婚生活やお付き合いは相手との共有する時間があるから育まれるものだと思います。お互いを高めるために「知的な会話」もその一つだと感じます。 また、「子育て」もある種の勉強であると思います。 最後に・・・ 世間的に「キャリア・ウーマン」と社内で呼ばれている人が自分の周りにいます。 ※世間で言う「部長職」「課長職」についている女性が多くいます。 ただ、「キャリア・ウーマン」だから「子供がいないか」というといる人の方が多いです。 参考程度にですが「子供がいて大変ではないですか?」と問いをかけたときに「大変だけど、幸せだから」という答えが返ってきます。 ※ここの所はgarcon2000さんがどのように感じるかは自由です。 正直、「仕事と子育て」は比べる物ではなく「自分の人生をどのように悔いを残さずに生きる」かだと思います。

garcon2000
質問者

お礼

そうですね。実存的問題?でしょうかね。貫けばいいという言葉を言って頂くと気が楽になります。 やっぱり、「学問」なんですね。ネックは。

  • dai-ym
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回答No.6

なぜ子供を育てると言うことが知的作業で無いのでしょうか? この子にはどういう教育が合っているのか、この子は今どう考えているのか、親として自分はどう行動すれば良いのか。 こういうことは知的作業では無いのでしょうか? ないとしたら、どういうことを知的作業と考えているのか教えてもらえますでしょうか?

garcon2000
質問者

補足

ポピュラー音楽の理論と実技(ピアノ管楽器)を身につけること。文学や科学の勉強をすること、これがどうもやめられないのです。一日数時間はとっています。

noname#161240
noname#161240
回答No.5

人間が人間を育てるというのは 思った以上に知的な作業です。 趣味というのが何かわかりませんが 作業を伴うものであるならば 多少制約を設けることにもなるかもしれませんね。 人間が人間を創造するって、神業だと思います。 体内に子供が宿るメカニズム、 一人の人間がこの世に誕生して、人格を備えていく過程を つぶさに見ることが出来、親として人類の先輩として ありとあらゆることに影響を与え、教えて学ばせていく。 なんと知的なことではないでしょうか? 子供が何かをひとつ学ぶたびに 自分も何かを学べます。 ハイハイする子がある日立ち上がる。 立ち上がる作業ってこんなに難しいんだと知り 声を上げてわんわん泣いていた子が ある日を境にぐっと涙をこらえるようになるのを見て 自分はいつから大声で泣かなくなったんだろう?と 素朴な疑問がわいたり、泣くという行為に論文が書けそうなくらい 研究してみたり。 熱が出れば、熱を下げる方法を必死で勉強し、 体が病気と闘うメカニズムを調べたり。 社会ってなんだろう?とニュースに敏感になったり 子供の教科書を見て時代が変わったことを知ったり 覚えていたはずの数学の公式が 実はうろ覚えだと分かり勉強しなおしたり。 子供に本を読み聞かせし、児童文学に再発見をしたり。 何かを得るためには、何かを諦めなければならない部分も 多少はあるかもしれませんが 諦めなければいけないものが 自分の生きる道をも左右してしまうほどならば 答えが出るまでもっともっと深く じっくり考えてみることをお勧めします。

garcon2000
質問者

お礼

「生」の人間を学習するのに最適でしょうね。ただ、あまりその分野に関心がないという場合考えものです。「数学」がやりたいのにむりやり「古典」をやってその中に数学的要素を探そうと思ってもなかなか。諦めなければならないものが生きる道を左右する問題みたいです。

noname#140971
noname#140971
回答No.4

× 知的な暮らしの源泉は、職業である子育てであり、それを通じて人間は変化・発展する筈です。 ○ 知的な暮らしの源泉は、職業であり子育てであり、それを通じて人間は変化・発展してきた筈です。

garcon2000
質問者

お礼

どちらでもいいと思いますよ。現在形であり過去形でもある問題です。

noname#140971
noname#140971
回答No.3

Q、子供を持ってさらに知的職業でなくて知的に暮らすには? A、子育てしつつ働くのが一番。 人間は、いかにして猿というレベルを脱してその肉体的・精神的能力を発達させてきたのか? これが、「知的に暮らすには?」との問いの答えのすべてだと思いますよ。 「猿を人間に変えたのは何か?」という疑問を横に置いての知的な暮らしって何でしょうか? 決して、職業に付くこと、子育てをすることと知的な暮らしは矛盾しないと思いますが・・・。 知的な暮らしの源泉は、職業である子育てであり、それを通じて人間は変化・発展する筈です。 そういう現実生活と遊離した知的な暮らしって、一種の自己満足じゃーないですかね。 知的な暮らしと職業・子育てとの葛藤・矛盾を知的に止揚してこその知的な暮らしというステージに。 と、思いますが・・・。

garcon2000
質問者

お礼

「人間」という生の存在を知的に生きるとしたら、おっしゃるような考えでいいと思います。が、さらに「人間」にしかなしえない、学問教養というものがあってこれは「生」の人間とはちょっと違うところにあるものです。子育てにはそれを補うものはないですね。確かに「止揚」というのは大事かもしれないのですが、それ以前の基本的鍛錬の作業が不可能にならないだろうかと。

  • tweetie
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回答No.2

お子さんより自分のことを優先させたいと考えるのでしたら、 知的作業云々ということではなく、親になる覚悟がないとみなされても しかたないので、お子様を持つことに多少慎重になられてもよろしいかと。 覚悟無いままお子様をもうけ、やっぱり時間が取れなくてストレスだ! では、あまりに子供さんが可愛そうですから。 しかしながら、ある程度お子さんの手が離れるまでは、という考え方を するなら、問題ないとも思われます。 絶対的に拘束される年数は様々だと思いますが、そこは育児に専念して、 私的作業については着手できなくても諦める、という心持ちの方が、 一足飛びにお子様を持たない、と考えるよりも素敵だなぁ、とは思いました。 というか、具体的に何を持って知的作業といわれているのか分かりませんが、 本当に知性をお持ちでしたら、育児は知的作業(というと語弊がありますが)には なりませんでしょうか? なにせ、人一人の人格に影響する時期を全て、親が影響を与えつつ 時間を共にするのですから、育児の方法から児童心理学、コミュニケーションの 取り方、子供の解釈と大人の解釈のギャップの埋め方… その気になれば、よりよい結果を目指すためには、努力をいくらしても 足りないほどの楽しさがあると思われますよ。 もちろん特定の「知的作業」のみに関して言われてるのなら、 ここは的外れになってしまいますが、育児と知的作業を区別されるような 言われ方をするのは、多少違和感を感じましたので念のため。

garcon2000
質問者

お礼

あくまで仮定の話です。種付けの具体的な相手がいるわけでもありません。「育児」というエネルギーの投資場所が他への投資を薄れさせるということは確かです。もちろん「育児」という作業にも知的要素はあるわですが、それをいうとしたらギャンブルの中にもあるわけです。 やりたいのは学問、芸術、スポーツですね。それと「育児」はどうも両立しないように思われます。

回答No.1

知的に暮らすかどうかは貴方次第じゃありませんか? 育児の間に、いかに知的に暮らすかを、知的に考えるのもよいかと!

garcon2000
質問者

お礼

仮定の話ですので。 育児していて、知的になる余裕があるかはなはだ疑問です。

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