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人生で自分を変えた出会いというのはありましたか?

よろしくお願いします。 皆さんは、職場でもプライベートでも、あの出会いが、 自分の考え方を変えた、 自分を変えた、 という出会いはありましたでしょうか? 自分で自分を変えていく、という自立的なのが いいのかも知れませんが、人との交わりで 新しい価値観や新しいものの見方が発生することも あると思います。 私は、最初の職場で、派遣の方の人生の考え方だったり 技術者の技術を極めたい!という気持ちにかなり 驚きを覚えました(私は文系なので・・・) とくに、プログラムが”美しい”という感性には かなり衝撃を受けました。ああ、職人なんだなあ・・と思ったのと同時に仕事に対する取り組み姿勢にかなり影響されました。 皆さんは恋人でも、職場の人でも、影響を受けた肩というのはいますか? どんな影響を受けたのでしょうか? 出会いの過程なども含めて 教えていただければと思います。

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noname#166310
noname#166310
回答No.6

もう10年以上前のことです。 私は好きになった人に結構ひどいことをいわれてふられています。 いわれた当初はショックで連絡もたちました。 しかしその後思い直しました。 彼は「もともとそんなことを言えるようなひどい人だったのか」「そういう人ではないのに彼の環境がひどくて、ひどいことを言わせてしまったのではないか」 人間、落ち込んだ時、行き詰った時、ひどく疲れた時など、その人の本質ではない言動をとる場合があると思います。 その一度だけのことで判断してはいけない。 私は彼に連絡をとってみました。 私の直感はあたっていました。 今までの私なら「なんてひどい人」「自分の見る目がなかった」で終わっていたところを、人の本質を見よう、というきっかけになった出会いです。 私は縁がなくてその人とは結婚はしませんでしたが、今でも年賀状などで元気であることを報告しあっています。

kimi1980
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 とても理性的な方なのですね。 人の本質をみようとすること、 重要ですね。 ありがとうございました

その他の回答 (5)

noname#76141
noname#76141
回答No.5

 1冊の本との出会い=その著者との出会いということでもよければ、その著者との出会いです。  人生の意味が、自分でいくら考えてもわからなかったところに、その著者は明確な答を与えて下さいました。  簡単に言えば、神仏は実在し常に皆を慈しんでおられ、また人間は死んでも魂は存続し、転生輪廻を繰り返すうちに様々な体験を経て神仏へ向かって人格を成熟させて行くことができ、この人格が成熟して行くという過程そのものに幸福感を味わうことができる、それが人生の意義である、というものでした。  そして、神仏の境地とは智慧と慈悲(愛)にあふれているものであること、その境地を目指すには、具体的には、例えば医者は医療の知識・技術をより高めて行くほど、より患者を救って行けるわけで、つまり自分を高めて行けること自体も幸福だし、またそれにより他者をも幸福にして行けるわけで、他者が幸福になることが自分の喜びであると感じられる境地、このような境地が深まっていくにつれ、幸福感も深まって行く、と、そのようなことが書いてありました。  それまでは、自分がよくなって行けばそれでいいではないか、他者が幸福になることは自分とは全く関係無いではないか、という疑問が抜けませんでしたが、この著によってその疑問が氷解し、目指して行ったらよい方向を明確に持てるようになりました。  逆に言えば、この著に出会わなければ、死んだらどうなるのか、神仏はいるのかいないのか、いたらどのような方であって何がすばらしいのか、わからないまま、自分の幸福追求のみに生きて行く、というあり方になっていたと思います。  なお、その著が本当であると、どうして確言できるのか?、と問われる方はいらっしゃるでしょうし、それは当然の疑問だと思います。  私も最初から確信したわけではなく、これは本当なのだろうか?と、その著書の書を検証しながら読み続け、講演テープを検証しながら聴き続けるうちに、この方は少なくともわざわざウソをつかれる方ではなく、それどころか必死の真剣さが伝わって来る一方でしたので、確信に至りました。  それに、その後もあらためてもっと視野を広げてみても、マザーテレサ・ナイチンゲール・空海・聖徳太子・等々、あれだけ他者の抜苦与楽に生きられた客観的にすばらしい生き方を現実にされた方々ご自身が、神仏の存在を明言しておられるわけであり、これらの方々がウソを言われることは当然ありえないことは明白です。  と、いうことで、著者と著書名を記したいところではあるのですが、この場ではあえて伏せさせて頂くことにします。

  • pumipoo
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回答No.4

こんにちは 私は33才2児の母です 私が今まで生きてきて、2人との出会いで価値観や考え方など 影響を受けた人がいます 1人は中学1年生から今もかわらず友達でいるK子です 元々私はマイナス思考で、自分ばっかりという気持ちが強い子でした K子は前向きで、私に対してなぐさめるというよりは いつまでも同じこと考えない!考えても仕方のないこと考えるより 前に進んだほうがいいって私にいってました 自分では強制的に自分を変えたわけではないんですが K子との長いつきあいのなかで、いつのまにか前向きに物事をかんがえられるようになったので、 K子とのつきあいがなかったら、今の明るい自分はいないかもしれないと思います もう一人は主人です 私は1度決めたんだから変えられないって思ってしまうところがあるんですが 主人は、今決めたことも5分後にはどうなっているかわからない いろんな考えの中で1番いいと思うことを選べばいい 結婚して子供がいても学ぶ気持ちをもたなければいけない 結婚して10年たちますが やはり10年の主人との生活で 主人の影響を受けているのはたしかです その影響で友達には考え方が賢くなったとか きちんと自分の意見が言えるようになったねといわれます この2人との出会いは私にとって大切なことで 自分にとって、いい影響を与えてくれた人が 今も近くにいることは本当に嬉しいことですね 長ったらしくなってしまってすみません

kimi1980
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 自分に影響を与える人に出会えるということ また、その関係が長く続くというのは 幸せですね。 回答ありがとうございました

回答No.3

プログラムが「美しい」という感性は私もおどろいた経験が・・・。 文系で全くの畑違いからSEになって、わけもわからずプログラムを組んでいたときに 「もっと美しく組めないの?」 と言われてびっくり。 仕事に慣れる中で理解しましたが、SEが合わなくてやめました。笑 ◆高校生のとき、地理の先生に 高校3年で地理を選択しました。県立高校を定年退職された講師のおじいちゃん先生で、初回の授業でごそごそと、草・木の枝・花を取り出しました。全部みたことがあるものなのです。 「全部学校のまわりで摘みましたよ。毎日君たちが見ているものですが、名前を言えますか?」 にっこり笑いながら質問され、・・・何一つ名前をいえなかったんです。 「地理の勉強のはじまりは、自分の住んでいる町にどんな草花が生えているのか、その名前は何かを知ることからはじまるんですよ」 他のクラスメイトはぽかんとしてただけかもしれないんですが、私はそれが衝撃で・・・まさしく人生を変えました。 先生が毎回持ってこられる植物の名前が言えるようになり、「植物に詳しい○○さん」と卒業するころは呼ばれるようになりましたね。 それ以来ホームタウン以外の町にいくと植物の風景が違うことに敏感になりました。役に立つとか立たないじゃなく・・・それが地理なんだ。受験勉強とは全然違うところで、重要な学びをできたと思っています。 ◆国語の闇を教えてくれた先生 現在教えられている国語は江戸時代の国学派の流れをくむもので、実は権力的に「これを、国語とする」と定められた面が存在するんです。そこを解き明かそうとするとブラックボックスに触れてしまうような・・・。 やっぱり高校のときに、そのことを教え、自分の国の言葉、文学の学問にはもっと広い広い幅があるんだということを、時に教材を大きく離れた授業の中で教えてくれた先生がいました。 この先生の影響を受けて大学では国文学を選んだと思います。 ◆素のままでいることを教えてくれた彼氏>主人 私は幼少期の家庭環境(いい家族です)の影響で、人のために生きることが軸になっていて、自分がどこにいるのかわからないという気持ちに長年陥っていました。 そんな自分が怖いと嘆いたときに、一言も何も言わないかわりに絶対に傍を離れていかなかった人と恋人になりました。 それから年月を経るにつれて、自分のままでいることを理解できるようになってきました。 どうしても役目役割を持って生きると自分に厳しい分他人にも厳しくなってしまいます。 そのため、自分のままでいられるようになってきたからか、優しくなったといわれるようになりました。 この人に出会わなかったら自分を見失い続けていたのかと思うと出会いの幸運に感謝します。

  • blazin
  • ベストアンサー率50% (20251/40149)
回答No.2

もちろんありますよね。 大きさの大小はあれ、自分を変える、見つめなおすきっかけになる出会いはいくつもありましたよ。 やはり自分にないものを持った人と出会う、そしてその人と触れ合う事で感化されるものは大きかったですし。 病気や障害などを抱えつつも前向きに頑張る人を身近に感じる機会があると普通でいれることのすばらしさを実感すると同時に、今を大切にしたい気持ちをより深く抱くきっかけになりましたし、彼女の自分を後回しにしても自分を思ってくれるような駆け引きのないシンプルな情熱はやはり自分もそういう人間でありたいなと思わせてくれますし☆

  • sayapama
  • ベストアンサー率37% (3925/10438)
回答No.1

月並みですが、私にとっては嫁さんですね。 嫁は大学の後輩だったのですが、私が大学を卒業後に付き合い始めて、5年交際をしてから結婚しました。 今年で結婚15年目です。 嫁が大学1年の時から知っていますので、嫁は人生の半分以上私と一緒に居ます。 私には無い価値観を持っていますし、家庭を安心して任せられるし、一人娘を産んでくれ、確りと娘を育ててくれています。 私に『命に代えてでも守るべきもの』を提供してくれた重要な人物ですね。 心から感謝しています。 これだけ良い事を書いても、お小遣いは上げてくれませんけどね・・・

kimi1980
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 小遣い上げてくれなくても 嫁さんいるだけうらやましいです。 しかも、価値観に影響を与えてくれて 大学から知ってるなんて うらやましすぎます。 回答ありがとうございました